騒がしい日々を過ごしている
十畳もない本殿はどこもかしこも木で出来ている。それすなわち、冬はとっても冷えている。
当然そんなではやってられないので断熱マットを敷いて最低限の環境を用意。
その上に卓上コンロをセットして、土鍋にこの山で採れたと曰く付き天然水を垂れ流していた。
「ちゃんと見とけよー」
僕のすぐ横で鳴が肩を叩いてきた。
土鍋を囲むがそれ以外の料理もちらほら。喫茶──夜で出されるので料亭「とまりぎ」の店から持ってきたものだ。お陰で少ない手間で多種類の料理を取り揃えている。
持ってきたものを順次並べていくのは手際の良い小枝の仕事だ。
立派に女店主を務める彼女はめきめき成長して今や鳴を尻に敷くようになりました。
──多分、前からだな。
「しゅうさまー。これ届かないんだけど」
「……相変わらずかえではちびだねー」
「むっきぃ! 心は大人だからいいんです!!」
果たしてそれは大人の返事なのだろうかと疑う会話は我らが神様と楓のもの。
そそっかしい彼女たちに準備は任せられないので前時代的故にところどころ穴がある本田の壁にサランラップを貼りつけ防風を行っていた。
冬の間とは言え毎月やるものだから壁には固定に使われたテープの跡が残っている。
「…………あれ、いいのかな」
「ま、神様がいいっつってんだからほっとけよ」
「それはそう」
お金の目処が立ったらここを補修することも考えないといけない。
問題はこんな山奥まで業者を連れてくる方法か……。
「キンキンに冷えていますよ」
「……秋が言うと似合わないからやめてほしいな」
「勝手な理想の押し付けですね」
「おっしゃる通りですけど!」
本殿に入って来たのは自然の外気で冷やしていたクーラーボックスを持ち帰った秋だった。
名実ともに僕たちは大手を振ってお酒を飲めるようになっている。
半ば宴会になるのもいつものことだった。
仕事の飲み会はちょっと面倒だけど、こういうのは嫌いじゃない。
「お疲れ秋。こっち来なよ、あったかいから」
土鍋の前で座る楓が手招きして土鍋の横に座らせる。
一通り防風ラップを張り付け終えた精神子供組も戻ってきていた。
「あったかいですね」
「これもあったまるよ」
楓は燗酒も持ってきていたらしくて、店主らしい慣れた手つきで秋にお酌する。
それを横目に鳴がぱんと手を叩いて注目を集めた。
「それでは」
皆の目が鳴の元へ集まる。
高校生の頃からガタイは良かった方だけど、大人になってますますムキムキになっていた。
農家と喫茶「とまりぎ」の掛け持ちだ。両立するとなればそのくらいないとやっていけないに違いない。……ちょっと憧れはするけど、以前秋に却下されたので豊野氷汰マッスル計画は白紙になった。
「こうして神様の寂しさ埋めようの会も早五年が経ちました」
「鳴にぃ、名前なんとかできなかったの?」
「オレじゃねぇ! 氷汰だよ!」
「違う違う擦り付けるな、しゅう様考案しかないでしょ」
「なんでわたしに決まってるのー!」
爆弾ゲームみたいな責任の押し付け合い。
多分年二回ぐらいやってる気がする。ここまで来ると変えるのもなぁってなるからさ。手遅れなんだよね……口にするたび後悔するけど。
「……その略して寂埋めも定例行事となってますから」
「略し方もダサい」
「私のセンスに文句があるのですか小枝」
「やっぱり主張することって大事」
「あー、はいはいそこもバチバチしないで」
色々乗り越えて割と強気になった小枝と譲らない秋の間を持つのは、いつの間にか僕の役割になっていた。
何回もしたせいか、僕も止め方が適当なのは否めない。
「と、とにかく。わたしくめ信藤鳴が乾杯の音頭を取らせていただきやす」
「……ん? いつもそれやってたっけ?」
料理が出来たらなし崩しでハイ始め、って感じだったと思うんだけど。
「そりゃ勿論──」
鳴がジョッキを突き出した。たぷん、と中のビールが波打った。
「──氷汰が、晴れて豊野の人間になったことを祝って、だ!」
「親御さんの反対で名前、変えられなかったからね」
「おねぇが信藤になるほうが先だったもんね」
そういえばそうだったか。
別に仕事とか生き方が変わる訳でもなく、すでに結婚したことが覆る訳でもない。
あくまで名前として変わっただけだ。
