2 手掛かりはどこに
直接ではないですが、ちょっとデリケートな箇所があります。
ご注意ください。
「それで、帰って来たご主人のご様子は?」
「はい、ちょっとは酔ってたみたいですが、意識はちゃんとしてましたし…。もう夜明けをとうに過ぎてましたから、身体を拭く手拭いを持っていったら、そしたら…」
そこでまたその女性は嗚咽を上げて泣き出す。それを見て下働きをしている女たちが女性を慰める。
その下女たちの中には、ところどころ身体に痣がある者たちがいる。虐待を受けて育った中で、拾われて働いているといったところか。妓楼に売られてくる娘の中にもそういった環境から来る者も少なくはない。
この屋敷のなぜかむかつくほどに広い庭の、草むしりでもしていたのか、爪の中が随分と黒ずんでいる。
さらに、血液がかなり付着している下女もいる。
「あの、その血液は…」
「ああ、これは旦那様を発見した時に、何人かで旦那様を揺さぶってしまって…それで…」
下女たちの表情がさらに暗くなる。
慌てて人を呼んで、対処したのだろう。
「すみません、奥様もこのご様子ですし、今日のところはもう…」
慰めていた女の一人が言う。
引き上げろ、と言いたいのだろう。こちらとしても、話にならないので、これ以上は聞いても意味がない。
軽く礼をして、引き上げた。
亡くなった旦那は金貸しの仕事をしていた。
金を貸し、返す日の期日を設ける。日が経つにつれ、利息が上がる。返すのが早ければ早いほど利息はつかず、返す額が少なく済むという寸法だ。万が一、期日を過ぎれば、担保にしていたものを没収する。
この頃は景気も悪く、お金を借りに来る者は多かったらしい。
しかし、返してもらわなければ商売は成り立たないので、取り立てに向かわなければならないこともある。その方面では、恨みを持っている者も多そうだ。
一通り脳内で整理を終えると、着ていた官服を緩める。普段着ているものよりも首を締め付けるので、なかなかに息苦しい。
だが、事件が起こった取り調べをするのは本来、役人の仕事だ。一般人が興味本位に聞いたところで、教えてくれるわけがない。
そのためにも、役人が普段着用する官服が必要なのである。
(なんでこんなことに)
事は一刻ほど前にさかのぼる。
〇●〇
鷹の印の付いた文は、ご丁寧に季節のご挨拶から始まっていた。
葵としては、用件だけさらさらっと書いておいてくれる方がありがたいのだが、どうも差出人はこの手のことにこだわるらしい。
定型文の挨拶のあと、ずらずらと長い文章を読み終わり、文をたたむ。
簡潔的にまとめるとこうだ。
「金貸しの主人の殺された真相を調べよ」
実に面倒だ。
第一、死んだとしか聞いていない。丹華が亡くなった、としか言っていないということは、世間では事故か、はたまた持病か、自殺かと噂されているということだ。
どこにも事件性は感じられない。
非常に面倒だが、こうして文が来ている以上、葵にそれを拒絶する権利はない。
そのための「葵」という人間なのだ。
(やるか)
気の乗らないまま、衣服をしまう箪笥の中をあさり始めた。
官服に着替えた後が、非常に重要だ。
人に見つからぬように外に出なければならない。
そのため、女主に頼んで、瑠璃の間には特別に外につながる隠し通路を設けてある。
妓女が楼閣を抜け出すのは本来、重大な罪だが、葵の場合は特例で女主に事情を話してある。
隠し通路を通って外に出ると、日没まではまだ二刻はありそうだった。
(ちょっと急ぐか)
文に記載されていた旦那の家に向かった。
家に着いて出迎えてくれたのは、旦那の奥様だった。
泣きはらした赤い目をしており、役人服を着た葵を見てまた悲しげな表情をする。
「先ほど、役人の方がお見えになって、主人の亡骸を調べると言って連れて行ってしまいました。でも私はまだあの人が死んだとは思えなくて…。あなた方お役人がいらっしゃる度に、ああ、あの人は亡くなったのだと思い知らされて…、辛いのです。」
すみません、と奥様は涙を手で拭いながら頭を下げる。
「いいえ、ご主人のことは本当に痛ましいことでした。ご主人が亡くなったのは今朝帰られてすぐでしたね?」
「はい、主人が戸を開ける音で私は目を覚ましたのです。主人がやっと帰ったのかと思って見に行ってみたら…仰向けになった血塗れの主人を見つけたのです。」
〇●〇
こうして冒頭に戻る。
役人が引き上げた後だったので、もう一度役人が調べに来たとなると、怪しまれるに違いない。そこで、なるたけ事実確認に近い取り調べをしたが、得られたものは大きかった。
一つは、主人が刃物で刺殺されたこと。部屋に残った血痕からして自殺の線は薄い。
