151話 異世界航路、荒ぶる出航
甲板の上で吹き抜ける風を感じながら、遥斗は大きく深呼吸をした。
広大なレーゲン湖の水面は陽光を受けて煌めき、その先には霞んだ地平線が続いている。
船の両舷からは白い波が立ち、「シルフィスの風」は順調に航行を続けていた。
「すごいな...こんな大きな帆船に乗るの初めてだ」
遥斗は感嘆の声を漏らす。
三本のマストには真っ白な帆が風を孕み、その迫力は圧巻だった。
甲板では船員たちが慣れた手つきでロープを操り、帆の角度を微調整している。
風向きと潮流を読んで絶妙な舵取りを行う様は、まるで芸術のようだった。
「初めての船旅かい?」
後ろからケヴィンの声がした。
「はい。想像以上に快適で驚いています」
「そうだろ?この船は商船とは言え、貴族の送迎にも使われるんだ。船室だって上等なものさ」
確かに船内の設備は豪華そのものだった。
二層に分かれた客室は広々として清潔に保たれ、食堂には白布の掛かったテーブルが並んでいる。
マーガスとユーディ、エレナは今頃、その設備の探検に出かけているところだった。
「あれを見てごらん」
ケヴィンが指差した方向には、巨大な水路が見えた。
両岸には切り立った崖が聳え、その間を縫うように船は進んでいく。
「シルフィス川の始まりだ。まるで大地が裂けたみたいだろ?」
遥斗は息を呑む。
崖の上からは滝が幾筋も流れ落ち、その飛沫が虹を作っている。
岸辺の木々は風に揺られ、まるで旅人を見送るように手を振っているようだった。
「ヴァルハラ帝国の水運を支えているのは、このシルフィス川なんだ。帝国の大動脈とも言えるわけさ」
ケヴィンの説明に遥斗は頷く。
改めて見上げれば、青空には白い雲が浮かび、鳥たちが自由に羽ばたいていた。
「遥斗くーん!」
エレナの声が聞こえる。
「食堂でお茶会が始まるわよ!サラさんが誘ってくれたの!」
甲板から船内に戻る途中、遥斗は再び後ろを振り返った。
レーゲン湖は海のように広大で、その青は空の青と溶け合い、境界を見分けるのが難しいほどだった。
(これが異世界の船旅か...)
そんな感慨に耽りながら、遥斗は食堂へと足を向けた。
船内の食堂は陽光が差し込む明るい空間だった。
白いテーブルクロスの上には銀の食器が並び、温かい紅茶が注がれている。
「では、お互いの能力を確認し合いましょうか」
サラが丁寧に切り出した。
「私達は護衛が専門です。より効果的な防衛のためにも、皆様の戦闘スタイルを把握させていただきたいのです」
ケヴィンが紅茶を一口すすって話し始める。
「俺はバロッグ流槍術の使い手でね。槍の射程を活かした中距離戦闘が得意さ。敵の攻撃範囲の外から仕掛けられるのが持ち味なんだ」
「バロッグ流...!」
マーガスが驚きの声を上げる。
「知っているのか?」
「ああ、アストラリア王国でも有名な槍術流派だ。習得は困難を極めると聞くな。見直したぞ」
「君詳しいんだね。何かやってるのかい?」
「まぁ色々とね...ふふっ」
優雅にティーカップを回しながらマーガスが答える。
サラが次に説明を始める。
「私は幻術魔法と補助魔法を使います。護衛対象の姿を幻で隠したり、緊急時の逃走を手助けするのが主な役割です」
「へぇ、幻術って珍しいですよね」
エレナが興味深そうに聞き入る。
アレクスは黙々と紅茶を飲んでいたが、ケヴィンに促されて重い口を開いた。
「...大盾で守る。それだけだ」
短い説明だったが、その背中の巨大な盾が雄弁に物語っていた。
「では、こちらの説明もさせていただこうか」
マーガスが話し始める。
「俺は白銀操術戦士だ。魔力で金属を操り、あらゆる武器と武術を己が力と変える」
「レア職業じゃないか!」
ケヴィンが驚いた表情を見せる。
「私は錬金術師です。アイテムの製造を担当します」
エレナは簡潔に説明し、サラが興味深そうに頷く。
「僕はアイテム士です。よろしくお願いします」
遥斗が少し照れくさそうに説明する。
「アイテム士?冒険者パーティでは珍しい職業だね」
「あ、はい、皆さんのお邪魔にならないようにしてます...」
「私は剣士だ」
ユーディは簡潔に答える。
その態度には皇帝としての威厳が微かに漏れていたが、アイアンシールドの面々は気付いていないようだった。
「なるほど、採取パーティらしい構成ですね」
サラが感心したように言う。
「後衛に錬金術師とアイテム士、中衛に白銀操術戦士、前衛に剣士。私達の守り方も見えてきました」
「ところで白銀操術戦士ってどんな戦い方するんだい?」
ケヴィンが興味深そうに尋ねる。
「ふっ、見せてやろうか?」
マーガスが得意げに立ち上がりかけたその時。
「お客様!船室にお戻りください!」
船内に響き渡る大声が、穏やかな会話を遮った。
「モンスターの気配あり!至急避難を!」
甲板からは船員たちの慌ただしい足音が聞こえ始める。
突然、大きな衝撃が船を襲い、テーブルの上の食器が大きく揺れた。
「何だ!?」
マーガスは即座に立ち上がり、扉に向かって駆け出す。
「ちょ、待ちなさいよ!考えなしに動くな!」
エレナが苛立たしげに声を上げる。
しかし足は既にマーガスの後を追っていた。
「行くぞ佐倉遥斗!」
ユーディの声に、遥斗は無言で頷く。
マジックバックを手に取り、二人も食堂を飛び出した。
「おいおい、護衛対象が先に行っちゃうとか、これは恥ずかしいねぇ」
ケヴィンが苦笑しながら槍を手に取る。
「アレクス、サラ、行くよ!」
「了解です。でも、これって契約後の初仕事になるんですかね?」
サラが冗談めかして言う。
アレクスは既に巨大な盾を構えて、仲間の前に立っていた。
揺れる廊下を駆け抜けながら、彼らは甲板へと向かっていく。
船は更に大きく揺れ、時折悲鳴のような声が聞こえてきた。
事態は刻一刻と深刻さを増していた。




