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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

銀のアンドロイドは月を欲す

作者: 鈴谷凌

 その日の万屋事務所に重苦しい空気が流れていたのは、締め切られた窓と仄暗い明かりのせいだけではなかった。

 無機質な調度品と書架で乱雑に彩られた室内。奥に置かれた書机の前には、端末を片手に眉を(ひそ)める男が一人ぽつんと。やや充血気味である青藍(せいらん)の瞳を見開き、手入れの行き届いていない黒髪をがりがり掻いていた。


『ミズガルズ宙域速報! 全コロニー内における昨日時点での行方不明者数が二十名に到達。フォルセティ警察の調べでは、先々月から続くこの住民の連続失踪は、同一人物の手による誘拐事件であると考えられ、組織内でも専用のチームが結成される運びに――』


 目にしていた端末をスリープ状態に、男は徐に席を立ち。ゆらゆらとした足取りでカーテンに覆われた窓の方へ。

 昨日は机に突っ伏したまま寝ていたためか気怠い様子。欠伸を噛み殺しながら布を引っ張った。

 特殊ガラス越しに見える人工太陽は既に高く上がっていて。階下に伸びる通りを行く人間だったりアンドロイドや作業用ロボットだったりもすっかり賑やかなよう。


「寝すぎたな。もう始業時間じゃねえか?」


 陽光に手を翳し独り言ちる男。焦りの色はない。彼の仕事である万屋業務は絶賛無期限の休業中であった。

 三十歳も手前のこの男は非常に寝覚めが悪い。妙な体操で身体を動かしながら端のキッチンでいつもの如く珈琲を淹れる。画一的でありきたりなインスタント。栽培から抽出まで人の手が介在していないことを思えば味気なさもひとしおだった。


 珈琲の香りと温かな光で寝ぼけた意識は幾らか覚醒。男は再び書机に向かった。端末を操作し、電子化されたニュース誌を漁る。


『相次ぐ失踪者! 他宙域からのスパイの仕業か』

『より高次の権利を主張するアンドロイドの反乱に違いない! アンドロイドの稼働停止を叫ぶ声』

『宇宙資源を悉く食いつぶす人間への天罰――断罪の時――』


「阿呆か。他二つはまだしも天罰ってなんだよ。地球が滅びた数百年前から価値観止まってんのか?」


 苛立たしげに画面を小突く。

 人間たちの失踪が一連の事件として見られるようになってから、男も一般市民からの依頼を断ってまで捜査に明け暮れてきたが。外に出ようと内に籠ろうと、手に入れられる情報はまるで役に立たないものばかり。


「ソルの手を借りるか? いや、あいつに借りなんざつくりたくねぇしな……」


 幼馴染である彼女は、今や男にとって面倒くさい立場の人間となってしまった。気軽に相談もできない。しかし他に代案があるわけでもなく、男は呻くばかりであった。背に腹は代えられないのか。


「ん?」


 物音が、男の沈殿した思考を浮き上がらせる。出入口のドアの方から、こんこんと小刻みに数回。ノック。時代の潮流に逆らい、今なお呼び鈴も電子施錠も無いぼろ屋に住んでいる身としては、馴染み深いものだったが。


「休業中の看板が見えないのかねぇ」


 今どき人々から安価に買われる作業用ロボットですら、その程度の演算は可能な世の中だ。AIを搭載した汎用アンドロイドも、下らない悪戯にリソースを割くことはない。十中八九、無駄な理性と感情に振り回された愚かな人間の仕業だった。鼻を鳴らし、無視を決め込む男。止まないドアの音。


