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瓜二つ、されど……

 とぷん、とぷん。ちゃぷちゃぷ。


 水音が耳横で跳ねている。いつもより柔らかい布団にくるまれているせいか、体は奇妙なくらい体力が残っていた。目覚める気のない頭のせいか、再三仕事を投げつけられた心臓のせいか。

 どちらにせよ、体が重いことに変わりはない。


 虚構一回と現実二回。合わせて三回目となれば理解も早かった。

 かたんと顔を倒せば、和服少女と洗面器、高級タオルの三重奏が水音を奏でていた。


「あき?」

「あら、目が覚めましたか? 調子はどうでしょう」


 秋がこちらに近寄って微笑みかけてくる。彼女が近寄れば必ず香るほのかに甘い匂いをかぎ取れない。五感が鈍い。

 鉛みたいに重い頭はまだ起きていない。秋の周囲に紅葉が舞い上がっていた。


「……まぁまぁ」

「そうですか。であれば、大事を取ってもう少し寝てください」


 オトコノコ的強がりはお見通しらしい。

 普段ベッドで寝ているせいか、敷布団で横たわる僕の視点は低い。


 この前は並んでいた僕と秋の顔が今度は見下ろされる形になっている。

 こうやって看病されたのも随分久しぶりで、子供に戻ったみたいだった。


「はい」

「つめた」


 ひた、とタオルが乗せられる。うちで使うものよりはるかに上質で、濡れていても綿あめみたいな柔らかさを保証していた。


「最初は氷水でしたから」

「それは冷たいね」

「気持ちいでしょう?」

「うん、布団も柔らかいし最強」

「ふふ。どれもここで作られているものですよ」

「ほんと?」

「ほんとです」


 中身の薄い会話だった。脊髄反射で投げ返す言葉に秋も乗ってくれる。

 オーバーヒートしたままの頭で信じられないけど、秋は何故か楽しそうだった。


「いいなぁ。ここに住みたい」

「あら、変なことを言うのですね」

「へん?」

「氷汰は私の恋人です。それが意味することを分かってますか?」

「あー。……分からないって言ったら?」


 僕も恋愛識者じゃない。でも、初めてできた恋人と結婚する可能性なんて、限りなくゼロであることぐらい知っていた。


「それはそれで──おもしろそうです」


 秋がちろと舌を動かす。彼女の癖なのか、自覚がないらしい動作を見かける機会が最近になって増えた。ちょっと怖いけど、彼女らしいというか、豊野秋らしい。


「なにするのさ」

「何するんでしょうね?」

「白々しいなぁ」

「こっちの台詞ですよ?」

「それはそう」


 顔を見合わせ、二人で笑う。

 恋人らしいとかそういうのは横に滑らせて、今の僕たちは前よりよっぽど距離が近い。


「……あ、すみません。少し用があったので失礼しますね。また戻ってきます」

「うん。看病ありがとう」

「いえ、当然のことですから」


 では、と言い残して秋が襖の奥に消えた。

 客室らしい和室。畳がいち、に……十二枚。これだけで十二畳が確定している。

 一部フローリングになっているスペースもあって、客室にしては広すぎる部屋だった。

 とても一人では持て余す。部屋の隅に見えた荷物入れに僕の鞄が見えた。


 多分あそこにスマホが入っている。取りに行こうかと体を持ち上げようとしたが、思いのほか体が重い。というか怠い。


 動くのが億劫で布団に戻る。暇になる退屈さより怠さが勝利を収めてしまった。

 自分の自堕落っぷりに苦笑しつつ、天井のシミでも数えようかと思いなおした瞬間、襖が開いた。


「……秋?」

「戻りました」

「はやいね」

「私が行く必要がなかったみたいなので」

「何の用だったの?」

「家絡みみたいなものです。ふふ──お母様に来なくていいと言われてしまいました」

「それはよかった、ね?」


 霞さんが絡むと素直に頷けなかった。あの人もあの人で周りを動かすことに遠慮がなさすぎる。

 でも、ほんの少しありがたいと思ってしまった僕がいた。


「ですので、お話に来ました」

「ありがとう」

「四角い画面の方がみたい、なんて言わないですよね?」

「言わないってば」


 スマホに嫉妬しているんですか貴方。

 かわいいなちくしょう。


「取ってと言われても取りませんから」

「だから、言わないってば」


 僕の頭の中見てましたか貴方。

 背中を伝った汗が、熱によるものか冷や汗か分からない。

 居心地の悪さと気持ち悪さに身をよじらせる。


「……汗、拭きましょうか?」

「いいよ後でやるから。看病してくれただけでありがたいって」

「えへ、恥ずかしがらなくてもいいんですよ?」

「なんで笑うの」


 意味深な笑みだった。何となく、心当たりがあった気がした。


「氷汰は、どうやって着替えたのですか?」

「…………」


 あれ、どうやったっけ?

