3 悲しい事実
なんかおかしいな、なんかかみ合わないなと思われると思いますが、それは作者が一番思っているので、しばしご了承ください。過去の投稿の辻褄合わせを早急に行います。
すみません(m´・ω・`)m …
明け方、広い広い庭を抜け、裏口の方に回る。
手拭いを井戸から汲んだ水で絞り、水の張った桶を持って部屋に入る。隅々まで、行き渡らないところがないほどに部屋を拭き回る。
「新しく入ったばかりなのに、すまないねえ。何しろ突然のことだったから、整理されていなくて。人手が足りないもんだから…。」
「いいえ、こんな生まれの者なのに、よくして頂いて。ありがとうございます。」
そう笑いながら、またせっせと床を拭く。
そしてーーーーー
「見つけた」
にいっと笑った。
〇●〇
お昼時、下女たちで食事をとっていると、数人の下女たちの腕に、痣があるのが、袖で見え隠れしていた。
直接聞くのは失礼なので、聞かぬが仏と思い、気づかなかった振りをしていたつもりだったが、無意識のうちに、チラチラしていたのに気づかれていたらしい。
その内の一人が袖をまくって、腕を差し出す。
「…それは?」
「この家の造りが特殊でね、すぐあちこちにぶつけるのさ。でも、働けるところがなくなってしまったからね。あんたは臨時で雇われたんだろ?主人のいない屋敷は取り壊されるだけさ。あんたも次の働き口探さないとね。」
どこかしんみりとした表情をしつつも、そう話す彼女の心の奥では、この状況を望んでいるような気がした。
(そろそろ切り出すべきか)
「みんな、ご飯食べた?片付けたら、水菓子でも食べましょ。丁度頂いたものがあるのよ。」
今の会話を聞いていたのか、いなかったのか。どちらとも取れるような様子で、奥様は姿を現した。
どうすべきかは非常に悩んだ。でもこれははっきりさせなければならないことだ。
「あの」
その一言に皆の視線が自分に集中する。
「どうしたの?」
奥様が柔らかな笑みでこちらを見る。
「確認したいことがあるのです。」
「何かしら?」
変わらない笑みを向けられる。
「その痣は、この家の亡き主によってつけられたものですか?」
遠回しに聞いてもしょうがない。単刀直入にいくことにした。
「違うわ。この家の部屋は本当に変わった造りをしているから、皆初めは掃除するだけでもあちこちにぶつけるの。失敗ばかりでほんと…」
食ってかかるかのように返事が返ってくる。しかしその直後、そう話す下女の頬に濡れたものが走った。
「先ほど、床拭きをしていたら、あるものを見つけました。」
「あるもの?」
奥様が返す。その声は先ほどよりも弱々しく、何かを懇願しているようにも取れた。
「床に真新しい傷が残っていました。まるでひっかいたような跡です。同じような跡で、時間がある程度経ったものもいくつかあり、そのどれもに、わずかですが血がこびりついていました。他にも、飛び散った血痕も残っています。」
それを聞いて、数人の下女が顔を青ざめる。
「そこは、紛れもなく、先日亡くなられたこの屋敷の旦那様の寝室なのです。」
「な、なにが言いたいの」
下女の声が震えている。奥様は明らか動揺していた。
「これはあくまで私の憶測ですが、あなた方下女の中には、夜、旦那様の寝室に侍る人がいたのではないでしょうか。それも強制的に。そこでは言葉にしたくもありませんが、あんなことやこんなこと、強いては暴力に至るまで、痛い目に遭わされていたのではありませんか。ひっかいた跡は、それを抵抗した痕跡といったところでしょうか。」
その言葉にわなわなと唇を震わせる下女たちがいる。
「しょ、証拠はあるのかしら」
「その痣もそうですが、もう一つ…」
隣に座っていた下女の手を取り、指を伸ばさせる。軽く爪を押すと、痛っと声を上げる。
「この爪です」
ほとんどの下女がうつむく。
