22話 アリア
朝もやの立ち込める中、遥斗は重い足取りで学舎に向かっていた。昨夜の出来事が頭から離れない。仲間たちとの圧倒的な実力差。自分の無力さ。それらが心に重くのしかかっていた。
教室に入ると、いつもの喧騒が耳に入ってくる。しかし、今日の遥斗にはそれが遠くで聞こえる音のようにしか感じられなかった。
「おはよう、遥斗、どうしたんだ?元気ないみたいだけど」
トムの声に、ぼんやりと頷く。
「ああ...うん、ちょっとね」
遥斗は窓の外を見つめた。青い空が広がっている。仲間たちは今頃、その空の下をダンジョンに向かって進んでいるのだろうか。
授業が始まり、アルフレッド先生の声が教室に響く。しかし、遥斗の耳にはほとんど入ってこない。ただぼんやりと外を眺めている。
「...斗くん、遥斗くん!」
突然、名前を呼ばれて我に返る。
「は、はい!」
慌てて立ち上がる遥斗。アルフレッド先生が厳しい目で見つめている。
「質問に答えなさい。錬金術における基本的な三原則とは何ですか?」
遥斗は頭が真っ白になった。三原則?そんなの習った覚えが...
「えっと...その...」
言葉につまる遥斗を見て、クラスメイトたちがクスクスと笑い始めた。特にマーカスの笑い声が目立つ。
「ふん、さすが異世界人だな。基本中の基本も分からないのか」
マーカスの言葉に、さらに笑い声が大きくなる。
「遥斗くん、授業をちゃんと聞いていましたか?」アルフレッド先生の声には苛立ちが混じっている。
「す、すみません...」
遥斗は顔を真っ赤にして座った。トムが心配そうに遥斗を見ている。
授業が終わり、昼休みになった。遥斗は一人で中庭のベンチに座っていた。
「遥斗くん」
振り返ると、エレナが立っていた。
「エレナ...」
「様子がおかしいわね。何かあったの?」
エレナの優しい声に、遥斗は思わず全てを話してしまった。昨夜の出来事、仲間たちとの実力差、自分の無力感。
話し終えると、エレナは静かに遥斗の隣に座った。
「そうだったのね...」
「僕、このままじゃダメなんだって分かってる。でも、どうすればいいのか...」
エレナは少し考えてから、明るい声で言った。
「ねえ、あまり気にしないで、一緒にルシウスおじさまのところに行かない?きっと何か面白い実験をしてるわよ」
遥斗は少し驚いて顔を上げた。
「え?でも...」
「大丈夫よ。あなたには、あなたにしかできないことがあるはず。それを見つける手伝いを、私たちがするわ」
そこにトムも加わった。
「そうだぞ、遥斗。一緒に行こう。きっと何か新しい発見があるさ」
二人の言葉に、遥斗の心に小さな希望が灯った。
「うん...ありがとう」
遥斗は立ち上がった。まだ足取りは重いが、少しだけ前を向く勇気が湧いてきた。
「よし、行こう」
三人は、ルシウスの研究室に向かうための馬車に歩き始めた。
ルシウスの研究室に近づくにつれ、激しい口論の声が聞こえてきた。
「おかしいわ!こんな条件、普通の人間なら絶対に受け入れないわよ!」
女性の声が怒りに震えている。
「まあまあ、落ち着いて聞いてくれ。私にも事情があるんだ」
ルシウスの声には、珍しく焦りが混じっている。
遥斗たちは顔を見合わせた。エレナが小声で言う。
「おじさま、誰かと喧嘩してるみたい...」
「こんなの初めて聞いたな。ルシウス様が誰かと言い争うなんて...」
トムが不安そうに答える。
遥斗は少し躊躇したが、思い切ってドアをノックした。
「...どうぞ」
ルシウスの声に、三人は恐る恐るドアを開けた。
研究室に入ると、ルシウスと見知らぬ女性が向かい合って立っていた。女性は30歳半ばくらいで、長い赤髪と鋭い翡翠色の瞳を持つ美しい剣士だった。左頬には小さな傷跡があり、それが彼女の美しさをより引き立てている。
