16話 孤独な探究者
宿舎の共用ホール、朝日が高窓から差し込み、床に長い影を落としていた。遥斗は、久しぶりに美咲の姿を見つけ、思わず声をかけていた。
「美咲さん!久しぶり」
振り返った美咲の顔に、柔らかな笑みが広がる。
「あら、遥斗くん。元気にしてた?」
「うん!」遥斗は嬉しそうに頷いた。
「最近はなかなかみんなに会えなくて...」
「そうよね。みんなそれぞれの科で忙しいから」美咲は少し申し訳なさそうに言った。
二人は窓際の長椅子に腰掛けた。朝の柔らかな光が二人を包み込む。
「遥斗くん、最近どう? 魔道具科の授業は面白い?」
「うん、とっても!毎日新しい発見があって...」遥斗の目が輝いた。
遥斗は熱心に魔道具科での日々を語り始めた。ポーションの生成実験や、魔法のバッグの不思議な特性など、次々と話題が飛び出す。美咲は優しく微笑みながら、熱心に聞いていた。
「それでね、つい先日なんだけど」遥斗の声が少し高くなる。
「森での実習で、シェイドハウンドと戦ったんだ!」
「えっ!?シェイドハウンド? あの危険な魔物?」美咲が驚いて目を見開いた。
遥斗は得意げに頷いた。「うん!エレナとトムと一緒にね。みんなで協力して倒したんだ!」
遥斗は興奮気味に戦いの様子を語り始めた。スティンクブロッサムの芳香結晶を使った罠や、高い木から岩を落とした作戦など、細部まで説明する。
美咲は真剣な表情で聞いていたが、途中から少し心配そうな顔つきになった。
「すごいわ、遥斗くん」美咲が静かに言った。
「本当に良かった...無事で」
その言葉に、遥斗は少し照れくさそうに頭を掻いた。
「うん、みんなのおかげだよ」
美咲はほっとしたように微笑んだ。
「遥斗くんが元気そうで良かった。最近、あまり会えなくて心配だったの」彼女の声には安堵の色が混じっている。
遥斗は首を傾げた。「美咲さんたちの方が、忙しそうだったけど...」
美咲の表情が少し曇った。彼女は言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。
「実は...」彼女は少し躊躇った後、続けた。
「私たち、レベルが30になったの」
「え?」遥斗は驚いて声を上げた。
「それでね。5人でパーティを組んで、数日間の演習に出ることになったの」美咲は申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。
遥斗は言葉を失った。レベル30。自分がまだ1のままなのに、みんなはそこまで...。
美咲が小さな声で続けた。「涼介くんなんてね、もうレベル38よ」
「そ、そうなんだ...」遥斗は無理に明るく答えようとした。
「すごいね、みんな」
美咲は遥斗の表情の変化を見逃さなかった。
「ごめんね、遥斗くん。もっと早く言えばよかったんだけど...」彼女の声には後悔の色が混じっている。
遥斗は慌てて首を振った。
「あ、ううん。気にしないで。僕は魔道具科だし、戦闘は...あんまり...」
言葉が途切れる。遥斗自身、その言葉が空虚に聞こえた。
美咲は少し沈黙した後、静かに言った。
「この演習が終わったら、私たち...正式にパーティを組んで旅立つことになるの」
遥斗の胸に、鈍い痛みが走った。みんなが一緒に冒険に出かける。そこに自分の居場所はない。
「そっか...」遥斗は精一杯の笑顔を作った。
「頑張ってね、みんな」
美咲は複雑な表情で遥斗を見つめた。何か言いたげだったが、結局は小さく頷くだけだった。
「ありがとう、遥斗くん」
鐘の音が鳴り響き、授業の始まりを告げる。
「あっ、もう時間だ。僕、行かなきゃ」遥斗は立ち上がった。
「うん...」美咲も立ち上がる。
「遥斗くん、また...ね」
「うん、またね」
遥斗は背を向けて歩き出した。美咲の申し訳なさそうな視線が、背中に突き刺さるのを感じながら。
翌日の朝、食堂で遥斗はぼんやりとした様子でスープをすすっていた。
「やあ、遥斗」
声をかけられて顔を上げると、トムが立っていた。
「あ、トム」遥斗は少し力のない声で答えた。
「どうしたの? 元気ないみたいだけど」トムが隣に座る。
遥斗は少し躊躇った後、昨日の美咲との会話を話し始めた。みんなのレベルが上がっていること、演習に出かけること、そしてパーティを組んで旅立つことを。
話し終えると、トムは理解したように頷いた。
「ああ、そうなんだね」彼は優しく言った。
「でも、遥斗。僕たちは戦闘職じゃないんだ。レベルが上がりにくいのは当然だよ」