学校じゃ、秋も居るから名前で呼ばれることも多かったし。
大したことのないはずなのに、上手く言葉が出てこない。
「あら、氷汰。もしかして照れてますか?」
「まぁね」
「貴方が素直に頷くなんて珍しいです」
しゅう様は特に口を開いていない。
というか、目線が土鍋──の中で煮られる蟹に吸い付いている。
……そうだな。神様に取っちゃ些細なことか。
鳴が拳を突き出してくる。
小枝が微笑み、楓が懐から多分早すぎるクラッカーを鳴らした。
そして秋が僕の手を握った。
──しゅう様は蟹を睨んでいた。
「それでは」
鳴がジョッキを掲げる。
僕達もそれに倣って────
「「乾杯!」」
ジョッキを突き出し、がちん、と音を響かせた。
それからは概ねいつも通りの騒がしい時間だった。
「漁船の船酔いにも負けずよ! 突如現れた海賊に抗ってオレたちゃ蟹を死守したって寸法よ!」
「おぉぉぉ」
「その筋肉はだてじゃないのですね。──マッスル計画もありでしょうか」
「……どこからほんと?」
「はむむむ!!」
鳴が胸を張って語る蟹調達ハートフルストーリーは多分嘘で塗れている。
まぁ、蟹が出てくるのは珍しいので僕たちは余興も兼ねて酔いの回り出した鳴の話に相槌を打っていた。
楓としゅう様は競い合うように鳴の苦労が詰まった蟹を貪り食っている。
「分かってくれるか氷汰! アイツら、サンタかってくらい髭蓄えてやがったから引きちぎる勢いで振り回して投げ飛ばしてやったんだ!
「ん、多分バイキングだねそいつら。鳴、話終わったならこれ手伝って」
「これ感動シーンだぞ!」
「……振り回せる髭の海賊はもはやダサいだろ」
「マッスル計画はなしですね」
「「ずずずずずず!!」」
計画の判断基準はどこなんですか秋さん。
相も変わらず心子供組は肉を貪り終え蟹味噌を啜っている。
「ま、とにかく! 今回の蟹はオレの苦労がつまった──! もうねぇじゃねぇか!?」
「食いしん坊二人の前で蟹二匹は足らないでしょ。判断ミスだって」
なんで二匹で足りると思ったのか、せめて一人一匹はいるでしょうよ。
「ずずぅ────ぷはぁぁ!」
「オイなんだその満足げなツラぁ! 蟹吐き出せ! オレのだぞ!」
「アタシの妹に手を出すな」
満足げに息を吐く楓へ鳴が突っかかる。
悲しい成人男性の怒りは彼の妻によって粛清されていた。……南無三。
そんな乱闘の裏側では。
「ねぇ氷汰。一人目は女の子だったけど、二人目は男の子だったんだよね? じゃあわたしにもワンモアチャンスあるってことでいい?」
「理論上は出来るでしょうけど、しゅう様はそれでいいんですか」
「肯定しないでください氷汰。貴方には私という存在がいるんですから」
「氷汰の血貰えるならなんでもいいんだわたし」
「こんな女狐に付き合う必要はありません。同席してあげてることすら、感涙にむせぶべきなのですよ」
「処理しきれないからせめてターン制にしてくれないかな!?」
こっちはこっちでなんか懐かしい日の延長戦をしている。
ねち、ねちと双方向から挟まれるのは対処が素晴らしく追いつかない。
「そもそも一ヶ月に一回って少ないと思うんだ。わたしだって氷汰成分補充足りてないんだよぉ?」
「貴方にやる氷汰分は一ミクロンもありません。失せてください。そして飢えて死んでください」
「二人とも酔いまわりすぎだって!?」
ほぼほぼストレートな燗酒のせいか、二人の顔はとっくに真っ赤だ。
突っ込みが追い付かない。手数が足りない。人も足りないねこれ。
「いいですか氷汰。日本は一夫一妻制です。当たり前ですね。一対一である以上、相手に失礼にあたることはいけません。心配をかけることもいけません。私が家に居る間どれだけ氷汰が略奪されないか心配してないと思って──」
「そうだ! わたしはまだ高校生でも通るから氷汰先生の生徒として転入すれば会えるんじゃない? 完璧じゃん! ねぇ、氷汰! 転入生ってどうやったら成れるの?」
ねちねちねちねち、わーわーわーわー。
二人の機関銃が如き言霊の乱射は止まらない。僕はとっくにハチの巣なんだけど、オーバーキルも厭わぬ勢いで二人はマシンガントークを続けている。
質が悪いのが各々言いたいことを言うものだから内容が頭に入ってこないことだ。
