いわゆる女子会
氷汰に送られ帰路に着いた秋は実家の屋敷に戻った後、一人お忍びでとある店へとやってきていた。屋根に立て掛けられた看板には「止まり木」と達筆な太字で書かれている。度重なる開閉で扉の溝が変形し、がたがたと音を鳴らす扉を秋は開けた。
「らーせー。……秋だ。どうしたの? 振られた?」
「これでも振られない自信はありますが──少し相談でもと思いまして」
出迎えたのは気だるげな小枝の声。彼女は洗った食器の水気を拭っていた。
もはやいらっしゃいませの形をなしていない挨拶も、付き合いの長い秋にとっては慣れたもの。言ったところで暖簾に腕押し、いつもどおりだと顔を綻ばせ適当な席に腰を下ろす。
カウンターに並べられた丸椅子は、華奢な体をぎぎと唸って受け止める。目の前の机同様、綺麗に磨かれてはいるものの、ところどころ傷があるのは長年使い続けられた証だった。
味があると思わせる傷跡は、鳴や九原姉妹がどったんばったんの末出来たもので、過去を知るものにはただの笑い話に過ぎない。
「そっか。注文は?」
「でしたらミルクティーを一つ」
「はーい」
昔話を語る傷跡たちの一つ、鳴が振るった拳の盾にされた丸椅子の凹みを撫でつつ、秋が注文をする。
小枝は食器を拭く手を止めコンロへと移動。小鍋にとくとくと水を流し込み、袋詰めされた紅茶の茶葉もひょいと投げ入れる。
適当そうに見えるが、傍から見ている分には入れる量が変わることはない。
彼女の祖父母から代々続いている店だけあって、長年の技術を叩きこまれた手際は流水の如く淀みない。
「相変わらず器用ですね」
「そー? こんなの慣れ。秋の薙刀が氷汰の前髪を斬れるといっしょ」
「一緒……です?」
コンロに火をかけ沸騰するのを待つ傍ら、秋が相談を口にし始めた。
「……この前の話なのですが」
「ん。どの話?」
「氷汰の子供についての話です」
ぴしりと小枝の動きが固まる。幸い彼女は何も口に含んでいないし、周囲に人もいない。あの惨劇の二の舞にはならず、胸に手を当てほっと息を吐いている。
仕事は若干適当でも、顧客に対する誠意くらいは気だるげな小枝だって持っていた。
「あはー。あれ、ほんとうだったんだ」
いつも表情を大きく変えることのない小枝が苦笑いを浮かべている。
「そうですよ」
そう返した秋の曇りない目は真剣だ。遊びや冗談で言っているわけでもないのが、この場においては質が悪い。小枝は困ったように肩を竦め、ぐつぐつ煮えだした鍋の世話へと戻る。
「……なんで、子供が欲しいの?」
牛乳を注ぎ込みながら再びコンロにかける。牛乳が混ざったことで沸点の変わった鍋の中を見つめつつ、小枝が尋ねた。
秋はもにょもにょと口を動かし、何かを言い悩む素振りを見せると、周囲に誰も居ないことを念入りに確認した。まるで親に内緒で悪戯を仕掛けるような素振りはいつも堂々としているお嬢様の秋にしては珍しい光景だ。
「小枝だけなら教えても構いませんか……」
「言いたくないなら、別に」
「いいえ貴方には言っておくべきことでしょう」
緩やかに首を振った秋は観念したように言葉を続ける。
「私には夢があるのです」
「夢。ドリームの?」
「ええ、その夢です」
「どんな?」
棚からシナモンの袋を取り出し、鍋を見つめながら量を計り、鍋の上へと運び様子を見る。秋を視界に収めず尋ねられた質問に、秋は頬杖を突いて続きを口にした。
「別に大した話じゃありません。いつか町の外から刺激をくれそうな人を見つけたら、その人の子供が欲しいと思っていたんです」
ばしゃり。
カップの中のシナモンが鍋へ墜落する。
「──あちっ。やば」
注ぐどころか叩きつけるのと変わりない勢いはもはやぶちまけたのと変わず、沸騰したミルクティーが跳ねて小さな水柱が出来た。
水滴が頬にかかった小枝が慌てて顔を拭う。
一通り拭き終え、相変わらずまともなことを言わない友人に呆れた目を向けた。
「……それ。大した話でしょ。ウチら、まだ高校生だし」
「ふふふ。……そうですか? でも確かに人には理解されないとは思ってます。やっていることは豊野の力を使った横暴ですから」
熱湯にばたつく友人に頬杖のまま笑いを零す。
豊野の姫として褒められない所作だが、ここは彼女にとって唯一ただの秋として過ごせる場所であり、本音を吐き出しても許される聖域だった。
「自覚あるんだ。──でも。氷汰のこと好きならいんじゃない? ──はい。おまちどうさま」
「ありがとう」
危ないところもありつつ、何とか出来たミルクティーが秋の前に置かれる。
秋用に拵えられた専用の金縁カップは屋敷で出ても遜色ないだろう。
