188話 死の輪舞(16)
恐怖心の弾丸がネクロム・レギオンを襲った刹那、遥斗はその僅かな隙を見逃さなかった。
浮遊する巨大な亡霊の下を駆け抜けながら、少年の身体から魔力が溢れ出す。
「ポップ」
中級MP回復ポーションが生成された。
アンデッドという存在は、魔力を物質化した特異な生命体。
その実体のない体は、魔力によって形作られている。
つまりMPを奪うことは、アンデッドの存在そのものを脅かす行為に等しいのだ。
物理攻撃への耐性を誇る巨大な亡霊にとって、このような深手は初めての経験だった。
中央に浮かぶバートラムの顔が、血の涙を流しながら獰猛な形相へと変わっていく。
その瞳には、もはや人としての理性は宿っていない。
ただ純粋な殺意だけが渦巻いている。
巨大な亡霊の体が蠢き、まるで獲物を捕食するように遥斗へと襲いかかる。
「ファイア」
遥斗の魔力銃から、再び恐怖心の弾丸が放たれる。
ネクロム・レギオンの動きが再び止まった時、少年の手にした銀の槍が閃光を放つ。
「蛇牙連波!」
バロック流槍術の奥義が、銀の軌跡となって暗闇を切り裂く。
槍は蛇のように蠢きながら、幾重もの軌道を描き出す。
アンデッドに特効を持つ銀の一撃は、巨大な亡霊の体を深々と貫いた。
「ポップ」
すれ違いざまに生成されたMP回復ポーション。
二段階の攻撃に、ネクロム・レギオンの体から幾つかの顔が消失していく。
残された顔からは、一斉に怨霊讃歌が放たれる。
威力はレギオンの時と同格だが、溜めを要しない複数高速射出。
散弾のように広がる音波の奔流。
しかし――
「ポップ」
遥斗の声が響いた瞬間、怨霊讃歌は光となって収束していく。
音爆弾の生成。
ネクロム・レギオンの放った音波そのものを素材として、アイテムへと変貌させていた。
アイテム士の生成能力、白銀操術戦士の金属操作、槍術士の戦闘技術、そしてネクロマンサーの死を統べる力。
四つの力を完全に使いこなす少年の姿に、バートラムの顔が歪な形相を示す。
その表情からは、明らかな焦りが滲み出ていた。
ネクロム・レギオンの体が大きく膨らみ、全方位へとオーラの波動を放出する。
オーラショットが、遥斗の逃げ道を封鎖した。。
「アルケミック!」
銀の槍が光に包まれ、その形を大きく変えていく。
巨大な壁となって立ち現れた銀の防壁が、全方位への攻撃を完全に防ぎ切った。
巨大な亡霊の中央に浮かぶ、バートラムの顔が口を大きく開く。
その漆黒の口腔からは、これまでにない濃密な魔力が渦を巻いていた。
溜め込まれた力は、銀の壁どころか遥斗の存在そのものを消し去るほどの威力を秘めている。
たとえ生き残ったとしても、魂を引き裂く音波で発狂死は避けられない。
ネクロム・レギオンが、百の顔それぞれに歪な笑みを浮かべさせる。
遥斗の危機にマーガスとエーデルガッシュが動き出そうとするが、到底間に合う距離ではない。
全ては目論見通り。
怨霊讃歌の射程圏内で防御態勢に入った、その時に勝負は決していた。
漆黒の影が銀の壁から横に飛び出す。
攻撃の溜めに隙が生まれる...そこを突くつもりなのだ。
百の顔の一つ一つが、嘲りの表情を浮かべる。
この相手なら、正確に弱点を突いてくるはず。
その戦術は想定通りだった。
ヒュウォォォン!
幾つもの顔から放たれる高速の怨霊讃歌。
音波は直進せず、まるで生きた蛇のように複雑な軌道を描く。
遥斗の退路は完全に塞がれ、空中で身動きが取れない。
オオオオオオォォォーーーーーン!
渾身の力を込めた特大怨霊讃歌が放たれる。
音波は遥斗の体を貫き、その存在を粉々に砕いていく。
少年の体は、まるでガラス細工のように無残に砕け散った。
「ギィャオオォォォゥ」
ネクロム・レギオンの狂喜の雄叫びが、夜空に木霊する。
百の顔が作る渦の中で、バートラムの顔だけが勝利の確信に満ちた笑みを浮かべていた。
必殺の一撃。
完璧な罠。
全てにおいて、巨大亡霊が遥斗の上を行った瞬間であった。
「確信したよ?ここだね」
突如として響く声に、ネクロム・レギオンの百の顔が一斉に凍りつく。
勝利を確信していた目の前に、銀の槍を手にした遥斗がいた。
「双竜穿槍!」
バロック流槍術の奥義が閃光となって放たれる。
銀の槍は螺旋を描きながら、巨大な亡霊の胴体を深々と貫いていく。
抜き取られた槍の先端には、まるで腐敗した心臓のような異形の物体が刺し貫かれていた。
遥斗は一瞬の躊躇いもなく後方へと跳躍。
バートラムの顔が、言葉を失ったような驚愕の表情を浮かべる。
「ああ、さっきの人影?その辺のアンデッドを操ってそれっぽく見せかけただけだよ?」
少年の淡々とした声が、真相を告げる。
銀の壁の死角から、ネクロマンサーの力で操られた一体のアンデッドが囮となり、ネクロム・レギオンの注意を引いていた。
遥斗自身は終始、銀の壁の陰で機を窺っていたのだ。
それは偶然の産物ではない。
かつてヴォイドイーターとの戦いで得た経験。
そこから導き出された仮説。
遥斗は戦いの最中も冷静に観察を続け、巨大な亡霊の中に潜む核を探り当てていた。
「カ...エ...セ!」
その叫びは人の声とも、亡霊の呻きともつかない歪なものだった。
バートラムの顔が、百の顔の中心で醜く歪む。
血の涙を流す目は限界まで見開かれ、その紫の瞳には狂気と憎悪が渦を巻いていた。
憤怒に満ちた表情で、異形の心臓を取り戻そうと突進してくる。
しかし――
遥斗の動きの方が速かった。
槍術士の基本とも言える単純な斬撃が、心臓を真っ二つに切り裂く。
その瞬間、ネクロム・レギオンの巨体が光の粒子となって崩れ始めた。
百の顔それぞれが悲鳴を上げながら、夜空へと消えていく。
バートラムの顔も、最後の憎悪の形相を残したまま、闇の中へと溶けていった。
戦場に残された遥斗の体が、赤い光に包まれる。
それは彼の勝利と成長を告げる、レベルアップの輝きだった。




