169話 偽りの慈悲、狂気の実験室
地下室の松明が、異様な影を壁に映し出していた。
バートラムは目隠しをされた四人の周りをゆっくりと歩き、まるで上等な品物を品定めするように、一人一人を観察していく。
「それで...職業は?」
バートラムは唇の端を吊り上げながら、サラに向かって尋ねる。
「はい。錬金術師、アイテム士、白銀操術戦士、そして...剣聖でございます」
サラは丁寧に一礼しながら答えた。
「ククク...フワァーハハハハハ」
バートラムの低い笑い声が地下室に響き渡る。
「なんと贅沢な...アイテム士以外は全てレア職業とは」
紫の瞳が妖しく輝きを増す。
特に、その視線は目隠しをされた少女に注がれていた。
「この若さ、そして剣聖とは...実に興味深いな」
笑いが止まらないバートラムに、ケヴィンが尋ねた。
「バートラム様、一つご相談がございます」
「ほう?」
「最近の入港税の追加により、我々の活動に支障が出始めております。今後どのようにすれば...」
バートラムは言葉を遮るように手を上げ、しばし思考に耽る。
(準備はほぼ整った...もはやグリーズファンガスなど...用済みだ。だが、まだしばしの時間が必要...)
「ふむ」
ゆっくりと目を開き、バートラムは優雅に言葉を紡ぐ。
「実はな...帝都から調査が入るという情報が入っている。その対応もあり、しばらくは静かにしていた方がよい...だろうな」
「しかし、我々は...」
「なに心配することは...ない」
バートラムは柔らかな微笑みを浮かべる。
その表情の下に潜む殺意に、誰も気付いていなかった。
「全ては...私が責任を持って...処理する。それまでは...待つがよい」
「これは...」
ケヴィンは差し出された金貨を見て、言葉を詰まらせる。
「10枚だ。しばらく仕事が減ることへの埋め合わせとしてな」
バートラムは丁寧な態度で告げる。
「これはすごいですね...」
「どうした...気に入らんか?」
「滅相もない!」
ケヴィンは懐に金貨を収めながら、唐突に話題を変える。
「そういえば、最近港で奇妙な噂を耳にしまして」
「なんだ?」
「ええ、夜な夜な黒い影が海の上を渡っているとか...」
バートラムの眉が僅かにピクリと動く。
「それがどうした...つまらぬ...噂だな」
「いえ、それだけではございません。漁師たちの間で、魚の群れが急に消えるという話も...」
「...」
「それと商人たちの...」
「それが...何だというのだ...」
苛立ちを隠せなくなったバートラムの表情が強張る。
その時――
「う、う、うわああああぁぁぁ!」
奥の通路から悲鳴が響き渡る。
バートラムは弾かれたように振り返り、通路へと駆け出していく。
その先にあったのは、想像を絶する光景だった。
巨大な実験室。無数の装置が壁一面に並び、その一つ一つに人が繋がれている。
肉体を切り刻む装置、魂を抽出する魔導具、再生と破壊を繰り返す生命の歪な循環。
天井まで届く巨大な円柱には、透明な液体の入った無数の管が繋がれ、その中で人の魂が蠢いていた。
床には血が川のように流れ、壁には人体の一部が無造作に放置されている。
そこで、アレクスが膝を震わせていた。
巨体は完全に凍りつき、恐怖で声すら出ない。
「おまえ...どうして...なぜ...ここにいる。先ほどまで...確かに私の目の前に...」
バートラムの声が低く唸る。
アレクスの喉から、意味をなさない音が漏れる。
巨体は恐怖で震えるばかりで、まともな言葉を発することもできない。
「貴様...」
バートラムの紫の瞳から、人としての理性が消え失せる。
殺意むき出しの姿で、彼はアレクスに向かって歩を進める。
「待て!」
ケヴィンが赤熱の槍を構えながら、部屋に飛び込んできた。
その直後、悲鳴とも叫びともつかない声が響く。
実験室に入ったサラが、その惨状を目の当たりにして膝から崩れ落ちる。
「こ、これは...いったい...」
「くくく...なるほど。先ほどまで一緒にいたアレクスは幻術か...貴様ら...何が目的だ?」
バートラムの笑い声が歪む。
「こちらの台詞だ!」
ケヴィンの声が怒りに震える。
「お前こそ、何者なんだ!これは一体...」
「お前たちが知る必要などない」
バートラムが静かに、しかし威圧的に答える。
「いいや、知る必要はあるぞ」
冷たい声が実験室に響き渡る。
「洗いざらい吐いてもらおうか、バートラム・ザイル!」
その声の主に、バートラムが振り向く。
入口には白い髪の少女が立っていた。その背後には遥斗とマーガスの姿もあった。
「次から次へと...いい加減にしろぉぉぉ!」
バートラムの表情が完全に歪む。
バートラムが懐から取り出したのは、黒檀で作られた呼子。
その装飾には、複雑な紋様が刻まれている。
(まずい!兵士を呼ぶ気だ!)
ケヴィンがバートラムの意図に気が付くが、その対処は間に合わなかった。
瞬間――
「ポップ!」
遥斗の掌から放たれる光が、周囲の空気を歪ませる。
音爆弾の生成。
呼子から漏れかけていた音が、まるで吸い込まれるように消失した。
空気中の振動すら、全てが素材として吸収されていく。
「な...に!?」
バートラムの表情が凍りつく。
その一瞬の隙を、ケヴィンの赤熱の槍が突く。
閃光のような一撃が、呼子を弾き飛ばす。
黒檀の呼子は、実験室の床を転がっていった。
「くっ...」
バートラムに、初めて焦りの色が浮かぶ。
「すまんな、佐倉遥斗。まだこやつには、聞かねばならんことがあるのでな。邪魔はされたくない」
遥斗が頷くと、ユーディは一歩前に踏み出す。
深い緑の瞳が、燃えるような怒りを湛えている。
「答えよ、バートラム・ザイル。貴様何者だ!」
小さな体から放たれる威圧感が、実験室全体を支配する。
「ゲオルグとどういう繋がりがある!」
「ゲオルグ...?なぜ...その名が...」
バートラムの表情が僅かに歪む。
その視線は目の前の少女を捉えながら、何かを思い出そうとしているかのようだった。
(この顔...どこかで...)
バートラムの目が泳ぐ。
確かにどこかで見た顔。
だが、記憶の中で結びつかない。
「領主ともあろうものが、余の顔を見忘れたか!」
少女の声が地下室に響き渡る。
「不敬であるぞ!」
その瞬間、バートラムの脳裏で何かが弾ける。
その言葉遣い、その威厳、そしてその姿。
全てが一つの答えへと結びついていく。
「まさか...」
バートラムの声が震える。
「ヴァルハラ帝国皇帝...エーデルガッシュ・ユーディ・ヴァルハラ...!?」
松明の灯りが揺らめき、少女の影が大きく広がる。
それは皇帝の威光そのものが具現化したかのようだった。




