189話 解放されし魂たち
夜空に舞い上がる幾筋の光。
それはネクロム・レギオンによって囚われ続けた無数の魂が、ようやく解放された瞬間だった。
月明かりを浴びながら、光の雫が天へと昇っていく。
まるで蛍が舞うように、儚く、そして美しい光景。
それは死者たちの解放を祝う祝福の舞のようでもあった。
その中のいくつかの光が、不意に軌道を変える。
ふわりと風に運ばれるように、ケヴィンの周りを優しく包み込んでいく。
三つの光が、まるで再会を喜ぶかのように彼の傍らを旋回し始めた。
「この...光は...」
ケヴィンの声が震える。
懐かしい温もり。
忘れられない存在の気配。
それは紛れもなく、彼が永らく会うことの叶わなかった魂たちだった。
「父さん...母さん...リリアン」
震える声で名を呼ぶ度に、光は一層明るく輝きを増す。
バートラムの策略によって命を奪われた両親。
そして最愛の人、リリアンの魂。
「すまない...本当に...すまない...みんなを...守れなくて...」
ケヴィンの瞳から、堰を切ったように涙が溢れ出す。
「俺は...復讐に憑りつかれて...多くの人を傷つけて...」
光は彼の言葉を遮るように、さらに近くを舞う。
まるで子供を諭すような、優しい光の軌跡。
そっと伸ばした手に、温かな感触が残る。
「リリアン...俺は...」
言葉を詰まらせる彼の肩に、一筋の光が触れる。
それは彼女の笑顔のように、温かく柔らかな光だった。
三つの光は最後にもう一度ケヴィンの周りを回ると、ゆっくりと天空へと昇っていく。
その姿は安らぎに満ちており、まるで微笑んでいるかのようだった。
「彼らは...お前を心配して来てくれたのだ」
エーデルガッシュの声が静かに響く。
「魂は消えることはない。ただ...次なる場所へと旅立つだけなのだ」
ケヴィンはゆっくりと膝をつき、深々と頭を下げる。
「陛下...ありがとうございました...」
声を震わせながら、彼は言葉を紡ぐ。
「もう...これで...」
ケヴィンの肩が大きく震え始める。
それは全ての重荷から、ようやく解放された男の慟哭。
涙を流しながら、許しを得た安堵に身を任せていた。
天高く昇っていく三つの光は、最後の別れを告げるように一際強く輝きを放つ。
それは再会を約束する光。
いつの日か、魂が再び巡り会える時を待つ光明だった。
「やったな!おい!」
静寂を取り戻した領主館を、マーガスの声が駆け抜ける。
白銀操術戦士は急ぎ足で歩を進め、遥斗の元へとたどり着いた。
その背後からは、エレナの走って来る音も聞こえる。
「さすがだぞ!それでこそアストラリア王国の騎士だ!」
マーガスは興奮気味に、遥斗の肩を叩きながら活躍を讃えた。
「僕、アストラリア王国の騎士じゃないけどね」
遥斗は少し照れたように微笑む。
その瞳は、先ほどまでの漆黒から、いつもの優しい茶色へと戻っていた。
「どうだ!思い知っただろう!ダスクブリッジ家次期当主の凄みを!そしてリーダーの存在感を!はっはっはーーー」
マーガスの高らかな笑い声が響く。
「...いや、待て」
突如として声のトーンを落とす。
「結局領主の言っていたことが、最後の方は何が何だか分からなかったんだが。あいつは何がしたかったんだ」
「バートラムには二つの目的があったんです。一つは神子...つまり皇帝陛下のような神の力を宿す者たちの抹殺」
「神子...か」
「もう一つは、不死のアンデッドになること。これは人族を救うための手段だったんです」
「はぁ?全く意味が分からんぞ」
遥斗の声は静かに続く。
「モンスターの攻撃から逃れるため、生きることを捨てる...それがバートラムなりの答えだった」
「結局死んでいるじゃないか!駄目だろ、それじゃ!動いてりゃ死んでてても、腐っててもいいってか?俺は絶対に御免だ!」
マーガスが眉をひそめる。
言葉を途切れさせたマーガスに、遥斗はふと目を伏せる。
もし本当に世界が無に帰すのだとしたら。
もし全てが闇に飲み込まれていくのだとしたら。
人族の生きた証を残し、世界を存続させる。
バートラムの選んだ道も、一つの答えだったのかもしれない。
だが真実は、誰にも分からない。
遥斗は答えを口にすることはできなかった。
ただ夜空を見上げ、解放された魂たちの光を追いながら、静かに思いを巡らせるだけだった。
エレナの姿がはっきりと見えた。
こちらに向かっている。
エレナの無事を確認出来て、遥斗は心の底から嬉しかった。
彼女に向かって一歩踏み出そうとするが、突如として世界が歪み始める。
「遥斗くん!」
エレナの叫び声が、まるで水底から聞こえるように遠い。
そうか、と遥斗は静かに悟る。
四つの職業を同時に扱うという無謀な選択が、今になって全身に牙を剥いていた。
アイテム士、白銀操術戦士、槍術士、そしてネクロマンサー。
相容れない力が体の中で暴れ、互いを打ち消そうとしている。
視界が揺らぐ。
体中を走る痛みは、まるで全ての細胞が悲鳴を上げているかのようだ。
内側から引き裂かれる感覚。
それは人の限界を遥かに超えた代償だった。
(でも...良かった)
遥斗は微かに頬を緩める。
戦いが終わるまでは命が持った。
それだけで十分だった。
意識が遠のいていく。
まるで深い眠りに誘われるように、痛みが徐々に薄れていく感覚。
それは不思議と心地よかった。
(少し...休めるかな)
最後にそんな思いが頭をよぎる。
目の前でエレナの姿がぼやけていく。
遥斗は穏やかな表情のまま、静かに意識を手放した。
戦場に残された者たちの叫び声が、夜空に木霊していく。
しかし、遥斗の耳にはもう届かない。
彼はただ、長い戦いを終えた安堵の中で、静かな闇の中へと沈んでいった。