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かみさま

「こんな真昼間から卑猥な事件現場はここですかっ!!!」


 切羽詰まった声が致命的な質問の再開を防いでくれる。どばんと長生きな教室の扉を全力で開け放った声の主は、ブラウンのボブをもふっと震わせた女子生徒だ。

 扉をあけ放った姿勢で腕を伸ばしている彼女から、きらんと星のような煌めきを幻視する。


「おう風紀委員! 出勤が遅いぞ」

「楓は元気だね。──ブロッコリーいる?」

「はいはい、鳴にぃは黙ってー。……おねぇも好き嫌いはなしっ。なんか、床は大惨事だし、赤子がうんぬんかんぬん。あたしの風紀がひっくり返って悲鳴を上げてるんで走って来たんですー!!」


 久原楓。一歳上の長身長髪の姉とは対照的で、160に届かないぐらい身長。はねっけのあるショートボブが特徴的な九原家の次女。加えて、学校中で人気を集める風紀委員でもある。


「どうしましたか楓。別にふざけた話は一つもしていませんよ? 赤子の作り方を聞いていただけです」

「はぁぁ~~。秋せんぱいってたまに馬鹿ですよね?」

「……はい?」


 侮辱でもなく、純粋な呆れと心配が混ざったため息。

 秋は豆鉄砲を食らったみたいに、ぽかんと口を開けた。ほんの少し眉を持ち上げている姿は愛らしいが、僕が似たようなことを口にすれば、また銀閃が唸るだけである。幼馴染である久原姉妹だからこそ、秋も一度は素直に聞き入れるのだ。


「豊野家の姫がこんなことを言ったとなれば大騒ぎになるのも当然ですっ」

「……それほどのことなのですか」

「それほどのことなんですー! ケアレ・スミスさんどころの話じゃないんですよ!」


 ぷりぷりと怒る姿は人気が出るのも頷ける可愛さがある。その上真面目なので先生の評価もいい。理不尽を体現した秋に、多少なりとも言い返せる人材は貴重なのだ。


「ケアレスミス? さん? ──で、子供はどうやって作るんですか?」

「話聞いてましたかぁぁー!?」


 ……だからといって、うちの姫を止められるとは限らなかったりする。



 それから数分。教室内も昼休みの和やかな雰囲気を取り戻してきた頃、楓は秋の率直な質問を頑張って躱していた。


「鳴にぃ……わたしお嫁にいけないよぉ……お口が汚されたぁ……」

「おー、よしよし。葉は可愛いから貰い手なんていくらでもいるから心配すんなって。なんなら俺が貰ってやるからな」

「あ、それは勘弁してください」

「我に返るのヤメテもらっていいすか風紀委員」


 楓の努力は涙ぐましいもので、頑張れとエールを送りたくなるほど真摯だった。

 決定的な明言を避けつつ、なんとか説明しようする彼女の姿に、この教室の皆は文化祭や体育祭より団結しただろう。


 結果として「情操教育は親御さんに頼むべきです」という楓の意見が秋の琴線に触れたらしく、ようやく解放された楓が鳴に泣きついていた。女子高生が言うにはきわどいワードのオンパレード。見ていて痛々しかったな……南無三。


 血は繋がっていないが、幼馴染ということもあって彼らの距離感は近く、抱き着いている様は兄妹と相違ない。程よい緩急もいつも通りだ。


「鳴は可愛い妹を預けられる男じゃない、楓から離れて」

「ひっでぇ言いぐさ。仲良くままごとやったちびっこの記憶も忘れたってか!」

「関係ない。楓が汚れる」

「おねぇー、鳴にぃに汚されたー」

「おまっ──」


 ……まぁ、あんな理不尽もいつものことだ。ちょっと毛色が違うせいで教室内が騒然としたことを除けば可愛いものである。だが、僕は何故秋が子供の作り方なんて突拍子もない質問をした理由も知っていたし、彼女の気持ちを慮れば蔑ろも出来ないかった。


「……氷汰。放課後、社に行きますよ」

「はいはい、仰せのままに。でも、先に情操教育を受けてからってのはナシなの?」

「後で考えます。貴方もクラスの皆も言葉を濁すような話です。一筋縄ではいかないのでしょうから」

「その考えに至ってたなら早めに切り上げて欲しかったんだけどなぁ」

「……母が氷汰に聞けと言っていたので」


 お義母さま!?