「ああもう、なんだよ!」


 どうせ稼業を休止したことに文句を言いに来た輩だろう。男は威勢よく扉を開けて、逆に文句の一つでも決めてやろうと大きく息を吸った。しかし。


「……はあ?」


 威嚇のためのそれは、困惑と共に吐き出た。来客は、意地の悪い人間でもなければ、出来の悪いロボットでもなかった。


「休業中にごめんなさいっ。それでも、助けていただきたいことがあって……!」


 来客は、麗しい銀髪の少女で。男と同じ青藍の双眸を宿して。もはや書籍の中でしか見られないようなゴスロリのドレスを纏っていて。背丈は愛らしいほどに小さくて。

 そして、その細い首には。肌に直接埋め込まれた、淡い燐光を発するチョーカーが。

 来客は、人ではなかった。


「その、今から話を聞いてもらえませんか!?」


 来客は、アンドロイドだった。




 ミズガルズ宙域で製造される汎用アンドロイドは。その容貌がほとんど人と変わらないほど精巧に作られ、学習性のAIによる卓越した思考フレームを擁する。

 そんなAIアンドロイドは、人間と比べてもあまりに見た目が類似しているということで、識別のため特定の証を刻むことが義務づけられている。

 コロニーによって、それはアンクル型だったり、アンクレット型だったり様々であるが。


「チョーカーか……一体どこのアンドロイドだ、あんた?」


 気勢を抑え、男は敷居の先の少女に問う。ひとまず話に応じたのは、見た目が可憐だからではなく、少女がアンドロイドであるから。


「い、依頼を受けてくださるのであればお答えします」

「はぁ?」


 男の顔が困惑で満たされる。返答の拒絶。通常の汎用アンドロイドであれば、まずあり得ない反応だった。


「円滑に話を進めたいのなら素直に答えてくれ。それとも原則すら分からないほど壊れちまったのか?」


「私はいたって正常ですっ。ただ、無関係の人においそれと話せるものではないので」


 頬を膨らませて憤る少女に迷う。被造物とは思えぬ感情表現だと、軟質素材だけでここまでの表情を作れるものかと、男は益々このアンドロイドへの疑念を募らせた。

 断るべきなのだろう、本来は。

 失踪事件が長引くにつれ、巷では好き勝手な風説が飛び交っている。それを断じて解決したい男からすると、今はこんなことをしている場合ではなかった。


「……名前は」

「え……?」


 だが男はそれよりも求めていた。この少女に抱く違和感の正体を。あるいは、塞がった現状を打破する希望を見ていた。


 またしても、ヒトのように。目を丸める銀髪のアンドロイドに男は続けて名を尋ねる。少女は。


「……ハリエット」


 短く、鬱々と口にした。柄でもない秘密主義とも違う、同じく柄でもない感情的な態度。


「俺はマーニ・アルスヴィス。今は休業中の万屋だが、話だけは聞いてやる」


 不安を覗かせるハリエットに、マーニは努めて明るく入室を促した。




「わあ、紙の本がこんなに。今の時代、書籍は全て電子化しているというのに、どうして」


「別に。爺さんが置いていったものをそのままにしてるだけだ。それより――」


「モリ・オウガイ、ナツメ・ソウセキ……ニホンの作家、これは……」


「おい」


 書架にあった伝記を眺める少女に声を掛ける。しかしマーニにはこれ以上浪費する時間はなかった。

 萎縮して首を垂れるハリエットを宥めながら、応接椅子に向かって腰掛ける。

 その態度も、好奇心も、やはり機械的なアンドロイドにそぐわなくて。マーニは顎をさすり、伸びてきた髭の感触を感じた。


「さて、あんたは何が望みなんだ? 人探しか? それとも傭兵を所望か? どちらにせよ、アンドロイドが頼むことじゃないが」


 多くの汎用アンドロイドは、それ自体が何かの目的を果たすために造られた産物。その優れた思考は自由意志を錯覚させるが、所詮は全てが模造品。予め定められた原則にのみ従って動く。

 試すように、目を向ける。耽美な衣装に身を包んだ彼女は。不必要に感情を漏らす彼女は、果たして。


「私の依頼は、一つがある人から私自身を守ってほしいというもの」


 端整なハリエットの貌が哀に歪む。まるで、せっかく蓋をした悪い何かを取り出すかのように。


「そして二つに……私に愛を教えてくださらないかということ」


 息を呑むマーニ。アンドロイドはやがて一つの過去について語りだした。ここに至るまでの経緯と、自らの秘を。




 フエンという男に言わせれば。愛とは他者へ傾けるべき莫大な情熱と無二の執着である。対象は唯一でなくてはならず、その期限は永遠。それが彼の最も貴ぶべき価値観であった。


