サガルドア 短編小説
『テンプレ転移した世界でロマンスに目指す騎士ライフ 第二幕』
という作品のマルチバース(多元宇宙論)的な観点から、世界線が別の、同じ時代のお話です。
名前表記もこちらは英語表記です。
上記作品とクロスオーバーする瞬間がありますが(二ー8話 バイヨンヌ)、影響ない内容です。
序文
中世ヨーロッパ時代では生水を飲むことは不衛生で危険なこととされ、水の代わりに酒類がさかんに飲まれていた。
実際フランスからスペインまでの巡礼サンティアゴ・デ・コンポステーラを旅するSNSを見ると、今でもやはり水の確保が重要と書かれていたりする。
現在のフランスとスペインの国境をまたがるバスク地方で作られたサガルドアというお酒。
フランスではシードル、イギリスではサイダー、ドイツではアップフェルヴァイン、とそれぞれ特徴は違うが原材料は同じである。
そんな歴史あるお酒を題材にした短話である。
今から時は900年ほど遡る。
世界は文明が発達を始め、農耕は緩やかだが進歩が進み、収穫率も上昇をはじめ、人口が少しずつ増えていっていた。
東アジアの、日本では平安後期、平清盛が産声を上げ、中国では北宋の末期、方臘の乱が起こり、遼も末期を迎え、時代は不安定な情勢を迎えている。
ヨーロッパに目を向ければ、イスラム教徒とユダヤ人を聖地から排除する動きである、十字軍が始まり、指揮者の一人であるゴドフロアがイェルサレム王国を建設した以降のことである。
キリスト教徒達が聖地奪還に喜んだ、その十字軍遠征からも数十年後、その間2度めの遠征を行ったが、世界はそう驚く程は変わるに至らない。
領土や利権を巡る戦いはいたるところで繰り返さる。
騎士が注目される時代だが、民に視線を向ければ、領主に駆り出され剣を振るったかと思えば土を耕し、収穫しても搾取される。
苦しい生活は、聖地を奪還しようが、何も変わらなかった。
そんなヨーロッパの西側の土地に男は二十数年ほど生きている。
男は宿屋を営んでいた。
戦で死んだ父親から受け継いだ店で、母と一緒に営んでいるが、売上は何だかんだで搾取され、小さな楽しみといえば若い仲間内でつるんで飲んで歌う事くらいだ。
男の暮らす街、バイヨンヌがあるのはヨーロッパのビスケー湾。
地元の言葉で言うなら、バスク湾だが、この地の冬は雪が降ることは少ないが、寒く酷しい。
荒れ狂う海に降り続く雨と強風。
バイヨンヌの港はその嵐を避けるように、海岸から少し入り込んだ河川に作られている。
さりとて厳しい冬の荒波は免れず、ぶつかり合って傷まぬようにと、船は陸に引き上げられ、長い冬が開けるのを待っていた。
多くの者は夏にかけて海へとでかけ、船の出せない冬はただ家に籠もり、干した魚で食い繋いでいく暮らしていた。
そんな彼らの収入の柱であるクジラ漁をすべく、陸から船が海に降ろされ航海へ出たのは先日の事。
そして漁を終えた男たちが港に帰る頃合いだ。
男は乾いた石畳を音を立てながら歩いている。
太陽が現れる日数の少ないこの地方では、作物がなかなか育たない。其れ故、漁だけが収入と言って過言ではかった。
そこに変化が現れたのは、100年も満たないほど前だった。
農業効率が上がり、わずかながら人口が増え始めた。
それにより、クジラ漁の効率もクジラ油の需要もあがり、順調に生産が伸びた所に、聖ヤコフの墓、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼が始まったのだ。
巡礼の道の途中であるこの街には巡礼者がやって来ては、金を落としていく。
街で宿屋を営む男は僅かな潤いに期待した。
しかし、その潤いの喜びを感じる間もなく、匂いを敏感に嗅ぎつけ、ブタの様に無様に太った領主が、横暴に搾り獲っていった。
男は努力しても、ただ吸い取られるだけの毎日に辟易していた。
宿を利用していく騎士たちや、僧、そして領主共は、アキテーヌの姫がカペーに嫁いただの、離婚して2ヶ月も満たない期間で、プランタジネット王と結婚した、だと騒ぎ立てているが、搾り取られることに変わりないのだ。
