129話 皇帝の最期
ブラッドベアの巨体が光の粒子となって消え去った後も、ブリード・フォン・リッターの疾走は止まることを知らなかった。
夜風を切り裂くその姿は、まさに雷光のように鋭い。しかし、その前に巨大な壁が立ちはだかる。
皮肉なことに、普段は外敵から城を守るはずのこの防壁が、今は味方を閉じ込める檻と化していた。
高さ5メートル、厚さ1メートルの魔力結晶化した岩壁は、鉄にも匹敵する強度を誇る。
ブリードの瞳が冷たく光る。
「オーラブレード!」
剣術の基本スキルとも言える技ながら、ブリードにかかれば、その威力は尋常でなかった。
青白い光が刀身を包み込み、下段に構えた剣を天へと振り上げる。
刹那、衝撃波が壁を直撃し、まるで砂山を崩すかのように防壁は粉砕された。
グゴゴゴゴォォ!
轟音と共に崩れ落ちる壁を抜け、ブリードはレギアス・ソルの街へと飛び出した。
そこで目にした光景は、まさに地獄絵図だった。
街は炎に包まれ、美しく敷き詰められていた石畳は溶岩のように赤く溶けだしている。
至る所に横たわる遺体―焼かれ、喰われ、引き裂かれた民の姿に、ブリードの心が激しく痛んだ。
しかし、彼は目を背けなかった。これこそが、自分の無力さがもたらした結果なのだから。
「すまぬ皆の者よ。お前たちの無念は必ず晴らして見せる。もう少しだけ待っていてくれ」
歯を食いしばる力が強すぎたのか、口の端から血が滲む。
その痛みすら、今の彼には贖罪の一部のように感じられた。
ブリードが目的地へと向かう足取りは確かだった。
エーデルガッシュから与えられたイメージ地図は既に必要ない。
強大な魔力の波動が、獲物の在処を示していたからだ。
その威圧的な存在感に、軍務尚書の全身が戦士としての本能を呼び覚ます。
建物の上に、その姿を見つけた時、ブリードは一瞬目を疑った。
グリフォンガードには違いないが、その姿は尋常ではない。黄金に輝く頭部と翼、銀色の体毛に覆われた胴体―その姿は隠れる気配すら感じさせない。むしろ、圧倒的な存在感を誇示するかのように夜空に浮かび上がっていた。
その傍らには、深い紺色のローブを纏った大柄な男が佇んでいる。
黒い布で顔を覆い、目元だけを銀の仮面で装飾したその姿は、かつて美咲たちを襲ったダクソ・リスカーグと同じだった。
先手必勝―ブリードの思考は明確だった。
遠距離から一気に間合いを詰め、居合の一撃で決着をつける。
ブリードの体が高速で宙を飛んだ。
しかし、この目論見は脆くも崩れ去る。
グリフォンガードの感覚は人知を超えていた。黄金の嘴が大きく開き、巨大な魔力球が放たれる。
空中では回避も防御も難しい。直撃を受け、地面に叩きつけられ爆発が起こる。
普通のグリフォンガードでさえ、その攻撃でモンスターを易々と消滅させる。
その数倍の威力を持つ一撃を受けて、生存者がいるとは誰も思わなかっただろう。
しかし―
爆煙の中心で、ブリードは悠々と立っていた。
シュトルムヴァッハーで魔力球を受け止め、爆発を斬撃で相殺する―それを一瞬で成し遂げる技量は、まさに神業と呼ぶに相応しかった。
「何者だ」
ローブの男が発する声は、機械的に歪められていた。
「何者だはこちらのセリフだ。こんな所で何をしている」
ブリードの声には怒りが滲んでいた。
「何をしている...か」
ローブの男は思案するように言葉を区切り、感慨深そうに話し続ける。
「強いていうなら救済...か」
「救済...だと?」
その言葉に、ブリードの中で何かが切れた。
「何を救う!!言ってみろ貴様ぁあーーー!」
激情がオーラとなって迸る。その殺気は、これまで彼が放っていたものとは次元が違っていた。
街を焼き、民を殺し、それを救済と呼ぶ狂気に対する、純粋な怒りの具現だった。
しかし、ローブの男はその威圧にも動じない。むしろ、退屈そうな口調で語り始めた。
「よく見れば軍務尚書殿ではないか。こんな所で油を売っているとはな...」
その声には嘲りが込められている。
「滅んで当然だな。何を救うかと聞いたな?我らは世界を救う。この滅び行く世界を」
「世界...だと?」
ブリードの声が雷鳴のように響く。
「戯言はあの世で吐け!貴様らがやっていることは、ただの虐殺だ!」
「ふっ、聞く耳を持たないのは相変わらずの様だな...」
「知った風な事を!!」
その瞬間、大気が震え出した。爆発的な魔力の高まりが、空間そのものを歪ませる。
「職業『剣聖』か...」
ローブの男が興味深そうに呟く。
「確かに凄まじいが...このグリフォンガード・エンペラーに通用するかな、ふふふ...」
帝国最強の剣士と、帝国守護獣モンスターだった怪物の長が対峙する。
遠距離戦を得意とするグリフォンガードと、接近戦の達人である剣聖―戦力差は明白だった。
「皇帝の力を見せてやろう!」
ローブの男の声が高らかに響く。
「アッデッドオーラ!これでグリフォンガード・エンペラーの力は遥かに増幅されたぞ。もはや散りも残さぬ、エクスプロージョンスフィア!」
キュアアアアァァァァーーーー
けたたましい雄叫びと共に、黄金の嘴に魔力が集中する。その輝きは、まるで小さな太陽のようだった。
ドゥオン!
放たれた魔力球は、先ほどの比ではない。その速度も威力も、人知を超えていた。
轟音が炎に包まれる帝都に響き渡り、一瞬、夜が昼に変わったかのような光景が広がる。
「これが雷神と呼ばれた男の最期か、儚いものだ」
ローブの男が勝ち誇ったように言う。
「これでヴァルハラ帝国皇帝、軍務尚書が散った。この2人が倒れれば、帝国に闇と対抗する力はあるまい」
「ギヤァァァア!」
突如、グリフォンガード・エンペラーが警戒の叫びを上げる。
「どうした?」
ローブの男が原因を探ろうと、モンスターに語りかける。
モンスター眼は、先ほど爆発が起こった一点を見つめていた。
土煙の中から、一つの影が浮かび上がってきた。居合の構えで佇む男の姿。
その周りには黄金色の薄いオーラが纏わり、小さな雷が幾筋も這っている。
剣聖のスキル―アブソリュート・ドミニオン。
自身の周囲に展開される絶対領域は、いかなる攻撃をも無効化する。
その姿を目の当たりにしたローブの男は、狂ったように叫ぶ。
「皇帝よ!あいつを殺せ!」
「いい加減にせよ!」
ブリードの声が轟く。
「不敬であるぞ!皇帝を名乗って良いのはこの世でただ一人だ!!」
愛剣を握る手に、全ての思いが込められる。
「吹き荒れろ!シュトルムヴァッハー!トルナーーーード!」
一陣の風が吹き抜けた。ローブの男もグリフォンガードも、必死にブリードを見失うまいとしたが、その姿は掴めない。
そして―
キンッ
背後で剣を鞘に納める音が響く。
雷神の異名を持つ男の力を、彼らはその瞬間に理解した。
首を回して姿を確かめようとした時には既に遅く、2つの頭部が胴体から滑り落ちる。
風が吹き抜けるすれ違いざま、2つの命は終わっていたのだ。
自らを皇帝と名乗った怪物は、こうして最期を迎えた...