それと、蝶天閣の常連だったにも関わらず、妓楼に通っていることを奥様や下女たちは全く知らなかったこと。
昨日も、仕事に行っていると思っていたらしい。実は昨日そのご主人の酒を注いでいました、なんてことを言ってしまうと、色々とややこしくなりそうだったので、蝶天閣の常連だったことは伏せておいた。
しかし、これだけではなかなか犯人捜しの糸口は見つからない。
うーん、と悩んでいると、町の人の噂話がふと耳に入る。
「金貸しの旦那、死んじまったんだってな」
「ああ、こないだもあの旦那のせいで一家の娘が女衒屋に売られたって言うし…あの横暴さじゃ、天罰が下ったんだな」
なるほど、あまりいい噂ではない。金貸しという商売の特性上、人からは好かれないことの方が多いだろう。
それでも横暴さ、という言葉が何か引っかかるので、噂している男に話を聞くことにする。
「横暴ってどういうことですか?」
男たちは役人に話しかけられることに少々驚いた様子を見せつつも、亡くなった旦那によっぽど不満があったらしい。
殆ど愚痴のような話を聞かせてくれた。
「いやあね、あの旦那のいつものやり方なんだけどよ、何かと要り様だろうとか言って、余分に貸してくれるんだ。合計したら途轍もない大金なんだけどよ。最初なら利子は低くしとくからって良い人ぶってな。」
「そうそう。そしたら気付いた時には返せないほどの額に膨れ上がってるって寸法さ。その代償に、その家の娘を女衒屋に売らせるんだ。その娘が妓楼で売られるようになったら、足蹴に通ってな。身請けもしないのに。今思えば、年頃の娘がいる家にばかりそんなことをしていたよ。初めからそれがお目当てだったんだな。」
なんとも恨みを買いそうな案件である。
「ちなみにですが、その売られた娘は…」
「心労がたたって死んじまったり、身請けされた子は一人もいなかったよ。身請けされる前に子を胎んじまったり、病気になったりして…可哀想なもんだよ」
男たちに軽く礼をして、その場を去る。
何とも胸糞の悪い話を聞いてしまった。
そんなやり方をしていたのなら、妓楼の主から出禁を食らっているはずなのに、それがないということは、金で落とし込んだか、上手く巣くっていたかのどちらかだ。
「女主、今戻ったよ」
小さい声で、女主のいる部屋を叩く。
女主は、ああ、と言って中に入れてくれる。
ぴしゃりと戸を閉めて、女主は葵に向き直る。
「で、何が聞きたいんだい?」
「おや、バレバレかい?」
「あんたが私に話があるのはそういう時だけだろ」
葵は思わず苦笑いする。
「なら、話は早いね。いつも助かるよ。じゃ早速、今朝亡くなった旦那のことだけど、なんか知らない?噂でもいいんだけど。」
「その様子じゃ、あの旦那の遣り口については知っているようだね。そりゃあ世間様からすれば、女衒屋に売るなんて、と思うだろうよ。でもそれが商売だ。妓楼はそうやって成り立っている。お前も妓女なら分かるだろう。」
「まあ、そっちはね。そうじゃなくて私が聞きたいのはさ、」
「あの旦那の貞操観念のことかい?まあ、話には聞いていたけど、うちは妓女たちに堕胎薬は飲ませてるし、禿には絶対手を出させないように目は光らせてるからね。他の妓楼では妓女に暴力をふるうこともあったと聞いていたから、より警戒はしていたしね」
「じゃあ、今まであの旦那が好んで指名していた妓女の特徴は?」
「うーん、最近は作物の育ちが悪いとかで、農村から売られてくる子が多くてね、旦那が指名していたのも大体その中からだったかな。言葉の訛りが強かったり、文字が書けなかったりして、売りに出されるのも早かったね。大体、黒髪の、田舎臭い感じの子だよ。」
「ふーん」
黒髪ということは、近隣の農家だろう。異国から売られてきたわけではない、ということだ。
とりあえず、今までのことを整理してみる。
自分の手付きにするために客の娘を妓楼に並ばせる。時には暴力をふるう。
「出禁にはならなかったの?」
「金で丸め込んでたんだろうね」
どうしようもない奴だ。本当に天罰が当たったとしか思えない。
黒髪の田舎臭い娘を好む。なぜか葵の頭には、ある仮説が浮かんでいた。
「まあ、そんな客なんて別に珍しいもんじゃない。妓楼はそういうところだよ」
「うん」
葵が上の空な返事をすると、パシッと頭をはたかれる。
「痛っ」
「分かったら、さっさとその服を着替えな。あんたは確かに特例だけど、ここに居る限り、妓女としての仕事もちゃんとこなしてもらうよ」
「分かってるよ」
葵は行き着いた一つの結論を思い浮かべながら、自室に戻ることにした。