6 酒蔵
ツンと独特の匂いが鼻を指す。
「ここの酒蔵の酒はまろやかな口当たりが特徴でね、先帝様も気に入って下さって…。皇家の御用達になって、嬉しくて…。沢山作って景気も好調だったのに、こんなことになるなんて。」
酒蔵の使用人は足を引きずりながら、はらりと涙を流す。
「こんな身体になってしまったら、以前のようには動けないし、もうここもおしまいね」
そう話すと、またはらりと涙を流した。
〇●〇
今のところ、怪しいところは何もない。
秘伝の作り方だという酒造りも確認したが、なにか毒を含ませるような素振りはなかった。
「ううっ、苦しい」
すると突然、案内役を担ってくれていた使用人が、胸を抑えて苦しみだした。
それも束の間、後ろ向きにクラっと倒れてしまう。
慌てて抱きとめるが、彼女の細さに驚いた。細い、というより、痩せこけている。布でふくよかに見せていただけのようだ。
倒れた使用人の顔面は蒼白だ。
(一体なぜ?)
騒ぎを聞きつけた使用人たちが慌てて駆け寄り、各々足を引きずり、腕を抑えながら、使用人を運んでいく。
骨を抜かれたのだ、痛みは想像をはるかに超えるものに違いない。
そんな中、冷ややかな視線を送る者がいることに気づく。
(あれは…)
この酒蔵の主人、杜宣だ。
椿峰の実父であり、先日、横領の罪で、肉刑とむち打ちの刑を受けた張本人である。
葵が送った手紙の返事は、その日の夕刻には届いた。
どうやら差出人にも酒蔵を調べておいて欲しい用件があったらしく、快く情報を提供してくれた上、調査も承諾してくれた。
杜宣は葵が自分に視線を送っていることに気づくと、少しばつの悪そうな顔をする。
葵が杜宣に近づいていくと、少し吊り上がった目をさらに吊り上がらせる。
「調べ終わったんなら、さっさと帰ってくれ!あんたらお役人はもう十分調べただろ…」
そう言うと、目にほんの少し涙を浮かべる。
「申し訳ありません。私は最近官吏になったばかりでして。以前の調査には同行しておりません故、一から調べているのです。そこで少々お伺いしたいのですが。」
役人であれば、増してや罪人に対してなら、もう少し高圧的でもいいかとは思うが、葵はあまりそれを好まない。
主人は、溜息をつきながらも応じてくれる。
「何が知りたいんだ」
「奥様が亡くなられた時のことを教えて下さい。」
「関係ないだろう、今回のことと。」
「答えないのですか」
少し冷淡さを強調すると、主人は否応なしに口を開かされた、というように話し始める。
「さっきの使用人みたいだったさ。身体が元々弱くて、酒蔵に来ただけで気分が悪いとか言って、身体中赤くしていた。医師は毒だというが、うちにはそんなものはない。数ヶ月前にここで倒れて、そのまま死んじまった。」
「そうでしたか」
葵は主人の顔を本人にバレないように注意深く観察する。嘘はついていなさそうだ。
「それともう一つ。使用人さんたちがあんなに痩せこけているのはなぜですか。」
「それは分からん。数ヶ月程前から皆あまり飯を食わなくなった。手足が痺れるとか言ってやめていくやつもいたし、さっきの使用人のように倒れるやつも増えた。でも…」
そこまで言うと、主人は泣き出した。
主人が続けようとした言葉の先にある情報はもう既に葵は把握している。手紙に添えられていた。
皇家の人間が祝い事を行うからと言って、酒を大量生産させていた。本来、数年の熟成が必要なため、労力も限られているし、多くを生産することは不可能だった。
にも関わらず、それを強制した。使用人たちのことも十分気にかけてやることはできなかっただろう。椿峰曰く。母親が死んだのは最近だ。自分の妻のことさえ気にかける余裕がなかったと考えるのが妥当だ。
この様子では当分、酒をつくることすらままならないだろう。近いうちに皇家御用達を外されるかもしれない。
葵は蔵を出て、花街へと急いだ。
○●○
「葵ねえさん、よびましたか?」
瑠璃の間を少しばかり椿峰が覗き込んでいる。
「うん。お入り。」
そう言って、黒糖を出す。なかなかの高級品だ。
椿峰は目を輝かせて黒糖に飛びつく。
カリカリとかじる様子は、幼子らしさを余計に感じさせる。
「椿峰。手を出して。」
そう言うと、椿峰は首を少しかしげながら黙って小さな手を差し出す。
葵は椿峰の差し出した手の衣を少し捲り、細い腕を露わにさせる。
そこに、濡れた手拭いを当てる。
椿峰は葵が何をしたいのか理解できず、ただただ黙って従っていたが、しばらくすると、顔をしかめ始める。
「我慢しなくていいよ、どんな感じか教えて」
「かゆい、かゆいよ」
葵は慌てて手拭いを取る。椿峰の腕は真っ赤になっていた。