「……ん。ウチも手伝える範囲でなら、手伝う」
「あら。てっきり反対されると思っていました」
「別に。面白いし」
小枝も氷汰に悪印象は抱いていない。秋に対して下手にかしこまらず、いい感じに振り回されているのはむしろ好印象だ。さぞ尻に敷かれるだろうとほくそ笑んでさえいる。
それに、秋があそこまでベタベタしているのも、友人としては面白いのだ。昼間も笑えそうで笑えない出来事だったが、後で思い返す分には面白かったのでよしとしている。
故に、小枝は特に反対するつもりはない。無論、秋と氷汰がお互いに好きであるという前提の話なのだが。
「おねぇー!! なーに面白そーなこと話してるのー!? こいばなこいばな?」
「楓、分かってるなら聞かないで」
裏の生活スペースから突風のように駆けて来たのは楓。静かな店内の話声は裏まで丸聞こえであり、女子組の中ではもっとも恋愛に興味津々。恋に恋する女子として逃すものかと駆け込んで来たのだ。
ここで駄弁ってしまう代償は、宿題や風紀委員の報告書類クオリティに影響するのだが、最終的に半泣きになる流れ含め、最早楓クオリティといっても過言ではない。
「あたしも混ぜてっ! いいですよね秋せんぱい!」
「勿論。構いません。むしろこちらからお願いしたいくらいです」
小枝の軽い文句は華麗なスルースキルで受け流し、ぎっしと勢いよく丸椅子に座って事後報告的確認を秋にとった。
「やった。おねぇ、ミルクティーの余りちょうだい!」
「……ん」
「ありがとー」
小枝が本当は自分で飲むつもりだった残りをマグカップに注ぎ、楓に渡す。
ここで一つも悲しそうな顔すら見せないのが小枝クオリティである。
「で!? で!? ついに秋せんぱいも氷汰さん押し倒すんですか?」
「……押し倒す?」
「……──つぅー、あー。いいです忘れてください解散ですかいさんっ!」
そういえばこの人無知だったと楓が頭を抱えた。昼間の下りなど彼女の頭から半分以上消し飛んでいるし、報告書が終わらないのもそのせいだった。早口で会話を打ち切り、カップを口元へ運びミルクティーに息を吹きかけ冷ます作業へ逃げる。彼女は猫舌だった。
「楓。それは子供を作るのに必要なことなのですか」
「かいさんって言いましたー!」
「秋。これ以上は、ね。霞さんに聞くんでしょ」
「……そうでした」
肩を竦めた小枝が空になった鍋の後始末をしながら、妹の後始末もしてやる。
姉妹の関係が如実に表れていた。
「他に悩みは? そういうの以外で」
「悩み、ですか。あるにはありますが、結局は子供の話に繋がると思うのです」
「……それでもいいから。言うだけでも」
頬杖を辞め、秋が背筋を張る。普段から立ち姿が綺麗なのもあって、姿勢を整えれば口にする言葉を除き、やはりお嬢様なのだと周囲に実感させる。
「氷汰は……私のことを好きではないと、思うのです」
かちゃんと、カウンターに落とされ悲鳴を上げるマグカップ。
息を吹きかけるため持ち上げていたのが運の尽き。カップの中で細波を立てていたミルクティーが滝の如く流れ落ち、カウンターの木目をくすんだ金色で塗りつぶす。
「あづ!?」
その拍子に、手元にかかった熱い液体に悲鳴を上げる少女。
「もー。何してるの」
「ごめんなさい!」
「お客さんいないからいいよ。こっちは拭いておく、カップはシンクに入れておいて」
「……はーい。服も変えてくるね」
「危ないから。次からは気を付けて」
「──うんっ」
小枝の声色は怒っていないこと、妹の身を案じたもの。それを汲んだ楓は曇らせていた顔を一瞬にして明るく塗り替え、頷き一つぱたぱたと駆けて行った。
「ごめん秋。ウチの愚妹がうるさくて」
「ふふ、愚妹は言いすぎじゃないです? いいですよ。楓のことは、まぁ概ね平常運転と言えますから。それより──」
「──」
細くしなやかなお嬢様の指が、小枝の額を小突く。
華奢な体で小突かれても、毎日の手伝いで鍛えられた小枝の体を揺るがす力はない。
しかし、予想外の攻撃に小突かれた姿勢のまま数秒石になっていた。
「お客さん。ここに居ますよ?」
「……のーかんにならない? お友達割引的な」
メデューサの指線(物理)から逃れた小枝が無罪放免を求めるも、秋は首を横に振った。
「お金を払って注文してますから」
「むぅ」
「ふふ、冗談です。その代わり、私にアドバイスをくれませんか? 勿論っ、楓も一緒に」
「……ともだちで、お得意様だから当然。アフターサービスも完備が止まり木クオリティだから」
「それは何よりです」
満足げに微笑んだ秋がカップを手に取る。
処暑の空気に馴染み、飲みやすくなったミルクティーを優雅にすすった。