 若年の彼は、一つの恋をした。年下の、良い家柄の娘であった。地球が崩壊し、月は堕ち、人々もコロニーという新たな地平を得た現代。家の繁栄を重んじる古い在り方は、末裔である娘を縛り付けていた。


 科学者を志していたこと以外に取柄もなかったフエンは、娘を家から解放する術を持たなかった。二人は故郷を捨て、幾つもの宙域を渡った。他者からの認可など些末事であり、娘との愛があればそれでよかった。


 究極的に互いだけを感じた日々。幸福の絶頂。されど盛者必衰の理は、彼らにも等しく当てはめられた。

 個人が宙域を移動するには多くの危険が付きまとう。隕石群との衝突。国家間の諍いに巻き込まれることもあれば、あるいは宇宙海賊の襲撃に遭うこともある。

 彼らの旅の終焉も、そのように。


 ミズガルズ宙域外縁を通りすがったところを賊に襲われ、拐かされた娘は。二度とフエンのところに戻ることはなかった。

 宙域内のコロニーに不時着し、フォルセティ警察に助けを求めた彼に残されたのは、事件解決の知らせの他に、娘が賊どもによって徹底的に汚されたという残酷な事実のみ。


 フエンは、最愛の人を喪った。

 しかし、フエンに言わせれば。愛とは情熱と執着。対象はただ一つ、その時は永遠。

 娘との旅の中、科学技術を学び、やがては宇宙をゆく船を造るに至った彼の頭脳は。甘い夢幻を叶えるには十分で。そして十分であるのなら、やはり彼に迷う余地はなかった。


 ミズガルズ宙域のコロニー3。技術者が多く集うその地に居を構え、フエンは実験を行った。汎用アンドロイド製造技術を基にした、新たなアンドロイド製作の実験。目的は勿論、愛しき人の再誕。


 合成金属と軟質素材を用いて限りなく人間に近づけたボディ。高精度かつ緻密な動きに耐えうる顔パーツや関節。柔軟で遊びのある思考フレームも。

 知識と技術を結集し、フエンはようやく、一体のアンドロイドを完成させた。


 作業台に寝かせた少女型アンドロイドはゆっくりと起動し、年老いたフエンの姿を認める。

 実に三十年ぶりの再会。彼は在りし日と変わらぬ少女の頬を撫で、愛しいその名を口にしたのだ。


「おかえり、僕だけのハリエット」




「……ハリエット」


 マーニにはその名を呼ぶことしかできなかった。対する少女があまりに悲痛に映る。

 そしてそう感じるのは、恐らくまだ何かあるから。お揃いの青藍の瞳を覗き込めば、内に込められた思いが汲み取れる。恐怖だ。


「私は彼の望みを受けて誕生しましたが、彼の望み通りに愛を与えることはどうしても出来なかったのです。彼と過ごした記憶はあっても、彼を恋人とは見做せなかった」


 ハリエットの声が震える。


「私は、失敗作なんです」


 フエンの技術者としての腕は相当な域にあった。独力で一つの機械生命を生み出したその熱意も。

 だが、その狂気ゆえに。道を踏み外したのだろう。


 生まれたてのAIハリエットは、人間であったハリエットの代わりにはなり得ない。その姿を似せようとも、その記憶を植え付けようとも。人格は決定的に異なり、フエンを愛する心もまた然り。


「彼は私に愛を教えようと研究を続けました。求められたのは、女性としての心を宿すこと。恋を知るために小説を読まされ、恥を知るために時おり服を着ないで過ごすように命じられ、男を知るために彼の身体を余すことなく見せつけられたりもしました」