頭が変わったところで自分たちにはさほどの変化などない。
そう、思っていた。
それが変わったのが数年前。
バイヨンヌで大きな戦が起こった。
屈強な騎士達が怒号をあげながら攻めて来て、民であり兵士であった男は仲間と共に街の人たちを連れて、真っ先に逃げ隠れた。
黄金の獅子が3匹描かれた紋章を見たら逃げろと、近年民たちの間で囁かれていたからだ。
城主付の騎士も傭兵達も瞬く間になぎ倒されていった。
街は焼かれ、堅牢な城壁に囲まれた塔に隠れていた領主は、モウモウと粉塵を上げ、激しく打ち壊された塔の中から引きずり出され、曝された挙げ句、斬首されていた。
戦の常である弱き者達の亡骸や、叫び声を聞きながら、再び我が家に帰り、仲間達とともに再建を始める。
何度も経験したことだ。
壊され、奪われ、立て直し、また壊される。
それが神から与えられたこの命の性であり、受入れなければいけない事なのだ。
もう間近にあの厳しい冬が差し迫っていた。
考えるより先に手を動かし、生きる道を拓くのが常だ。
そうして、数日たった。
数ヶ月たった。
新たな領主は現れない。
それならそれで良い。
良くも悪くも受け入れる事が身に染み付いている。
ある日、街の長が、組合を作ると言い始めた。
誰かが組織立って動かねば、再建がままならない。
そう言った。
新しい主は隣の領主がバイヨンヌも併用して収めるということらしいが、積極的に干渉してくる様子は無いらしい。
それが、どういうことか分からなかった。
そして、数年たった今。
男は軽やかに石畳でステップを踏みながら、仲間の元へ歩いている。
アキテーヌに本格的に組み込まれたばかりのバイヨンヌの街は、季節も春ということもあるが、それ以上に活気が溢れていた。
そんな活気溢れる街が更に明るくなるかもしれない計画に、男の足と心は軽やかに弾んでいるのだった。
「おい。兄弟! 」
船で荷を下ろしている黒く日焼けした漁師に声をかける。
「おう。どうした。今回も無事に釣れたぞ! 燻製に持って帰るか? 」
漁師は嬉しそうに男に返事しながら、樽を運んでいる。
「お前、サガルドアって、どうやって作るか知ってるか? 」
「なんだ唐突に。飲みたいのか? 残念ながらこの通り、残ってねぇぞ。」
樽にはサガルドアが入っていたのだろう、バシバシと叩く。いい音が港に響き渡る。
「いや。違うんだ。こないだよ、客の騎士に、言われたんだ。サガルドアをこの街で作ったらどうかって。」
「・・・どういうことだ? 」
「クジラ漁が軌道に乗り始めてるだろう? 油の需要も、ヒゲの需要も伸びてるって、お前、言ってたろ? その話をしたら、その騎士の男によ、船に乗せるサガルドアも作ってみろって、言われたんだよ。」
漁師は荷物を運ぶのを辞めて、男の側にやってくると腕を組んでうなずいた。
「・・・なるほどな。今、船に乗せてるやつは、この街のものじゃないもんな。」
「ああ。それもだが、今回のサガルドア、仕入れが足りなかったんだ。いつもなら、街で消費できる分も用意できるようにしているんだが、それがうまくいかなくてよ。」
「去年は天候も良かったし、材料が不作ってわけじゃないだろう? 味も良かった。単純にうちの街に回ってくる量を減らされたってことか。」
「うちでもサガルドア無いのかって客が多くてよ。」
「 ほーん。・・・そんで、もし来年もそんな状況なら痛手だろうな。うちの街でもこんだけ大漁だと、漁の仲間に入れろっていう奴も増えるってもんだ。そうなると・・・」
「ああ。この街もまだまだ大きくなれる。」
男がニヤリと笑うと漁師も゙ニカッと明るく笑う。
「親父に聞いてみるか。お前も゙来いよ。」
そうして男と漁師は共に並んで歩き出す。
向かう先はこの街の長の家だった。
「親父いるか? 」
「なんだお前達か。漁はどうだった? 」
「順当だ。それより、親父。サガルドアをこの街で作ろうと思うんだ 」
「サガルドアを? 何故だ?」
