1 葵
パソコンに残ってたやつ第二弾です。
連載ものなんですが、最後まで書かずして終わっていたので、途中で更新がなくなります。
※現在は執筆をしていません。
暇つぶしに読んでいただければ幸いです。
※ミステリーって指定してますが、言うほどのものでもありません。
※スパイよりも探偵に近いと思います。そのあたり、ゆるゆるしてます。
「はぁ」
日が暮れ、私は今日何度目かしれないため息をつく。
一つ、また一つ、と街の灯りが増えるにつれて、そのため息は深さを増す。
「そろそろ時間だよ、さっさと支度をし。」
店の女主が部屋の戸を叩くので、気だるげな返事を返す。
仕方なく、窓辺から鏡の前に移る。
変わらぬ日々に少々飽きを覚えながらも、気の乗らない化粧を施す。
紅を塗り、軽く紙を食むと、少々濃すぎた色が紙に移り、鏡にはこの楼閣の最高級妓女の姿が映る。
「小姐、旦那様がいらっしゃいました」
禿の声が下から響き始めた音楽の音に混じる。
どうせなら、声をかき消して聞かなかったことにしたい、とも思ったが、そうもいくまい。
今行くよ、と重い腰を上げた。
「それでねえ、ここのところ金を貸してくれって客が増えたもんだから、こっちの儲けも上がったりなんだよ、だから今日は特別に葵葵と丹華の二人を呼んだのさ。まだ蝶天閣に来たことがないっていうこいつらも連れてね。」
後ろでもじもじと慣れない様子を見せる男たちを指して、その旦那は高らかに笑う。
この妓楼こと、蝶天閣蝶天閣には、最高級と呼ばれる妓女が三人おり、中でも一番の妓女には華の一字が与えられる。
上機嫌な旦那の酌に酒を注ぎながら、嬉しいなどと微笑み、後ろにいる男たちの頬を紅く染める丹華を葵は流石だと思う。
蝶天閣の一番の妓女は丹華だ。その名の通り、牡丹の如く赤のよく似合う、それでいて、その派手さに負けない美しさがある。笑えば見た者を惚れさせる。話も上手く、舞踏も一級品。値が上がっても一度で良いからと丹華に会いに来る者がいるのは、恐らくそれが理由なのだろう。
丹華の後ろで口元に手を当て、フフフと営業微笑を浮かべていると、旦那の目がこちらを向く。
「丹華のように赤が似合うのもいいが、葵のように青の似合う慎ましやかな女も良いな」
手招きされ、傍に近づくと、肩に手をかけられ、抱き寄せられる。
が、しかし、それをするっとすり抜け、旦那の目の前に済ました顔で座る。この手のことには慣れている。
「葵よ、わしの相手をせぬか?」
抱き寄せるのに失敗した旦那は少し低い声で正面に控える葵に問う。
この場合の相手というのは、夜の相手のことを指す。妓女であれば、その求めに応じるのが最もだろう。金のある旦那であれば、ましてや最高級の妓女ともなれば、莫大な額を落としてくれるに違いない。
葵は微笑を浮かべながら答える。
「生憎、私はその手の御客をとっておりません故、その求めに応じることはできません。」
旦那の眉間には少々しわが寄り始めている。
だが、ここで引いてしまっては最高級の妓女とは言えない。
「代わりにと言っては何ですが、舞踏を披露いたします。」
そう言ってすっと立ち上がり、衣を引いて構える。
流れる音に身を任せ、滑らかに舞う。
そのうちに、ほお、という感嘆の声が、自然と漏れ始める。
いとも簡単に身を売るわけにはいかない。そのために必死で舞を磨き上げた。
覚えたままの振りではなく、あくまで自然に。たゆたう水のように、滑らかに。
最後に手を付き、礼をすると、拍手喝采が巻き起こる。
初めは渋い顔つきをしていた旦那の顔にも笑みが浮かんでいる。
「そうか、舞踏が売りか。それも良い。」
旦那はまた高らかに笑った。
結局その日、旦那は誰も指名することなく、夜通し丹華が酌をするだけで帰路に着いた。
「葵。いるかい?」
そう言って丹華が戸を叩きに来たのは、もう昼を過ぎた頃だった。
丹華が普段控えている丹朱の間と、葵が普段控えている瑠璃の間は隣同士の部屋なので、丹華はよく葵に話をしに来る。
「いるよ」
そう言うと、丹華が戸を開け、部屋に入ってきて座る。
「どうしたの、小姐」
丹華は少し愁いの表情を浮かべている。今朝方まで旦那の話に付き合っていたのだから、もう少し休めばいいのに、と思う。
うつむき加減の顔をようやく上げた丹華は重い口を開く。
「昨晩来てくれた旦那様、亡くなったんだよ」
「旦那様って、今朝まで小姐と私が相手していたあの旦那様?」
「うん、帰ってすぐ亡くなったと聞いたよ」
帰るときには少々酔ってはいたが、足取りはおぼつかないほどではなかったはずだ。
その旦那が亡くなった。確かに、あまりいけ好かない感じはしたが、そんなのは場を弁えない御客に比べたら大したことはない。少なからず、葵の心も驚きと共に沈んでいる。
「葵。丹華。いるかい?」
女主の声が丹朱の間の方から聞こえてくる。
「こっちにいるよ」
丹華が叫ぶと、女主が瑠璃の間にやってきて戸を開ける。
「今朝の旦那のことは聞いてるね。あんたたちを指名したのは昨日が初めてだったけど、うちの常連さんだったから、今日は店は休みにするよ。」
昨日は連れの男たちに見せつけるように、丹華や葵と話していたが、いつもは下級の妓女たちを指名していたらしい。
この妓楼は、花街でも歴史のある、名のある妓楼だ。
お得意様や大旦那、常連の御客が亡くなった時は、その弔意を表して店を一日休みにする。
女主が部屋から出ていくのをぼーっと見ていると、女主が立ち止まって懐を何やらゴソゴソしている。
「そうそう。葵宛にいつもの文が届いてたよ」
そう言って文を手渡される。裏を見ると、鷹の印が押してある。
「あんまり厄介なことに巻き込まれないようにね。」
女主はそう言い残して、部屋を去る。
後ろからポンポンと肩を叩かれる。
振り向くと、丹華が少し心配気な笑みを浮かべていた。
「今日は店が休みだから、唯一ゆっくりできるのにねえ。でもまあ、気を付けるんだよ。旦那様のこともあるし、最近なにかと不穏なんだから。」
そう言って、また肩をポンポンと叩きながら、丹華は部屋を後にした。
(巻き込まれないように、ねえ)
自ら厄介なことを請け負っているのだから、仕方がない。稀に、何でこんな事をしようと思いついたのか、自分でも不思議に思うことがある。
(ああ、もう既に面倒だ)
布団に身を投げ、仕方なく文を開くことにした。