 滔々とした口調。かえってマーニは下唇を噛んだ。創造主と被造物の間にある歪みきった関係に居た堪れなくなる。

 設えられた衣装も、端整な作りの顔立ちも、首元に埋め込まれたチョーカー型の識別装置も。今となっては全てが悍ましいものに感じられ、それが只々悲しい。


「それでも芳しくない結果を得られなかった彼は、どこから連れてきたかも分からない人間たちを相手に実験を重ね……それで、それで……!」


「分かった、ハリエット。分かったから。一回落ち着いてくれ」


 堰を切ったような口調のハリエットを制止する。アンドロイドにも拘らず彼女がここまで人間性を獲得するに至った経緯は、もはや十分すぎるほどに察せられた。


 より高次の思考様式を得るために、あるいはよりヒトに近しいボディを作るために。フエンは禁忌とされる人体実験を繰り返した。筋と臓を裂き、頭蓋を割り、脳の電気信号を検知して。感情と欲求、愛情の所在はどこか、幾人もの人を相手に徹底的に調べ尽くす猟奇に塗れた作業。

 人間である彼にとってはそれしきのこと。しかし、アンドロイドの彼女にとっては。


「私は、もう耐えられなくて。私のために積み重なっていく犠牲にも、それでも理解できない人の情にも。だから、彼が研究に行き詰って余裕を欠いた隙にこっそり逃げ出して」


 所詮は、一方的に傾けられた愛など、最後まで一方的な儘で。ハリエットの心は、フエンの与り知らぬところで萌芽の時を迎えていた。揺れる藍の瞳がこの上なき証左である。


 マーニは、腹を決めることにした。


「確かにあんたはある意味で失敗作かもしれない」


 顔を伏せるハリエットに告ぐ。

 何が理解できないだ。何が愛を与えることができないだ。


「だがその失敗は。あんたの葛藤と決断は。何より価値があるもんだ」


 まずはその勇敢を讃えよう。少女の隣に腰掛けたマーニは、祝福を込めてその名を口にしたのだ。


「あんたは自分の意思でここにいる。今まさに、あんたは大切な一歩を踏み出したんだよ、ハティ」




 愛を求められたアンドロイドの少女と、万屋を営む男。両者の契約は恙なく結ばれた。

 創造主に逆らった汎用アンドロイドは、もれなく廃棄処分されるのが常である。ハティの依頼を受けたマーニは、ひとまず彼女を保護することに決めた。


「この機械を使えば、あんたの首にある識別装置を無効化できる。逃げ出してから少し日が経っているからあまり意味はねえかもしれないけど、探知機の類もこれで潰せるだろう」


 事務所の奥にある一角。夥しい配線が繋がれた台座型の機械にハティを案内する。


「アンドロイド用の修理機器……やはりマーニ様についての噂は正しかったみたいですね」


 ぺたんと、台座の中心に割座したハティが問う。先刻は動転していた態度もいくらか収まっていた。


「ああ、やっぱり知ってたか」


 座椅子にかけ、操作用の端末に目を向けつつ得心。


「コロニー1のマーニ・アルスヴィスは、万屋稼業を営んでいる傍ら親アンドロイド派としても活動している。そうして一部の間で蔑ろにされがちな彼らの権利を、陰ながら守ってきたと聞きます」


「……別に大層なことはしちゃいない」


 ピピ、と電子音。認識装置を無効にすることは大して難しいことでもない。これが企業などで製造されたアンドロイドであれば話は別だが。


「さて、約束通りあんたのメモリーを調べさせてもらうが、こっちの方は少し時間がかかる。何か暇つぶしの道具でも持ってくるか?」


 案の定、というべきか。ハティが所望したのは書架に並べられた紙の本であった。適当に見繕って手渡し、マーニは続けて端末を操作する。


 打鍵音と紙が捲れる音だけが空間を支配するも、ふと、ハティの丸っこい瞳がマーニを捉えた。


「そういえば、マーニ様はどうして親アンドロイドの理念を掲げているのですか。特にこのコロニーでは風当たりが強いと存じますが」


 雑談。もしくは一歩踏み込んだコミュニケーション。つくづく人間臭いと、マーニは鼻で笑ってしまう。「真剣に聞いているのです」とむくれてみせるハティに、彼は端末を動かす手を止めた。


