191話 目覚めの朝に告げる
...遥斗は静かに目を開いた。
見慣れない天井。
白い壁に飾られた絵画。
どこか上品な雰囲気漂う部屋だ。
一瞬、自分がどこにいるのか混乱する。
しかし、徐々に記憶が蘇ってきた。
そう、ここは異世界。
バートラムとの激闘の後、気を失ったのだ。
うっすらと朝日が差し込む窓辺から、小鳥のさえずりが聞こえてくる。
平和な音色に、昨夜の戦いが嘘のように感じられた。
断片的な記憶が蘇る。
ネクロム・レギオンの百の顔。バートラムの怨嗟と狂気。数多のアンデッドたち。
四つの職業を同時に扱った時の激痛。
本来なら、体が千切れるような痛みに襲われているはずだ。
しかし不思議なことに、今は何の違和感もない。むしろ快調すぎるくらいだ。
(神の力を宿す者たち...世界の理すら食い尽くす...か)
バートラムの最期の言葉が、遥斗の脳裏に浮かぶ。
人族の存在そのものが世界を滅ぼしていく―――その言葉に込められた確信は、妄執とは違う何かを感じさせた。
ベッドから身を起こそうとした時、足元に人の気配を感じる。
端正な顔立をした騎士風の男が、椅子に座ったまま居眠りをしていた。
マーガスだ。
どうやら一晩中、付き添ってくれていたらしい。
「ぐぅ...」
普段は尊大な態度で威勢のいい彼も、今は子供のように安らかな寝顔を見せている。
遥斗は静かにベッドから降り、そっとマーガスに毛布を掛けた。
昨夜の戦いで、さぞ疲れただろう。
部屋を見渡すと、椅子の上に自分の服とマジックバックが置かれているのを見つける。
荷物が無事で良かった、と安堵の息を漏らす。
着替えを済ませ身支度を整えていると、突如として激しい空腹感に襲われた。
そういえば、昨日からろくに食事を取っていない。
「少し食べ物を...」
遥斗は小声で呟きながら、ドアノブに手を掛けた。
しかし、同時に外側からもノブが回される。
ガチャリ。
「マーガス、遥斗くんの様子は...」
扉が開くと同時に、エレナの声が響く。
金色の髪をなびかせながら、心配そうな表情で部屋に入ってきた彼女は、目の前に立つ遥斗を見て目を丸くする。
「えっ...あっ...遥斗くん!?」
予想外の再会に、エレナの声が裏返る。
「おはよう、エレナ」
遥斗は柔らかな微笑みを浮かべながら、小さく手を振った。
その仕草は、まるで激闘など何もなかったかのように自然だった。
「は、遥斗くん!」
エレナの目から大粒の涙が零れ落ちる。
「ご、ごめん、驚かせるつもりじゃ...」
遥斗がエレナの涙を見て、謝罪の言葉を口にした時だった。
エレナが一気に駆け込んでくる。
反射的に腕を広げて受け止めようとした遥斗だったが、エレナはそのまま横を通り過ぎ――
「この馬鹿!」
バキッ!
寝ていたマーガスの横腹に華麗な蹴りを放った。
壁まで吹き飛ぶマーガス。
「うおぉっ!?敵襲か!?ガントレット...ガントレットは...えっと...」
椅子から蹴り落されたマーガスは、まだ寝ぼけ眼で辺りを見回している。
「何をのんびり寝てんのよ!遥斗くんの警護任せたのに!」
エレナの怒号が部屋中に響き渡る。
「あ...ああ、そうだ遥斗の警護を...」
マーガスは慌ててベッドを確認する。
「えっ...遥斗がいない!?どこだ!?おい遥斗!遥斗はどこに...!?」
錯乱したように部屋の中を見回すマーガス。
「こ...ここだよ」
遥斗が戸惑いながら告げる。
「お、おお...!遥斗!目が覚めたのか!良かった...本当に良かった!」
マーガスは涙目になりながら、遥斗の肩を掴む。
「そんな大げさだよ...ちょっと寝坊しただけで」
首を傾げる遥斗に、エレナは真剣な表情で語りかける。
「ちょっと寝坊...じゃないわよ!遥斗くんはあの戦いの後、ずっと眠り続けてたのよ?もう5日よ」
「え...5日!?」
遥斗の声が裏返る。
たった一晩のつもりだった。
まさか5日間も意識を失っていたとは。
「ああ...」
マーガスが重い声で続ける。
「正直、もう目が覚めないんじゃないかって...あんな状態だったからな。今生きてるだけでも奇跡みたいなもんだぞ」
「見張りを交代でしてたんだけど」
エレナが付け加える。
「マーガスは、自分の番になったら寝てるし!遥斗くんに何かあったらどうする気だったのよ!」
「いや、これには訳が...」
マーガスが必死に弁解しようとするが、エレナの鋭い視線に押し切られる。
「そ、それより!お前、体の調子はどうだ?痛むところは?気分は?何か異常は...」
慌てて話題を変えるマーガス。
「ううん、むしろ調子いいよ。変なくらいに」
遥斗は腕を回しながら答える。
「ところで、ここは...領主館?」
遥斗が尋ねると、エレナが頷く。
「そう。今もユーディが混乱の収拾に当たってるわ。バートラムの部下がまだ潜んでるかもしれないから、遥斗くんを交代で見張ってたの」
「見張るどころか、寝てる人がいたけれど!」
エレナが再びマーガスを睨みつける。
「いや、だからこれには事情が...」
「どんな言い訳しても絶対に許さないからね!」
「エレナ、落ち着け...」
「落ち着けませんっ!」
エレナの怒りは収まる気配がない。
「ユーディだって、忙しい合間を縫って、見張りに来てくれてたのよ?...それなのにあなたは!」
「そんなに...僕のことを」
遥斗の声が震える。
みんなが自分を守るために、これほどまでに...。
「当たり前だろ!」
マーガスが胸を張る。
「俺達はパーティなんだ。リーダーが仲間を守るのは当然...おい、遥斗?」
遥斗の頬を、一筋の涙が伝い落ちる。
「遥斗くん!?どうしたの!?どこか痛むの!?」
エレナが慌てて駆け寄る。
「ううん...僕にも分からないんだ。なんで涙が...」
遥斗は自分の頬を触る。
温かいものが止まらない。
理由は分からない。
でも、この涙は確かに幸せな気持ちから来ている。
「あ...」
その時、遥斗の体がふらりと傾く。
「危ない!」
マーガスが咄嗟に支える。
「遥斗くん!やっぱり無理だったのね。すぐにベッドに...」
「違うんだ...ただ、お腹が...」
遥斗の言葉に、二人は目を丸くする。
「そ、そうか!そうだよな!」
マーガスが大声で笑う。
「5日も何も食べてないんだから、倒れるのも当然だ!」
「もう...何でそんなことまで忘れてたのよ」
エレナは額を押さえながら、諦めたように溜息をつく。
「すぐに食べ物を用意しないと。私厨房に行って何か取ってくる!」
「頼んだぜ。スープとか胃に負担のかからないもの持ってきてくれ。あと、あまり熱くない方がいいな。俺は遥斗を支えておく」
「わかった。遥斗くんをお願い!」
遥斗は二人のやり取りを見ながら、こみ上げてくる温かな気持ちを噛み締めていた。
まるで本当の家族のような、かけがえのない仲間たち。
その存在が、遥斗の心を優しく包み込んでいった。
「ありがとう...」
遥斗は誰に伝えるでもなく告げるのであった。