「うん...そうだよね」遥斗は無理に笑顔を作った。
「それにさ」トムは続けた。
「僕たちには僕たちの役割があると思うんだ。魔道具を作ったり、研究したり。それだって大切なことだろ?」
遥斗は黙ってうなずいた。トムの言葉は正しい。頭ではわかっている。でも...。
「ありがとう、トム」遥斗は小さく呟いた。
トムは遥斗の肩を軽く叩いた。
「気にするなって。僕たちは自分なりのペースでいけばいいんだ」
遥斗は微笑んでみせたが、胸の奥のもやもやは消えなかった。仲間たちと自分との間に広がる溝。それは、単純なレベルの差以上の何かのように感じられた。
学舎に向かう道すがら、遥斗の頭の中はまだモヤモヤとしていた。そんな時、背後から声がかかった。
「おはよう、遥斗くん」
振り返ると、そこにはエレナが立っていた。
「あ、エレナ。おはよう」
エレナは遥斗の表情を見て、少し首を傾げた。
「どうしたの? 何か悩み事?」
「ううん、大丈夫」遥斗は無理に笑顔を作る。
エレナは納得していない様子だったが、それ以上は追及しなかった。
「そう。...あ、そうだ。今日の放課後、勉強会どう?」
「うん、いいね」
授業が終わり、いつものように図書館で3人の勉強会が始まった。トムが魔法の杖で本を呼び寄せる練習をしている間、遥斗はずっと考え込んでいた。
「ねえ」遥斗が突然口を開いた。「みんなに聞きたいことがあるんだ」
エレナとトムは顔を上げ、遥斗に注目した。
「小瓶の生成と質量保存の法則について、どう思う?」
「しつりょうほぞん...?」トムが首を傾げる。
「何のことかしら?」エレナも困惑した表情を浮かべた。
遥斗は深呼吸をして説明を始めた。
「えっと、物質の質量は保存されるっていう法則のこと。例えば...」
遥斗は机の上にある本を手に取った。
「この本があるでしょ? これを燃やしても、灰と煙と熱エネルギーの合計は、元の本と同じ質量になるんだ」
エレナとトムは困惑した表情を浮かべたまま、遥斗の話を聞いていた。
「で、小瓶の生成の時に思ったんだ。僕らがMPを使って小瓶を生成するけど、その小瓶の質量はどこから来てるんだろう?」
「どこからって...魔法で作られるんだから、魔法から来てるんじゃないの?」トムが首を傾げる。
エレナも同意するように頷いた。「そうよ。魔力が形を取ったのよ」
遥斗は頭を抱えた。「でも、そうすると魔力自体に質量があることになるよね? じゃあ、魔力を使えば使うほど体が軽くなるの?」
トムが突然立ち上がった。「おお! それだ! だから魔法使いは空を飛べるんだ!」
エレナは呆れたように溜息をついた。「トム、魔法使いが空を飛べるのは浮遊魔法があるからよ」
「あ、そっか...」トムがしょんぼりと座り直す。
遥斗は必死に説明を続けた。「じゃあ、逆に考えてみよう。小瓶を作るたびに、どこかから質量を奪ってるとしたら...」
「大変だ!」トムが再び立ち上がる。
「このままじゃ世界中の物が小瓶になっちゃう!」
エレナは冷静に言った。「でも、そんなことになってないでしょ? 何百年も魔法は使われてきたけど、世界は変わってないわ」
遥斗はうなずいた。「そうなんだ。だから不思議なんだよ。この現象、どの本にも説明がなくて...」
エレナとトムは顔を見合わせた。
「遥斗くん」エレナが優しく言った。「あなたの考えは面白いわ。でも、私たちにはよく分からないの」
トムも頷いた。「そうだな。俺たちが知ってるのは、魔法を使えば物が出来るってことだけだ」
遥斗は少しがっかりした表情を浮かべた。「そっか...」
エレナは遥斗の様子を見て、何か言おうとしたが、言葉が見つからない様子だった。
遥斗は静かに呟いた。「やっぱり、僕だけなのかな...こんなことを考えるの」
部屋に重い空気が流れる。遥斗の孤独感が、まるで目に見えるかのようだった。
突然、エレナが立ち上がった。
「そうだわ!」彼女の目が輝いていた。
「私の家に、すごい錬金術師がいるの。彼なら何か知ってるかもしれない」
遥斗の顔が明るくなった。「本当?」
エレナは嬉しそうに頷いた。「ええ。今夜、彼に会って話を聞いてみましょう」
トムも元気を取り戻した様子で言った。「おお! それはいい考えだ!」
遥斗は感謝の気持ちでいっぱいになった。
「ありがとう、みんな」
エレナとトムは笑顔で頷いた。遥斗の心の中で、さっきまでのモヤモヤが少し晴れていくのを感じた。
(まだ答えは見つからないけど...一緒に考えてくれる仲間がいる)
遥斗は、新たな希望を胸に、エレナの提案を楽しみに待つことにした。