「強いて理由を挙げるなら……贖罪、だな」


 マーニは実の母を知らなかった。父についての情報も、顔と名前の他には持ち合わせていない。唯一傍にいた祖父もこの家を遺して逝き、幼いマーニを世話したのは女性型の汎用アンドロイドだけであった。


 母子の間にあったのは自然な愛着ではなく、義務から生まれた連関のみ。その事実を周囲に揶揄われたことも、無機的な交流も、マーニの心に濁った澱を残すばかり。

 ついには紛い物の関係に耐えられなくなり、ある程度一人で生活がこなせるようになった頃、マーニは育ての親を自らの手で廃棄した。全てが予め定められた産物であるなら、その生命を終わらせるのは、生まれ持った意思を持つ人の特権だと嘯いて。


「ま、結局それは間違いだったんだけどな」


 沈んだ面持ちのハティに謝る。マーニとしても、同じくアンドロイドである彼女に己が失敗を話すのは心苦しかった。


「口の減らない幼馴染はいたが、一人きりの生活はそこそこ寂しいもんでな。あるとき気になって、残っていた彼女のメモリーを覗いたことがあった。……それで、中はどうなっていたと思う?」


 読んでいた本を胸に抱き、かぶりを振るハティ。答えを知るのに臆しているのか、口元を分厚い背表紙で隠している。


「大したことじゃない。残っていたのは、単なる記憶データだ。俺と彼女が過ごした時間のな」


 素体を廃棄しても、記憶媒体は消えない。保存されているのは当たり前のことであったが。


「汎用アンドロイドの記憶ってのは、ある程度蓄積されると選択的に排除されていく。大体は稼働に必要な情報を優先して残すものだが……彼女のものは違っていた」


 例えばそれは、マーニが誕生日のケーキを頬張って、口元にクリームを付けているシーンであり。例えばそれは、風邪で寝込んだマーニが珍しく親に甘えたシーンである。


 生活に必要な知識というには、あまりに雑多でささやかで。単なる保存のためというには、(いささ)か恣意的な切り取りで。

 彼女にはマーニに対する特別な情があったのだと、失ってはじめて気付いたのだった。


「本気で愛してくれないのなら、作り物を用意するまでもないと思っていた。かえって俺の心に傷を付けるだけだと。はっ、大馬鹿者だった。おまけにどうしようもなく傲慢で……」


 独善的な愛を強いたフエンと何も変わらない。嘲るマーニに、ハティは口を閉ざした。

 やはり困らせてしまったらしい。マーニは反省し、おざなりになっていた作業に戻る。ハティのメモリの中には、フエンが為した様々な非道が収められ、いずれもマーニの推察を裏付けるものだった。


「判明した限り、失踪事件の被害者と映像内の人物は一致している。なら、後は早いな」


「マーニ様?」


「大丈夫だ。もうあんたに無茶な願いを押し付けさせはしない。事件に巻き込まれた奴も出来るだけ無事に帰せるよう手配する。あんたにくれた、その名に免じて必ずだ」


 マーニは台座に座っていたハティに視線を合わせ、落ち着かせるように銀の髪をそっと撫ぜる。きょとんとした表情から、彼女は恥ずかしがるように目を伏せた。

 ()い反応と滑らかな手触りから時間を忘れかけるも、少ししてからそっと手を離す。


「知り合いに警察関係者がいる。そいつに情報を渡せば、単独で動くよりも安全に……」


 再び端末を手に、幼馴染へ連絡するマーニ。

 その手が、ふと止められる。


「な、なんですかっ、このサイレンは……!」


「コロニーの住民に危険を知らせるもんだ。これは恐らく……クソ、面倒なことになったな!」


 狼狽えるハティをよそに、マーニは部屋を出ていく。書机横に掛けてあった防護コートを着込み、使い込まれた光線銃を取り出す。寝不足でやや体調は優れないが、起こってしまったことは仕方がない。