「ごめんね、すぐ冷やすから」
葵は持っていたもう一枚の手拭いを。予め用意していた水桶に浸し、丁寧に椿峰の腕をふき取る。
「なんなの?」
椿峰は目に少し涙を浮かべながら、恐る恐る聞いてきた。
その目は父親にそっくりだった。
「椿峰はね、酒精膠原病なんだと思うよ。お酒にすごく弱いんだ。酒蔵にいた時、息苦しくなったり、ぶつぶつが出たことがあったりしなかったかい?」
そう言うと、椿峰は目を見開く。図星だったようだ。
「これは遺伝で起こることが多いからね。きっと椿峰のお母さんもお酒に弱かったんだと思うよ。重度のものだと、死に至ることもあるからね。椿峰の場合は、かゆくなるのに時間が少しかかったから、椿峰のお母さんよりは酒精に耐えられるみたいだけど、危険だから、お酒の席には行かない方が良いかもね。」
それを聞いて、母の死因を知れたことに安堵したのか、椿峰はほろっと涙を流した。その姿もまた、父親にそっくりだった。
これはあくまで葵の憶測だが、あの酒蔵の主人はすごくこころの優しい人物ではないだろうか。妻が酒蔵にいた時と同じような症状を出した娘を見て、ここに置いておくのは危険だと思った。また同時期に、横領が発覚した。
少しでも、椿峰が苦しまないように…。そのために妓楼に送ったのではないか。
(考え過ぎかな)
ようやく少女らしい一面を見せた椿峰を見て、葵も心の奥底でほっとしたのだった。
椿峰が晴れやかな笑顔で出ていったのと入れ替わるように、女主が入ってくる。
「帰ってくるなり、なんの報告もないとは思ったけど、まさか先に禿に伝えるとはね。」
女主は妬ましそうに葵を見る。
「悪かったね、どうしても先に伝えたくてね。」
「へえ、あんたにも人間の心ってもんがあるんだねえ」
憎まれ口を叩く女主を半目で軽くにらみつけると、頭をパシッと叩かれた。
「で?桃林も酒精膠原病ってことで良いのかい?」
「うーん、まあね」
葵は何か引っかかるような物言いで伝えるが、女主は満足したようだ。
何しろ、既に店を三日閉めている。女主としては、営業を早く再開したいところだろう。
ましてや、毒でなかったと分かった限り、店の看板に泥が塗られることもないのだ。
「桃林の客には悪いことをしたよ。葵、今度客にとってやってくれ。」
「ああ、そうだね。私もちょいと聞きたいことがあるしね。文でも出しておいてくれ。」
女主が出ていった後、葵は改めて机に向かう。
もしも、本当に酒蔵の主人が家族や使用人のことを重んじられる人だったのならば、わざわざ皇家御用達という立場にありながら、横領などするだろうか。
皇家の御用達ならば、自然とお役人たちの目に触れる事も多いだろう。横領もバレやすくなる。では何のために、横領したのか。
それに。
使用人たちのあの症状。
葵には見覚えがあった。
葵がこの妓楼に入ったばかりの時、似たような症状で死んでいった顔の白い小姐がいた。
その小姐は、痩せこけ、回復することなくそのまま死んでいった。
原因となったのは、あの白粉。異常に白く見せることのできる毒物。
鉛白白粉だ。
あの使用人たちの体調不良の症状はどれも、鉛中毒の症状と合致する。
手紙の差出人が葵に酒蔵を調べろと言った、最大の理由。
それは最近、高官たちが次々と倒れ、痺れや腹痛を訴えていたからだった。
わざわざ酒蔵を調べろと言ったのは、最初から酒蔵に目をつけていたからだ。
つまり。
あの酒蔵で造られている酒の中に、鉛の成分が含まれているということだ。
葵が見る限り、工程に問題はなかった。
知らず知らずのうちに、どこからか混じっているのかもしれない。
葵は筆を取り、詳細を記していく。
書き終えた後、いつも通り鳥の刻印を押して、文を出しに行く。
花街には灯りが灯り始めていた。
○●○
「女主。例のお客に文、出しておいてくれたかい?」
あれから数日たち、蝶天閣もすっかり賑わいを取り戻している。
というのに、桃林が相手をしていたお客はまだ現れない。
すると女主は険しい表情で葵に近づくと、耳元で囁いた。
「さっき聞いたんだけどね、」
周りに人がいないのを確かめてから、さらに声を潜める。
「あのお客、自分の部屋で死んでいたそうだよ。首を吊って。」
窓からは、季節外れの肌寒い風が吹き込んでいた。
一般的にはアルコールアレルギーと呼ばれることもあるそうですが、実際の正式名称は異なるようです。
皆様もアルコールの摂取には気をつけてくださいませ。
※膠原病という表記に、アレルギーとフリガナを打っていますが、調べた末にそう表記しています。
実際とは異なるかもしれません。ご了承ください。