 のぼせてからの記憶がない。え、まさか秋が? いや、それはないはず。

 そうだ。僕を引き上げてくれたのは星真さんだったはず。じゃあ、その流れで──それもそれでちょっと嫌かもしれない。


「……誰がやったの?」


 疑問を直視しては無視できず、秋に尋ねてしまった。


「誰でしょうね」

「…………秋?」

「どうでしょう」

「…………」


 いや、今更気にする必要もないというか。昨日の風呂で九割方見られてると言っても過言じゃないし…………。

 でも残り一割がオトコノコ的な死活問題でありまして……。

 ほら、威厳とか、あるから……。


「えへ、ごめんなさい、からかいました。着替えをしてくれたのはお父様です」

「ならー良かった、かな?」


 のぼせた僕が悪いので、何も言えなかった。

 ……そもそも、背中を拭いてもらうだけなら任せてもいいのでは。


「……どちらにせよ。体がだるいでしょう? 上半身だけでも、ね?」

「あー、うん。頼もうかな」


 頭がぼーっととする。

 何か大事なことを見逃している気がしたけど、考えるのも怠くて、邪魔な甚平をはだけさせた。

 背中にタオルが触れて、びっくりした体が跳ねる。だけど、すぐ後に触れた秋の顔に跳ねるどころか体が固まった。


「大きなお背中ですね」

「……男だからね。あと、汗臭いよ」

「そうですか? ちょっと、癖になりそうですけど」

「……ああそう」


 ……質が悪い。布団から体を起こすだけでよかったと心の底から思った。 

 思いのほか汗は気持ち悪かったらしい、甲斐甲斐しい介護を受けて、汗を拭い取れば意外とすっきりした。


「…………?」


 何かがおかしい。

 言語化出来ない違和感がちらついた。理解できそうで聞き取れない英語みたいな不快感が何かを教えてくれている。


「……秋。水、ある?」

「はい、ありますよ。少々お待ちくださいね」


 あらかじめ用意してあったのか、小さな冷蔵ケースの中からペットボトルのお茶を取り出し、湯飲みに注ぐ。


 そんな秋の後ろ姿は見慣れたもの。あの時看病してくれた時から変わっていなかった。

 でも、僕は何故か変だと感じている。

 熱に浮かされたせいか、ベッドではなく敷布団に横たわっているせいか。

 断言はできないけど、存在感が違うと言うべきか……。


「……存在感」


 そうだ。存在感だ。

 瞳をチューニングする。まだぼーっとする頭のせいか、幻視の視界が酷くぐらつく。

 目力が入っているのを自覚しながら、秋を視界に収める。

 だが、湯飲みを携えて戻って来た秋には何の変化もなかった。


「お持ちしましたよ……どうしました?」

「…………ううん、何も。ありがとう」


 貰ったお茶を一息で飲み切って、もう一度秋を見つめ返す。

 怪訝そうに首を傾げる秋の周囲には何も見えなかった。


 昨日見た散りゆく紅葉、一枚たりとも。


 薙刀を持っていないからだろうか、今の秋はただの令嬢で戦士じゃない。昨日の秋は戦士の振る舞いを取っていたから?