「最近船に積んでるんだが、アレを乗せてから船乗りの病が少くなったんだ。あくまで、気がするっていうレベルのもんで、根拠と言われたらこまるんだが、それでも今後もサガルドアを船に積みたいと思っているんだ。」
「ふむ。近頃はクジラを追いかけて随分遠くまで行くようになっているからな。病にかかりにくいという感覚は大切だろうな。」
「ああ。そうなんだ。それに、船での楽しみは無くしたくないんだ。だが、最近バイヨンヌに流れて来る量が減っているらしいんだ。」
「そうなのか? 」
長の視線は男に注がれる。
船の荷積みの発注は男が請け負っていたからだ。
その視線を受けて男は素直に頷く。
「はい。去年なら船に積む以外にもウチの店や他の所にも回す量は取れていたんだが、今年は仕入先が、そんな量は無理だの一点張りで、このシーズン分の船に積む量しか手に入れられなかったんです。」
「他を当たれば良いじゃないか。」
漁師は勢い良く椅子に座ると眼の前の自分の父親を見据える。
「親父。そうじゃないんだ。コレは商機だと、オレたちは言いたいんだ。」
「商機か。・・・お前達、そもそもサガルドアが何で出来ているのか知っているのか? 」
男も漁師の横に腰掛けると、共に首を振りながら、真剣な表情で長の次の言葉を待った。
リンゴの収穫は秋に始まる。
サガルドアのできる工程は、先ず、リンゴを集めてそれを木槌で押しつぶしてリンゴを破砕する。
そしてそのリンゴを木箱に入れで圧搾し、クルミの大樽で野生発酵させるという方法だ。
そうして発酵させてから1ヶ月半を過ぎたあたりで、アルコール発酵が見られると、更にそこから4ヶ月ほど熟成発酵させる。
期間としては約半年程度と言う事だ。
男は春から秋にかけて、仕事の傍ら、サガルドアを作る為の環境作りに勤しんだ。
幸いバイヨンヌの街にはリンゴを栽培している家が多かった。
男と漁師は、それらの家々を一軒一軒に、リンゴの収穫後は街に寄進してくれと頼んで回った。
この事業が個人的なものではなく、街全体で行うべき物なので手を貸してくれと、解いて回るのは中々骨の折れる作業だった。
そこで男は、長に頼み込んで旗を上げる事を提案した。
その旗を掲げ、街全体で事業に当たろうと声をかけた所、その旗の効果は絶大で、結果としてほぼ街のリンゴが集まったと言って過言ではなかった。
漁師達が今年の漁の終わりの船上げが港で行われた数日後、街の広場には沢山のリンゴが集められた。
そしてまるでお祭りかのような雰囲気で街の人々も集まる。
復興作業で連帯感の生まれていた事もあるが、皆、来年に向けての仕込み作業に心が踊っているようだった。
それらをいくつかの班に分けて、砕き、圧搾する。
街の男たちは詩を歌いながらリズミカルに木槌で押しつぶしてリンゴを破砕する。
木箱に入れて圧搾する者、圧縮クルミの大樽を作る者、作業するものに食事を振る舞う者、皆が期待に満ち溢れていた。
破壊と再建のサイクルから、開放され、束の間かもしれないが、みんなで仕込んだ酒の出来を願い、次のリンゴの収穫を願う。
軽快な音の響く広場には、大きな樽に貼り付けられた旗が風にはためいている。
赤地に黄金の3匹の獅子の姿。
それは樽から注がれるサガルドアを飲むかのように、大きく口を広げていた。
END
姓や地名、りんご酒に関係する楽器などが生まれるほど、リンゴと深かったバスク地方だが、19世紀頃からビールの拡大、また20世紀の内戦などのせいもあり、リンゴ酒生産は急速に低迷しギプスコア県を除いて実質的に停止してしまったらしい。(ウィキペディア参照 ※1)
その後50年近くほどして再び復活したらしいが、リンゴの生産は減り、今ではバスク地方のりんご酒の原産のリンゴは60%で、残りはほかの地方からの輸入となっている。
※1
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%89#%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9
まえがき修正(2023.12.19.)