5 事の発端
事は突然起こった。
「だ、誰か、薬師を…医師を…!」
事の後はとても騒がしかった。なぜか泡を吹いている妓女と、それを取り囲むようにしている、ざわざわと騒ぎ立てる妓女たちと、客に食ってかかる女主と、慌てて医師を探しに行く男たちと。
四半刻後に来た薬師は言った。
もう助からない、と。
〇●〇
「なんだったんだろうねえ」
死んだ妓女の棺を前にして、丹華は呟く。
「あの薬師の見立てでは、毒だってことだけど、なんの毒かは分からないって言うしねえ、怖いねえ」
蘭世も同じように呟きながら、死んだ妓女の髪をそっと撫でる。
「この娘、良い子だったんだよ。元々名家の出だったから、気立てが良くて、素直で。これからどこへでも嫁いでいけるだけの礼儀作法もあったのに。」
ほろっと涙が蘭世の頬を伝う。
死んだ妓女は禿時代、蘭世に付いていた。禿が妓女を小姐と呼ぶように、妓女と禿の間には姉妹のような絆が生まれることも稀ではない。
「せめて何からその毒を摂取したのかが分かれば良いのにねえ」
ふと葵の口から漏れたひとりごとに反論する者は誰もおらず、それを境に、皆口をつぐんでしまった。
〇●〇
「葵。ちょいと話があるんだが」
夕刻、女主が瑠璃の間を叩く。
葵が戸を開けると、女主がスルッと入ってきて、手早く閉める。
「何だい?」
葵が聞くと、女主は小声で話す。
「昨夜死んだ、桃林の死を突き止めて欲しいんだよ」
桃林というのは、あの泡を吹いて倒れ、死んでしまった妓女のことだ。
「毒なんだろ?」
「お前も言っていただろう?せめてどこから摂取したのかでも分かれば…って。どんな毒かも分からない、何から入ったかも分からない、自殺か他殺かも分からない。うちの名に傷が残るだけじゃないか。客に混ぜられたのかと思って、思わず食ってかかっちまったけど、客は身に覚えはないというし。」
「そうは言ってもねえ…」
調べる術がないのにどうしろというのだ。なんにせよ、分からないことだらけなのだ。
「やるだけでもやってみておくれ。ある程度のほとぼりが冷めるまで、うちは営業できないし、その分お前には時間ができるだろう?」
「分かったよ」
葵は大きなため息をつく。まず手始めに何からすれば良いのかも分からない。
うーん、と悩んでいると、背後から視線を感じる。
振り返ると、女主が閉じていったはずの戸が少しだけ開いていた。
「誰かいるのかい?」
すると、ひょこっと小さい娘が顔をのぞかせている。見たことある顔だがいまいちピンとこない。
「ごめんね、葵。ちょっとこの子が気になったことがあるっていうもんだから。葵は賢いから、もしかしたら、と思って連れて来たの。」
入るときは声掛けしなさい、と、丹華はその小さい娘に言う。
「構わないよ。どうぞ、入って入って」
すると、その小さい娘は葵が出した座布団の上にちょこんと座る。
「こういう時は、失礼します。って言うのよ。」
まるで丹華が母のようだ。いや、丹華の年齢だと、このくらいの子がいてもおかしくはないのだけれど。
「この子はね、こないだ入ったばかりの子で、まだ五つなの。劣悪な環境で育ったのと、大人しいのとであまり話せないんだけど、素直で可愛いから、私の禿にしたの。名前言える?」
そう言って、丹華が小さい娘の背中を優しく叩くと、その小さい娘はピンと背筋を伸ばして礼をする。
「椿峰、といいます。よろしくおねがいします。」
たどたどしく礼をする姿は愛くるしい。
「ね、可愛いでしょ?」
丹華は椿峰の頭をひたすら撫で続けている。よほど可愛がっているらしい。
「葵ねえさん。きのうしんじゃった桃林ねえさんのことで、葵ねえさんにきいてもらいたいことがあります。」
「何だい?」
このくらい年の子を相手するとなると、葵の態度も自然と柔らかいものになる。
「桃林ねえさんは、かおがあかかったの」
(ん?)
何が言いたいのか、あまり良く分からない。どういうことだろうと思案気な表情をしていると、丹華が説明してくれる。
「この子ね、私の禿なんだけど、昨日は私が癖のある御客をとったから、桃林の方に行かせたの。で、一部始終を見ていたんだけど、桃林は息苦しそうにして、顔を赤くして、突然泡を吹いて倒れたって言うのよ。」
丹華の話に椿峰は大きくうなずく。
「しんだわたしのかあさまもそんなかんじでした。」
「椿峰の一家は酒蔵だったの。ほら、あの例の…」
丹華は通訳しながら言葉を濁す。
最近売られてきた子で、実家が酒蔵を営んでいたのなら、答えは簡単に導ける。
横領が見つかって刑を受けたという、皇家御用達の酒蔵だ。
「ああ。」
でもそのくらいの立場なら、教育はある程度受けるはずだ。どこが劣悪なのか良く分からないが、まあ一旦置いておくことにする。
「あの酒蔵で椿峰のお母さんは仕事をしていたんだけど、ついこの間、突然亡くなったんですって。」
「しぬまえまで、あたまがいたいっていってたし、ぶつぶついっぱいだったから、びょうきとおもったけど、おいしゃさまはどくだって。」
「毒…」
「さっき禿たちに聞いて回ったら、桃林も確かに、頭を痛がることもあったし、具合が悪そうではあったらしいの。本人はあまり気にしていなかったらしいけど…」
うーん、繋がりそうなのに何かが引っかかる。
「椿峰。あなたの実家、どうなったか知ってる?」
こんな幼い子に、それを聞くのは酷なことかもしれないが、今は椿峰の情報を頼るしかない。
「うーん、みんなほねをぬかれて、とうさまはむちうちもうけるっていってたきがする。わたしはそのまえにここにきたからどうなったかはわからない。」
酷なことを聞いているのに、椿峰の態度は淡々としている。聞いているこっちが拍子抜けするほどだ。
「そうか…」
ということは、酒蔵はまだ取り壊されていないかもしれない。それならまだ望みはある。
葵の表情が変わったのを見て、丹華は察知したらしい。
じゃあ、頼むわね、と言って椿峰を連れて行った。
(取り敢えず、酒蔵の情報が欲しい)
葵は筆を手に取ると、紙にさらさらっと用件だけを書く。
忘れず、早く返事をくれとも書いておく。
封をすると、蜜蠟を垂らす。
その上から強く印を押す。
その刻印には珍しい鳥の絵が彫ってある。
(さてと)
葵は次の行動に出るため、女主に話をしに行った。
椿峰は、恐らくチュンファン、と発音すると思うのですが(調べてみた結果)、個人的にホウの方が気に入ったので、チュンホウ、にします。