212話 もっと...もっと魔法を極めたいんす
芳香な香りがエルフの料理から立ち上る。
それは深い森の恵みを思わせた。
「いただきます」
遥斗は目の前の皿に盛られた料理を、おそるおそる口に運んだ。
「これは...!」
驚きの声が漏れる。
一見すると野菜のようでありながら、その味わいは遥斗の知る植物とは全く異なっていた。
濃厚でコクがあり、まるで鶏肉や白身魚を思わせる深い旨味が口の中に広がる。
人族用に用意された香辛料のソースと組み合わさると、さらに味わいが変化した。
「これなら...本当に肉がなくても満足できそうだね」
キャリーから運ばれた料理は他にも様々あった。
青みがかった葉で包まれた蒸し物からは、香ばしい香りが漂う。
一口食べると、中から甘みのある汁が溢れ出した。
赤紫色の根菜のスライスは、まるでハムのような食感と旨味を持ち、添えられた青い実の酸味が絶妙なアクセントとなっている。
キノコのような見た目をした料理は、噛むごとに複雑な味わいが変化していく。
最初は塩味、次に旨味、そして最後に不思議な甘みが残る。
「うまいっす!」
シエルの声が響く。
彼女は魔導士の帽子を外し、夢中になって料理を口に運んでいた。
先ほどまでの悲しみや怒りを忘れたかのように、冒険者らしい逞しさを見せて食事している。
(僕ももっと強くならないと...)
遥斗は黙々と食事を続けるシエルの姿を見つめながら、そう思った。
「ふぅ...」
最後の一皿を平らげた遥斗は、満足げに息をつく。
「ごちそうさまでした」
「まぁ、悪くはなかったな。アストラリアの料理には及ばんが...まぁ及第点というところか」
マーガスは誰よりも山盛りの皿を空にしておきながら、偉そうな言葉を並べた。
「もう!マーガスったら!一番たくさん食べておいて、何言ってるのよ?失礼でしょ」
エレナが声を上げる。
「ははは!貴族たる者、批評の目を緩めるわけにはいかんのだよ!」
エレナは諦めたように首を振りながら、素直な感想を述べる。
「全部美味しかったけど、特にあの赤紫色の根菜...不思議な味だったけど、癖になりそう」
「うん、僕もそう思った」
遥斗も頷く。
「ヘスティアさんの言っていた、自然との調和って、こういうことなのかもしれないね」
シエルはほとんど食べ終わっていたが、最後の一切れを大切そうに手に取り、じっと見つめていた。
「お母さんの料理思い出した...」
その言葉は誰に向けたものでもない。
ユーディはいつものように寡黙に料理を平らげる。
効率的な食べ方は、多忙な皇帝としての日々を物語っているようだった。
ヒカリダケの青い明かりは変わらず柔らかく部屋を照らし、夜は静かに更けていく。
遥斗達には、まだ解決すべき問題が残されていた。
「シエル...この後どうするつもり?」
遥斗は優しく、しかし真剣な眼差しで問いかける。
シエルは魔導士の帽子の陰に顔を隠したまま、答えを返そうとしない。
彼女の小さな背中が、わずかに震えているように見えた。
「イーストヘイブン行きの馬車に乗せるべきだ」
ユーディが冷静な判断を下す。
「でも、その後は...?」
エレナの瞳に心配の色が浮かぶ。
「確かノヴァテラ連邦から来たパーティだったはずよね。一人で帰るには、あまりにも険しい旅じゃないかしら」
部屋の空気が重くなる。
大陸を横断する旅は、熟練の冒険者でさえ命懸けだ。
まして一人となれば、その危険は計り知れない。
「ギルドで自分の護衛を探すか...新たなパーティに加わるというのも手だな」
ユーディがいくつか選択肢を示す。
「それなら、ここで生きていくのもありかもな!」
マーガスも明るい声で提案した。
「それだけは嫌っす!」
シエルの声が鋭く響く。
その言葉には、先ほどのヘスティアとの一件で芽生えた不信感が色濃く滲んでいた。
帽子の陰から覗く瞳には、怒りの感情が入り混じっている。
エルフたちの理想と、現実の痛み。
簡単にわだかまりは消えそうにない。
「その...一緒に付いて行ったら、駄目っすか?」
「え...?」
エレナは思わず声を上げる。
「自分...この国の考えには賛同できないす」
シエルは帽子の縁を掴みながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「魔術師の職業を与えられて、本当に嬉しかった。もっと...もっと魔法を極めたいんす」
その言葉に、遥斗は魔法職の特異性を思い出す。
この世界で魔法職は稀少な存在だ。
特に攻撃魔法を扱える者は、軍でも民間でも、そして冒険者の世界でも引く手あまた。
魔術師、上級魔術師、魔導士、そしてマジックキャスター。
それは単なる序列ではなく、どれだけ魔法の深淵に近づけるかの素質でもあった。
「...レベルはいくつだ?」
「44っす」
ユーディの質問に、シエルは少し誇らしげに答える。
「ふっ44か」
マーガスはやれやれといった表情を浮かべ、腕を組んだ。
「なんすか、その態度は!」
シエルは頬を膨らませ、むっとした表情でマーガスを睨む。
「じゃあ、あんたのレベルはいくつなんすか!」
「91だが?」
マーガスは胸を張って答える。
ヒカリダケの光が、憎らしいほど誇らしげな顔を照らす。
「え...うそ...」
シエルの口から驚きの声が漏れる。
これまでの死闘の数々が、マーガスの力を磨き上げていたのだ。
「当然だろう!マテリアルシーカーのリーダーたる者、それくらいの力がなくてどうする!」
「偉そうに言わない!遥斗くんには全然負けてるくせに」
エレナの冷ややかな一言が、マーガスの威勢を一気に萎ませる。
「え?」
シエルは興味深そうに遥斗の方を見る。
「あの、その...遥斗さんのレベルは...?」
「えっと...118」
遥斗はおずおずと答える。
シエルの体が凍りついた。
(こんなひ弱そうな人が...118!?)
シエルは騙されたような気分で、目の前の少年を見つめる。
「でも僕アイテム士だから、レベルよりもずっと弱いんだ」
遥斗は慌てて付け加える。
もはやシエルは開いた口が塞がらない。
最弱の職業と呼ばれるアイテム士で、どうやってそんな高レベルまで上げたのか。
それこそ彼女にとっては、魔法よりも遥かに不思議な出来事だった。