聖徳太子はなんで十人も同時に聞けるんだろうね。二人でもこれなのに。
……多分、内容がバグってるせいかなって思うんだけど。
「んんっ。はぁ──。氷汰」
「はいはい」
誘われてるのかなと疑う熱い吐息が首にかかる。
勿論こんな場でするほど秋も考えなしじゃない。突き出されているのは唇でなくグラス。
お代わりの命令だった。
こうなってしまえば僕に反撃の余地はない。
無条件克服で二人の言うことを聞き続ける機械と化す。
せめて命綱をと頼れる親友鳴へ救いの手を求める。
「野菜切って。入れて。後で追加のクーラーボックス外から取ってきてね」
「はいぃ……」
何故か半泣きで返事する鳴。楓の消費ペースが速いのだろうか。
ともかく男衆の立場は底辺らしい。僕は素直に諦めた。
なので、せめてもの抵抗をと酒をあおる。
酔って忘れてしまえばまだマシだろうと匙を投げて。
*
夕方ぐらいから始めた会も気付けば午後九時となっていた。
すぅすぅと安らかに寝息を立てる子供組。しゅう様はともかく楓校長は明日も仕事なので最後の方は泣いてた。貴方一番楽だと思いますけどね。
残った大人組──みんな大人だけど──は残飯処理。出来るだけ帰りの荷物を減らすため残った食材をとりあえず鍋に突っ込んでは消化していく。
「……」
パクパクと同じリズムで大根の煮物を口にする信藤夫妻はやっぱり上手くいきそうだ。
鳴、尻に敷かれるぐらいがちょうどいいんだよ。結婚四年目のアドバイスですこれ。
「……氷汰」
「どした?」
流石に秋のグラスも水になって、彼女の酔いも冷めていた。
冷静さを取り戻したのか、幾分か真面目な声が僕の耳朶を叩く。
「いつまで出来るんでしょうね」
「いつまで?」
何をかは効かなかった。
聞き返してなんだけど、言いたいことは分かっていた。
「私達の会です。今は頻繁にやっていますが、いずれは頻度も減るでしょう。集まれる人数も減るでしょう」
「珍しいね、秋がそんな心配するなんて」
「怖いんですよ」
「怖い? 何が」
今度は分からない。素直に聞き返す。
「豊野の定めから外れた私達が」
「あぁ、男の子の話か」
秋の膨らみ始めたお腹に眠る二人目の子供。
医者曰く男の子らしい。豊野の子孫は今まで女系であったことを鑑みると、異常なのは確かだった。
「別に。どうとでもなるんじゃない」
でも、僕からしたらどうでもいいことだ。
だから、投げやりに返す。
「楽観的ですね。他人事みたい」
「他人事じゃないよ。でも、そんな心配ばっかしてると子供が可哀そうだ。欲しかったんでしょ、男の子も」
「……ええ」
「じゃあ、喜べばいい。しゅう様はうるさいだろうけどね」
「ふふ、そうですね。どうやって遠ざけましょうか」
「怒らない程度にしときなよ」
底冷えする笑みをたたえ、秋が穏やかに眠るしゅう様を撫でた。
何する気か分からなくて怖いっちゃありゃしない。
「……ありがとうございます」
「いきなりどうしたの」
年が変わったからかな。今日の秋は随分と変だ。
「私は、氷汰にたくさん救われています」
「そうかな」
「そうですよ」
「……僕もそうだから、おあいこだね」
「ふふ」
秋が僕の肩に寄りかかって来る。曲がりなりにも社会に揉まれた僕の体は以前よりも楽に彼女を支えられた。
「お熱いねー!」
「ひゅーひゅー」
随分真面目な話だったので、なんとなく鳴たちの様子を探ってしまう。
なんか二人そろってニヤニヤしてた。なんだ後輩、顔がうるさいぞ。
「──これからもお願いしますね。氷汰」
「こちらこそ、よろしく」
秋がはにかみ、手を握ってくれた。些細な幸せだけど、こういうのがいいと思う。
これからは、自分の幸せじゃなくて子供の──誰かの幸せを噛みしめて生きていくのだろうから。
愛おしい彼女に向け僕もこれからの将来を誓うよう、細やかな手をぎゅっと握り返す。
彼女のお腹の付近に添えられた手は確かな命の鼓動を繰り返していた。
──視界の端、新たな命を祝うように紅葉が躍っていた。
ご愛読ありがとうございました。
よろしければ評価等頂けると嬉しいです。
詳しい後書きにつきましては活動報告に記載しますのでそちらをご覧ください。
またお会いできるのを楽しみにしております。