 あーだこーだ騒がしかった昼休み。生徒も教師もこのことに触れまいと意識が働いた結果、受験期でもないのに皆がサボることなく手を動かす奇妙な時間を過ごしていた。

 そして放課後。

 恋人同士で帰るという建前の元、鳴達に別れを告げた僕たちは通学路から外れた獣道を歩いていた。

 秋特有の落ち葉が降り積もった道を、秋は白木の下駄で踏み鳴らしている。


「氷汰は……子供を作るということについて、どう思ってますか?」


 昼休みとは少し趣向の違う質問だった。彼女だって、両親が居る以上、誰かと誰かの間に子供が出来ることは知っている。そして、その相手が僕であることも既に定められている。

 けれど、僕はそれを喜ぶことは出来ない。別に彼女が嫌いだからなんてことはかけらもない。むしろ大和撫子を体現した女性なんて普通に好みで──男なら大体好きだろこんちくしょう。


「さあ? 僕としては結婚してから作るものだと思ってたし、まだ親のすねをかじってるのに、養う相手を作るような真似は考えられないかな」


 次期当主である秋へ向けた遠回しな皮肉。

 このことばかりは、僕も反対だった。


「やはり、嫌なのですか?」


 ──嫌なわけない。そう口に出しかけたのをぐっとこらえる。足に力を込めたせいでぐしゃりと落ち葉が強く鳴いた。

 個人的な好みで言えば、非常にグッドであると言わざるを得ない。儚げで、年中和服を身に着けているお堅い家の美少女。現代日本でお目にかかれるはずもなく、空想だろと一蹴されても可笑しくない。

 だけど──


 好きでもない相手の子供を産むことを、僕は理解できない。


「少なくとも──自分の都合で生まれさせられる子供は、かわいそうかな」

「……でしょうね」


 それからしばらく沈黙が続いた。秋が僕の腕を掴み、体を寄せている様子だけならば、恋人にしか見えない。けれど、とても甘い雰囲気を漂わせ、心地の良い静寂に身を委ねる時間は少しもなかった。

 着物の布越しに感じる彼女の柔らかい肌の感触が、人肌のほんのりとした温もりも合わせて包み込んでくる。恐らくいいもので、きっと後で鳴に話せば羨ましがられること間違いない。

 なのに、この時間が早く終わって欲しいとも願っていた。

 それは、この先にいるひとに早く会いたかったからかもしれない。


 落ち葉を踏み分け、獣道を征き、家屋すら見当たらなくなってきた山奥。

 のびのびと育ち、紅い葉を実らせる大樹。十人で輪になってようやく囲えそうな幹の前には、紅葉に負けないほど紅い鳥居が置かれている。

 鳥居の先には、薄汚れた小さな社が安置されていた。


「着いたよ」

「ええ」


 どちらからともなく腕を放す。掴まれていた腕に残る仄かな体温。名残惜しいと思ってしまう自己矛盾にちくりと胸が荒んだ。

 そんな心情を押し隠す僕から離れ、秋が鳥居の前で綺麗な二拍一礼。鳥居を潜り、社の前に手を組んだ彼女が地面に膝を着いた。


「……美里の地に実り(もたら)す豊穣の化身。我らが神よ──しゅう様、どうかおいでください」


 僕が秋と出会ったのは二か月前のこと。

 そして、僕は和服姿の少女に惚れた。だから僕は少女の告白に流されるまま頷いた。


 けれど、前者と後者は同一人物じゃない。

 秋がすらすらと口にした祝詞。それは確かに祈りの言葉で、現代日本においてきっと形骸化し、所詮は何の力も持たない形式的なもの。

 だけど、彼女のそれは違った。


「────ぁ」


 ひょうと秋風が吹き荒れ、落ち葉が舞い上がる。まるで時を巻き戻したかのようだった。

 この一瞬だけは色あせた落ち葉も、赤々と彩る紅葉に見えた。

 かちり、何かが嵌る音が脳内で響く。

 声が漏れる。胸中いっぱいに膨らんだ感情が零れ出た。


 社の上に浮かぶ着物姿の少女が浮いている。宙に居るのを除けば、姿形は秋と一つも変わらない瓜二つの容姿。漆塗りの箸を思い出させる鮮やかな黒髪も、着物の裾からすらりと伸びる人形が如き四肢も、思わず平伏しそうになる冷えた目も、全て一緒だ。


 それだけで世の男を魅了するのに十分な材料が揃っている。

 けれど、何よりも重要なのは僕の「瞳」に映っているということ。


「見えますか?」

「うん。しゅう様、見えるよ」

『なに。またわたしを呼んだのー? これでも一応神様なんだけど。人使い? ううん、神使いが荒いんじゃなーい?』


 端的に言えば彼女は神様なのだ。だからなんだ、と聞かれてしまえば答えに困るのだけど、僕が愛してやまない空想上の生き物である。


 現れた神様の秋が──しゅう様が口を開く。彼女の声は物理にしたがう大気の振動を介さず、脳内に叩き込まれる形で僕たちへ意思を伝えてきた。それだけで目の前の少女が異質な存在であることを僕たちに教えてくれる。


「おいで下さってありがとうございます。しゅう様」

『あき……どうしたの? いくら時のはやい人間でも、子供はすぐに出来ないよ?』


 彼女が子供を欲しいと言った理由。それを語るには僕たちが出会った頃にまで少し遡る。


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