 分からない。こうやって人のオーラが見えることの方が稀で、親子そろって幻が見える豊野家の方が異常なくらいだ。


「やっぱり、何かありました?」

「いや、僕の気のせいかな。心配させてごめん」

「えへ、変な氷汰ですね」

「…………」


 違和感が膨れ上がった。

 はち切れそうなそれから溢れ出した異彩。らしくない。


 目の前の彼女は確かに豊野秋だが、何となくらしくないと思った。

 そこで、ふと思いついた疑問を口にする。


「ねぇ、秋ってそんな笑い方だっけ」


 彼女はもっとお嬢様らしい笑い方だった気がする。

 今目の前の秋は、なんというか女の子らしすぎた。素を出しているとも違う気がした。


「気のせいじゃないですか? 熱でも上がりました?」


 ぴたと秋の手が僕の額にふれた。冷蔵庫に触れたせいか程よく冷たく、けれど人体の温かみを感じさせる手は心が落ち着いた。

 でも、熱を欲しがるような絡みつくその手つきが確信をくれる。


「……しゅう様?」

「──」


 空気が凍える音を聞いた。ひょうと、隙間から空気が流れたようだ。


「しゅう様、ですよね?」

「えへ、バレちゃったー」

「どうしてこんな真似?」

「なんでだと思うー?」

「分からないから聞いてるんですよ」


 げんなりする。思ったより子供っぽい彼女の振る舞いにも慣れてきて、敬っていたのがだんだんとってつけた丁寧語だけになっていた。

 外に出しっぱなしのペットボトルを掴み、しゅう様は僕の湯飲みにお茶を注ぐ。


「ん」


 一息で飲み込む。つい、口元に目が奪われた。思うことはあれど、野暮な気もした。


「……」

「だって、氷汰はわたしとはいっつも壁作るもん」

「壁じゃないないです。段差です。敬ってるだけです」

「わたしからしたら同じっ」

「はぁ、で、ご満足いただけましたか?」

「敬語―」

「──満足した?」

「うんっ!」


 花が咲いた。もとの少女が持つ薔薇的なそれより優雅で柔らかい、白百合的な笑み。

 けれど。土に隠された根が自在に動く鞭となって僕を襲う。


「でもね、わたしもっと欲しくなっちゃった」

「っ」


 押し倒される。抵抗しようにも重い体じゃあ力が入らなかった。

 なにより、昨日の試合から引きづっている筋肉痛が酷い。本の虫で居たツケがここに来て回ってきた。部活くらいはするべきだったのかもしれない。


「抵抗、しないの?」

「…………ここまでやって聞いてくるんですね」

「だって、君には嫌われたくない」


 熱を帯びた目が僕を覗き込む。抵抗しない従順な姿勢を見せてなお、目の前の神様は僕の心に潜む戸惑いを見通している。──いや、そうでもないのか。


「自信ないんです?」


 ぴくりとしゅう様の体が震えた。けれど、すぐに不敵な笑みを取り戻し、人差し指の腹で僕のみぞおちをなでた。今度はこっちが体を震わす番だった。


「……不敬」

「いまのしゅう様は神様らしくない」


 まるでただの女の子だ。まるでただの人間だ。

 僕が求める完全な神様からは離れた存在だった。少し、気に食わない。


「所詮、わたしは限られた場所を豊かに出来るだけ」

「国が知れば捕まりそう」

「これでも神様だから。見えて、触れるのは君だけだもん」


 みぞおちを撫でていた指が徐々に上へ動き、肋骨を撫で始めた。

 ぞわぞわして跳ねそうになる体を抑えながら僕は彼女を見据える。

 無意識に力んだ体は不自然に呼吸を減らすから、上下しない体にしゅう様は気付いている。でも、誰だってこうなると思うんだ。


「それにね」


 しゅう様がお腹付近に跨る。色々毒な絵面は僕の精神衛生上とても危なかった。


「君が心配してくれるなら、それはそれで悪くないねぇ」


 うへへー、とだらしない笑みをこぼすしゅう様。

 ただ瓜二つの双子を並べたのとは違う存在。二人の違いを僕は説明できるけど、そのくせ両方に惹かれている自分の罪深さを恥じるばかりだった。


「そのときは……何も考えず秋と付き合えますね」

「つまんないのー」

「そういう人間なので」

「せっかく君は面白いものが見えてるのに」

「自分しか見えないなら、見えない方が幸せなこともある」


 こればかりは断言出来た。

 結局、人間というのは共感によって大半のコミュニケーションを形成している。

 じゃあ、理解を得られない光景の話など、その人間を省くのにもっとも都合がいい判断材料だ。この人間は異端だとレッテルを貼りつけられ、隔離される。


 そうなってしまうのなら、墓まで持っていくようなものを見るのに意味などない。

 そもそも共感どころか、会話できる相手すらいないしゅう様はある種僕の上位互換だ。

 悪い意味でと後ろについてしまうのが余計にネックだけど。


「かもね」


 しゅう様が微笑み、頷き、僕の腹から降りた。

 大変心臓に悪い刺激が離れ、まともに息できなかった肺の命令に従い酸素を取り込んだ。


「でも、のーかんでしょ」


 そんな僕の頬を彼女は挟み込む。無論むせる。

 ワンチャン死にかけるからやめて欲しい。


「ごほっ! 何がですか」

「君はわたしが見えるもの。わたしに共感してくれるもの」

「……ああ」


 だから僕はしゅう様に信頼を置いている。多分、僕は共感者が欲しかったのかもしれない。僕の異常を肯定してくれる人が欲しかったのかもしれない。


 非現実を求めるのはその延長線上で、僕が居ても不思議でない場所が欲しかったのかもしれない。

 全部、全部断言はできないけど。僕は僕で居られる居場所を探していた。


 じゃあ、きっと。彼女の傍は僕の居場所に適している。


「だから、わたしは、君が欲しい」


 秋が浮かべるのと似た妖艶な笑み。磁石みたいに、強固で鮮烈に惹きつけられる。

 僕の態度に納得したのか、しゅう様が笑みを深めて視線を他所へ向けた。


「……やしろ?」

「じゃ、いこっか」


 視線の先は、豊穣の神をまつる小さな社だった。


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