ルシウスは三人を見て、少し安堵したような表情を浮かべた。
「おお、来てくれたか。ちょうどいい。紹介しよう」
彼は女性剣士の方を手で示した。
「こちらは、アリア・ブレイディア。冒険者グループ『シルバーファング』のリーダーだ」
アリアは三人を鋭い目で見つめ、軽く頷いた。
「初めまして。まあ、こんな状況で会うとは思わなかったけどね」
彼女の声には、まだ怒りの色が残っている。
ルシウスは苦笑いしながら説明を始めた。
「実は、アリアに依頼をしようと呼んだんだが...ちょっとしたトラブルでね」
アリアが腕を組んで反論した。
「ちょっとしたトラブル?冗談じゃないわ。あなたの言う条件、頭がおかしいとしか思えないわよ」
彼女は指を折りながら条件を数え上げた。
「まず、近くのモンスター生息危険地域の湖に行く。次に、少年を絶対に守る。そして、モンスターを探す。さらに、モンスターを傷つけずに時間を稼ぐ。最後に、このことは絶対に他言無用。こんなややこしいことを、一体何のためにしなきゃいけないっていうの?」
エレナが驚いて口を開いた。
「おじさま、それってまさか...」
ルシウスは手を振って遮った。
「アリア、頼む。昔のよしみだ。君にしか頼めないんだ」
「昔のよしみ?ふん、随分と都合のいいこと言うのね」
アリアは目を細めた。
エレナが興味深そうに聞いた。
「えっ、アリアさんとおじさま、昔からの知り合いなの?」
ルシウスは懐かしそうに微笑んだ。
「ああ、アリアが駆け出しの頃に少し世話してあげたことがあってね」
「そう、この変わり者の錬金術師に世話になったのよ。でも、まさかこんな形で恩を売られるとは思わなかったわ」
アリアは鼻を鳴らした。
「アリア、君にしかできないんだ。私自身でやれるなら、とっくにやっている」
彼の声には、珍しく影のある響きがあった。アリアはその様子を見て、少し表情を和らげた。
「はぁ...分かったわよ。引き受ける。でも、これで借りは帳消しよ。いいわね?」
「ああ、もちろんだ。本当にありがとう、アリア」
ルシウスは安堵の表情を浮かべた。
そして今度は遥斗たちの方を向いた。
「さて、紹介が遅れたね。こちらは遥斗くん。彼は異世界から来たアイテム士なんだ」
アリアは驚いた表情を浮かべた。
「アイテム士?異世界?...ますます意味が分からないわね」
ルシウスは微笑んで説明を始めた。
「実は、遥斗くんの能力を研究しているんだ。彼の力は非常に興味深くてね。だが、さらなる実験のためには、彼のレベルを一気に上げる必要がある」
遥斗は驚いて声を上げた。
「え?僕のレベルを上げるって...どういうことですか?」
ルシウスは真剣な表情で遥斗を見た。
「君の能力は、レベルが上がるほど可能性が広がる。だが、通常の方法では時間がかかりすぎる。だから、手っ取り早くレベルを上げようかと思ってね」
トムが不安そうに言った。
「でも、それって危険じゃないですか?」
「そうよ、おじさま。遥斗くんに何かあったら...」
ルシウスは二人を見て、優しく微笑んだ。
「そうだね。でも大丈夫だ。アリアが守ってくれる。彼女は最高の剣士だからね」
アリアはため息をついた。
「はいはい。命がけの実験に付き合わされるってわけね。全く、あなたって人は...」
遥斗は複雑な表情を浮かべていた。レベルを上げる。それは憧れだった。でも、こんな形で...
遥斗が静かに言った。
「ルシウスさん。本当に...僕にそんなことができるんでしょうか?」
「できるとも、遥斗くん。君には可能性がある。それを私が引き出してみせよう」
ルシウスは優しく遥斗の肩に手を置いた。
アリアは三人のそれを見て、少し表情を和らげた。
「あなたたち、本当にこれでいいの?危険は承知の上?」
「はい。お願いします」
遥斗は決意を込めて答えた。