15話 予期せぬ同盟
翌日の学舎近くの演習場、うっそうとした森の入り口に生徒たちが集まっていた。木々の間から漏れる陽光が、緊張した面持ちの生徒たちの顔を照らしている。
アルフレッド先生が咳払いをして、全員の注目を集めた。
「さて、今日は実践訓練を行います」
その声に、遥斗は思わず背筋を伸ばした。
「この森で、実際にモンスターと戦ってもらいます。目標は弱いモンスター、スティンクブロッサムです」
ざわめきが生徒たちの間を駆け抜ける。遥斗は図書館で借りた本で読んだスティンクブロッサムのことを思い出していた。
「三人一組のチームを作ってください。そして...」
アルフレッドの言葉が途切れる前に、後ろの方で騒がしい声がした。
「おい、異世界人」
振り返ると、三人の貴族の子息たちが遥斗を見下ろすように立っていた。中心にいる金髪の少年マーカスが、鼻で笑いながら言う。
「お前、いつまで変な質問して授業の邪魔するつもりだ?」
遥斗は言葉に詰まる。確かに最近、自分の質問で授業が中断されることが多かった。
「そ、それは...」
「マーカス、やめなよ」
トムが割って入る。しかし、マーカスは冷ややかな目でトムを見た。
「黙ってろ、平民。お前の言うことなど聞く価値もない」
トムは歯を食いしばったが、それ以上何も言えなかった。
その時、凛とした声が響いた。
「いい加減にしなさい、マーカス」
振り向くと、そこにはエレナが立っていた。その眼差しは厳しく、マーカスたちを見据えている。
「エ、エレナ...」マーカスの声が少し震える。
「遥斗くんの質問は、私たちが当たり前だと思っていることに新しい視点を与えてくれるのよ。それを邪魔だなんて、あなたの見識の狭さを露呈しているだけよ」
マーカスたちは言葉を失い、そそくさと離れていった。
エレナは遥斗に向き直り、微笑んだ。
「遥斗くん、私たちでチームを組まない?」
遥斗は驚きのあまり言葉が出ない。エレナが自分たちと組むなんて。
「僕も一緒にいいかな」トムが恐る恐る言う。
「もちろんよ」エレナの笑顔に、遥斗とトムは安堵の表情を浮かべた。
森に入ると、周囲の空気が一変した。さまざまな植物の香り、小さな生き物たちの気配。遥斗は緊張しながらも、この異世界の自然に心を奪われていた。
「気をつけて」エレナの声に我に返る。
「スティンクブロッサムは臭いで気配を消すことができるわ」
遥斗は頷き、周囲を注意深く観察し始めた。図書館で読んだ知識を総動員する。
(スティンクブロッサムは日陰を好むはず...そして、特殊な花粉の跡が...)
「あそこ!」
遥斗が指さす方向に、確かに大きな花の形をしたモンスターがいた。中心からは花弁が触手のように這い出し、花びらは鮮やかな赤と黄色のまだら模様。まさに本で見たとおりの姿だ。
「さすが遥斗くん!」エレナが感心したように言う。
「じゃあ、私が前に出るわ。二人はサポートお願い」
エレナが剣を抜くと、スティンクブロッサムは突然動き出し、花弁から粉塵を飛ばし始めた。
「トム、左側を牽制して!」エレナが叫ぶ。
トムが素早く動き、モンスターの注意を引きつける。エレナはその隙を突いて剣を振るった。鋭い刃がスティンクブロッサムの茎を切り裂く。モンスターは悲鳴を上げて倒れた。
「やった!」三人の声が重なる。
スティンクブロッサムが倒れると、その体が光に包まれ、小さな塊となって地面に落ちた。
「あれは...ドロップアイテムね」エレナが近づいて言った。
遥斗が恐る恐る拾い上げると、それは花びらのような形をした、鮮やかな赤と黄色のまだら模様の小さな結晶だった。
「うわっ、すごい匂い!」遥斗が思わず顔をしかめる。
「それがスティンクブロッサムの特徴的な『芳香結晶』よ」エレナが説明する。
「錬成の素材になるわ」
トムも興味深そうに覗き込む。
「へえ、こんなに小さいのにすごい臭いだな」
三人は珍しいアイテムに夢中になり、しばらくそれを観察していた。遥斗は特に熱心で、結晶の形や色、匂いの強さなどを細かくチェックしていた。
「ねえ、これって...」
遥斗が何か言いかけたその時、エレナが急に体を強張らせた。
「し、静かに...」彼女の声が震えている。
遥斗とトムは我に返り、周囲を見回した。そこで初めて、背後から迫る凄まじい殺気に気づいた。
振り向くと、そこには想像を絶する魔物がいた。体長2メートルはあろうかという大型の犬のような姿。全身が濃い紫色の霧のようなもやに覆われ、赤く光る目と鋭い牙が不気味に輝いている。
「シェイドハウンド...なんでこんなところに...」エレナの声が震えている。
遥斗は頭が真っ白になった。今まで見たこともない恐ろしい存在に、体が動かない。
「ど、どうしよう...」トムの声も震えていた。
その時、近くで叫び声が聞こえた。
「あれは...マーカスたち?」トムが声を潜めて言う。
