172話 決意の階段
すこし時は戻る。
「それで、覚えてるか?新入り兵の訓練で、盾の持ち方すら分からなかったヴィクターをな...」
「ちょっとちょっと、ゲイブ殿。今じゃ私も衛兵長ですぞ」
「はっはっは!そうだった、そうだった。だが昔は本当に情けなかったぞ。盾を逆さに構えて、みんなの笑い者だったじゃないか」
城門前で、ゲイブは昔の部下たちと談笑していた。
十年以上前、彼が指導官を務めていた頃の思い出話に、兵士たちの表情も自然と緩んでいく。
「ゲイブ殿の特訓は鬼のようでしたからな」
「当たり前だ。お前らを一人前にするのが俺の仕事だったんだからよ」
「ですが、あの厳しい訓練のおかげで、私たちは今がある」
衛兵長のヴィクターが懐かしむように言う。
「そうそう、あと笑い話といえば夜間訓練で...」
「ゲイブさんーーー!」
慌ただしい足音と共に、エレナが駆け寄ってくる。
その表情には明らかな動揺の色が浮かんでいた。
「大変です!地下室に...地下室に死体が...!領主館の地下が...!」
息を切らしながら、エレナは必死に状況を説明しようとする。
「おい、待て。お前は...?」
ヴィクターが不審げな目でエレナを見る。
「不審者か!?捕まえろ!」
「待て!」
ゲイブの声が響く。
「彼女の話を聞け」
「しかし...」
「ヴィクター、お前らに話がある」
ゲイブの表情が一変する。
「バートラムは、お前たちを欺いていた」
「何を...言うのですか?」
「帝国の税?モンスター対策の防衛費?全て嘘だ。奴は税を着服し、住民を拷問し、そして...」
ゲイブは拳を固く握りしめる。
「冒険者たちを人身売買していたんだ」
「そんな...証拠が...」
「証拠は地下室にあります!今、遥斗くんと皇帝陛下が...!」
エレナが叫ぶ。
「何!皇帝陛下だと!?」
衛兵たちの間に動揺が走る。
「そうだ。これは陛下の作戦なんだ。俺たちはその協力者よ」
ゲイブは真摯な表情で告げる。
「お前らも、本当の忠誠を示す時が来たんだ」
「し、しかし...」
兵士たちが躊躇する中、エレナが必死の表情で訴える。
「お願いです!陛下が危ないんです!地下室では大変なことが...!私は皆に知らせるために、一人でここに来ました!」
その言葉に、ヴィクターの表情が変わる。
「すまない、確認させてもらう」
「全員に知らせろ!皇帝陛下救出のため、即刻出陣する!」
ヴィクターの号令が響く。
「俺は街の連中に伝えてくる。お前ら、準備を急げ!」
兵士たちが散っていく中、ゲイブは夜の街へと駆け出した。
「こちらです!早く!」
エレナも地下室の入口を目指し、ヴィクターたちを先導する。
(もしかしたら...もう遥斗くんたちが解決しているかもしれない)
廊下を走りながら、僅かな希望が胸をよぎる。
地下室の入り口は、領主館の一階奥まった場所にあった。
松明の灯りが不気味な影を作り出し、湿った空気が鼻をつく。
「本当に陛下がここに...?」
若い兵士の一人が不安げに呟く。
「とにかく、まずは偵察を...」
ヴィクターが提案しかけたその時。
ドォォォン!!
地下から轟音が響き渡る。
「そんな...戦いが...!」
エレナは即座にマジックバックから魔力銃を取り出す。
その手が小刻みに震えていた。
ヴィクターは部下たちと目配せを交わし、剣を構える。
「援軍を待ちましょう。この人数では...」
しかし連続する爆発音と共に、エレナの理性が崩れ始めていた。
地下で何が起きているのか。
遥斗たちは無事なのか。
想像するだけで胸が締め付けられる。
(遥斗くん...大丈夫なの?)
魔力銃を握る手に力が入る。
(...このまま見ているだけなんて...できない!)
地下室から響く爆発音に、エレナの体が震える。
「遥斗くん!」
「お嬢さん、あと少しで仲間が集まります。動かないで」
ヴィクターがエレナの様子を懸念し、警告を発する。
「でも...!」
地下から響く激しい音が、エレナの心を引き裂く。
「今、皆が戦っている...!」
(冷静に...冷静に考えなきゃ)
エレナは必死で理性を保とうとする。
確かに自分の戦闘能力は低い。
一人で突入しても、足手纏いになるのが関の山。
それは分かっている。頭では理解している。
しかし――
轟音と共に、地下室から悲鳴が聞こえてくる。
(遥斗くん!マーガス!ユーディ!皆...!)
魔力銃を握る手に力が入る。
恐怖で震える足を、必死で抑え込む。
「駄目だ!危険です!」
ヴィクターが制止しするが、ついにエレナは階段へと踏み出した。
「ごめんなさい...もう...待てないの!」
エレナの声が小さく漏れる。
エレナの金髪が風を切って揺れる。
ヴィクターの制止の声も、もはや彼女の耳には届かない。
覚悟を決めた少女は、暗い階段を一歩一歩駆け下りていく。
「遥斗くん...今行くから...!」
暗い階段を駆け下りているエレナの耳に、地下方向から急いで上がってくる大勢の足音が響く。
「あ...」
エレナが立ち止まったその瞬間、白銀の鎧に身を包んだエーデルガッシュが階段を駆け上がってきた。
「エレナ!?上に逃げろ!早く!」
皇帝の声が階段に響き渡る。
一瞬の間もなく、白い影が彼女の脇を通り過ぎていく。
次いで現れたのは遥斗。
「エレナ!」
彼は走りながら、咄嗟にエレナの手を掴む。
「来て!」
エレナは混乱しながらも、遥斗に引かれるまま階段を上る。
すぐ後ろでは、アレクスが意識を失ったマーガスを担ぎ、ケヴィンとサラが殿を務めていた。
地上に出た一行。遥斗は即座にマーガスの状態を確認する。
「これは...!」
マーガスの体には深い傷が刻まれ、呼吸も浅い。
遥斗は急いでマジックバックから中級HP回復ポーションを取り出し、マーガスの口に流し込む。
「一体...?」
事態が呑み込めないエレナが尋ねかけた時。
「全員、中庭に出ろ!防衛態勢を取るんだ!ヴィクター殿!兵士を集めてください!アンデッドが来ます!」
ケヴィンの号令が響く。
「遥斗くん...?何があったの?」
エレナの問いかけに、遥斗は短く、しかし重大な事実を告げる。
「バートラムはネクロマンサーだった。強力なアンデッドを操ってる」
「そんな...」
「レギオン、ジェスター・コープス、そしてデュラハン・ナイトメア」
遥斗の声は張り詰めていた。
「もう個別の戦いは通用しない。総力戦になる」
エレナの顔から血の気が引く。
デュラハン・ナイトメアの強さは遥斗から聞いていた。
その他に、2体もの強力なアンデッドになると考えると、背筋が凍る。
「早く中庭に!」
サラの叫びが響く中、地下室から不気味な音がゆっくりと迫っていた。