「恐らく、床をひっかいた時の傷口に、床の破片が食い込んだまま、血が凝固してしまい、膿んでしまったのでしょう。血液は時間が経てば黒ずんでくるでしょうし。破片は時間が経てば、中に入り込んでしまう。抜けないまま、痛みを発しているのでしょう。」
しばらく沈黙の時間が続いた。図星だったのだろう。
ただ、これだけでは旦那様を殺した犯人を特定するには至らない。
(さてここからどうするか)
大体の目星は付いているが、この状況下なかなか言い出しにくい。
すると、どこか悲しげな笑みを浮かべた奥様が、しびれを切らしたように話し始める。
「…主人はね、良い人だったの。いえ、私がそう勝手に思い込んでいたのね。ここに居る下女たちは皆、貧しい農村から主人が連れて来た子たちなの。働き口がないなら、ここで働けばいいって。私との間には子供に恵まれなくて、私がそのことをずっと気にしていたから、私のためでもあったの。本当に優しい人なんだと思っていたの。」
奥様の目には涙が溜まっている。
「だけど一週間前、一人の下女が突然倒れてしまって。医師を呼んだら子がいるっていうもんだから、おかしいなと思ってね、そしたらこの有様。騙されたどころじゃないわね、はらわたが煮えくり返るかと思ったわ。今思えば皆、ここに来てから痣ができるようになったし、もっと早くに気付いてあげられたら…後悔したわ。それからは後ろを尾けさせて主人を監視したの。そしたら一昨日、妓楼で遊んでいたことが分かって…。どこまで私を、女を馬鹿にすれば気が済むのかと悔しくて悔しくて…。」
「それでご主人を?」
「ええ、刃物で一突き。呆気なかったわ。」
奥様は笑いながら、涙を流しながら、そう言った。
呆気なかったのは、旦那様の死か、奥様の人生を駆けた恨みか。それは誰にも分からない。
ただ。
刃物で一突きしたのならば、その返り血を浴びた、奥様の衣服が出てくるはずだ。それに、刺された段階ではまだ旦那様が抵抗できた可能性は極めて高い。
ただ、血の付いた衣は見つかっておらず、亡くなった旦那様の遺体に触れた数人の下女の衣服に付いていただけだった。
つまり。
実際には、数人で旦那様を床に押し付けて刺殺したのだ。床に残った傷には真新しいものもあったのに、ここに居る下女の中には、爪の中の傷ができて二日程度の新しい傷を持っている者はいなかった。
二日ほどであれば、多少は黒ずむが、まだ赤みが残っていたり、膿が出ているのが普通だ。
要するに、あの床の傷は、床に押さえつけられた旦那様があがいた証拠だ。
つまり、殺害したのは、奥様ではなく、下女の方だ。
なのに。それを奥様はかばおうとしている。さっきの懇願な眼差しは、真実に深入りするなという意味か。
しばらく考え込んでしまう。しかし、それをどうこうするのは、葵の管轄外だ。
静まり返った卓を後にしようと立ち上がった。
「私を捕えないの?」
奥様が言った。
「それを決めるのは私ではありません。」
報告書になんて記載しようか。今後の奥様の行動次第で考えるべきか。
向き直って帰ろうとすると、また呼び止められる。
「どうして分かったの?私たちが怪しいって。」
葵は軽く息を吐いて答える。
「昨日お伺いした時、旦那様が戸を開けた音で目覚めた、とおっしゃいましたよね?ですが、現に、今日私は明け方から仕事をしていた。戸を開けたのは旦那様とは限らないはずなんです。それを確定できたのは、どなたか第三者がそれを目撃したか、奥様が実際は起きていて、それを見ていたか。そのあたりが少しきな臭かっただけです。」
では、と言って、去る。
こんなにも重たい空気の中で、平静さを保つことなどできない。
「葵」というのは確かに妓女だ。だが同時に、一人の女でもある。
蔑んだように、女を扱われるのは嫌いだ。下女の気持ちが分からないわけではない。
ただ。
どうしても、旦那様が亡くなったことに涙を流した奥様のあの涙を、葵は演技だとは思えなかった。
傾き始めた陽を見上げる。
(報告書、どうしよう)
「葵」としての生活はまだまだ続くのである。