シェイドハウンドはその声に反応し、マーカスたちの方へ向かっていく。
「今のうちに...逃げて!」エレナの悲鳴のような声に、遥斗とトムは我に返った。
三人は夢中で森の中を駆け抜けた。枝が顔を掠め、茂みが足に絡みつく。それでも、背後に迫る恐怖から逃れようと、必死に走り続けた。
ようやく大きな岩場に辿り着いたとき、エレナが立ち止まった。
「ここなら...少しは安全かも」彼女は肩で息をしながら言った。
遥斗とトムも岩に寄りかかり、荒い息を整える。
「あれは...何だったんだ?」トムが震える声で尋ねた。
エレナの表情が暗くなる。「シェイドハウンド...恐ろしい魔物よ。モンスターとは違って、人間への憎悪に満ちている」
「どうやって逃げ切れば...」遥斗が言いかけると、エレナは首を横に振った。
「無理よ。シェイドハウンドの目はほとんど見えていない。でも、その代わりに聴覚と嗅覚が異常に発達しているわ。私たちの匂いを嗅ぎつけて、どこまでも追ってくるし、ささやき声さえ聞き取れるほどよ」
絶望的な空気が三人を包む。しかし、遥斗の頭の中では、次々と思考を巡らせていた。
「あっ!」突然のひらめきに、遥斗は声を上げた。
エレナとトムが驚いて振り向く。
「作戦を思いついた」遥斗は急いで説明を始めた。
「まず、あの高い木に登って。そして...」
遥斗は手短に計画を説明した。エレナとトムは最初は疑わしげな表情だったが、徐々に理解の色が浮かんでいく。
「でも、それは無理じゃない?」エレナが心配そうに言う。
「他に方法がないんだ」遥斗は真剣な表情で答えた。
トムが遥斗の肩を叩いた。「分かった。やってみよう」
遥斗の迫力に押され、二人は承諾した。すぐに行動を開始する。
エレナとトムは協力して、できるだけ重い岩をマジックバッグに詰め込んでいく。その間、遥斗は逃げる時に負った傷にポーションを半分使い、残った「ポーションだったもの」にスティンクブロッサムの芳香結晶を溶かし込んで強烈な臭いのポーションを作った。
「できるだけ高く登って」遥斗が木の下から声をかける。
「重力加速度で威力が上がるから」
エレナは少し困惑した表情を見せたが、言われた通りにした。
「こんな高いところから当てられるの?」トムが不安そうに尋ねる。
「大丈夫、おびき寄せるアイデアがあるんだ」遥斗は自信ありげに答えた。
二人が木に登り終えたのを確認すると、遥斗は深呼吸をした。
(よし、行くぞ)
遥斗は大きな声を上げ始めた。「おーい!こっちだぞ、化け犬!」
何度か叫んだあと、茂みからシェイドハウンドが飛び出してきた。全身が濃い紫色の霧のようなもやに覆われ、赤く光る目には底知れぬ憎悪が宿っている。鋭い牙が不気味に光り、その姿は恐怖そのものだった。
遥斗とシェイドハウンドが向かい合う。一瞬の静寂。
魔物が飛びかかってきた瞬間、遥斗はこれを待っていた。
シェイドハウンド目掛け臭いポーションをぶちまけた。シェイドハウンドの鼻に直撃する。
「ギャウウッ!」魔物が苦しそうに鳴く。
(やった!嗅覚が良いだけに、効果てきめんだ)
その様子を見た遥斗は木の方に走り出し、木の幹に小瓶をぶつけた。割れた瓶からガシャンと大きな音が響く。
シェイドハウンドは凄まじい速さで音のする方向に突進してきた。そして、木に激突。
「今だ!」遥斗の合図で、エレナとトムがバッグを逆さにふり、重い岩をいくつも落とす。
重い岩がシェイドハウンドに直撃。魔物は悲鳴を上げ、紫色の霧となって消えていった。
三人は肩で息をしながら、お互いの顔を見合わせた。そして、少しずつ笑顔がこぼれ始める。
「やった...」トムが小さく呟いた。
突然、エレナとトムの体が淡い光に包まれた。
「これは...経験値だわ。レベルが上がったみたい」エレナが驚いた声を上げる。
トムも嬉しそうに頷く。「うん、僕も感じた!」
遥斗は二人を見つめながら、自分の体に変化がないことを感じていた。
(僕には経験値が入らなかったんだ..でも、みんなが無事で本当に良かった。それに、僕の作戦が役に立ったんだ.)
しかし、遥斗の表情に失望の色はなかった。
エレナが遥斗に駆け寄る。「遥斗くん、本当に素晴らしかったわ!あなたの作戦がなければ、私たち生き延びられなかったかも」
トムも熱心に頷く。「そうだよ、遥斗。君のおかげだ」
遥斗は照れくさそうに頭をかく。「み、みんなが協力してくれたからだよ」
エレナが真剣な表情で言った。「ねえ、遥斗くん。これからは何か質問があったら、私に聞いてね。できる限り答えるわ」
「僕も協力するよ!遥斗の質問、実は僕もすごく興味があるんだ」トムも笑顔で言った。
遥斗は胸が熱くなるのを感じた。(これが...友達なのかな)
異世界に来て初めて、本当の仲間ができた気がした。
「うん、ありがとう」遥斗は本当に久しぶりに心から笑えた。