「マーニ様、これは一体」


 追いかけてきた少女に、マーニは一言。


「あんたのご主人様がお迎えに来たんだろうよ」




 彼女を自由にしたのは間違いだったと、コロニーを練り歩くフエンは唇を噛んだ。出血が不健康な首筋を伝うのも厭わず、彼は白衣の内ポケットを探る。

 取り出した円盤状の液晶画面には、先ほどまで赤いドットが点滅していたのだが。探知対象を失った今は手がかりも失われてしまっていた。


「ふん。問題はない。彼女の居場所は見当が付いている」


 何も映さない液晶には、己の姿のみが映る。痩せこけた肌に、水分が失われた白髪。色濃い目の隈。いずれも積み重ねた過去の証であり、望む未来へ捧げた代償でもある。


 フエンは振り返る。戦闘用にカスタムされたアンドロイドの隊列。幾つもの罪を犯し、極秘裏に生み出した愛しき人にすら逃げられたのなら。もはや潜伏する意味はない。罪は罰する者がいなければ罪ではないのだ。


「手段も被害も問わない。一刻も早く彼女を確保しろ」


「了解、シマシタ」


 派手に街を破壊すれば、周囲は混乱に包まれる。それに乗じて彼女を連れ戻せばよい。彼女はフエンのものなのだ、それで全てが丸く収まるはずだ。

 現実感を欠いていく街の様子を他人事のように捉えながら、フエンは目的地を目指した。


 古臭い、二階建ての住宅。彼女の反応が消えた地点。中の様子を窺おうと近づくフエンに。


「よお、随分と派手にやってくれたもんだな」


 低い声。驚いて振り返る。闖入者は黒髪の男。無精髭に、冴えない面。元来他人に興味がないフエンだが、その青藍の瞳と、隣に立つ銀の少女にだけは。強い執着があった。


「ハリエット……! なぜ、そんな男と共に! それに、お前は……!」


「俺の名はマーニ・アルスヴィス。あんたのいうハリエットはもうここにはいないぜ」


「ふざけるな! その手を離せッ! それに何だ、アルスヴィスだと? 僕から彼女を奪ったその名を、どうしてお前が名乗る!?」


 フエンはすっかり正気を失っていた。見込み通りの状況に、マーニは一瞬眉を歪めて。


「ルファリ・アルスヴィス。俺の父親は宇宙海賊とかいう碌でもない男だった。あんたから奪った人の血が、俺には流れている」


 フエンは走り出した。衰えた細い体躯を懸命に動かし、仇敵に迫らんとしたのだ。

 だが、その刹那。閃光が瞬く。己の脚が鋭い熱に貫かれた感覚がして初めて、フエンは自らが光線銃に撃たれたのだと悟った。


 憎き相手にではなく、愛しい彼女の手によって。


「どう、して……」


「申し訳ありません、フエン様。私は貴方の愛したハリエットにはなれませんでした。私は――」


 注いだ愛の返礼、彼女の選んだその結末を。フエンは終ぞ否定した。

 地に伏してなお、叶わぬ夢想を求め叫び続けた。




「一連の事件の参考人として、直ちに警察本部に出頭するように」


 可愛げない幼馴染からの連絡に、マーニはハティを連れて混乱が収まりつつあるコロニー内を歩いていた。

 フォルセティ警察の対応は早かった。マーニが事前に手を回したのもあるが、ものの数時間でフエンを確保し、暴走するアンドロイドらを鎮圧。既に彼の実験場にも人員を派遣しているようで。その全容が周知されるのも時間の問題だった。


「しかし本当に、これでよかったのでしょうか」


 懸念があるとすれば。マーニは隣で暗い顔しているハティを見やる。

 課せられた命を全う出来なかったこと。創造主が迎えた愛の結末に、マーニの出生の秘。やりきれない思いは数多くあるだろうに、マーニはこうして人の都合で同行を頼むなければならないことを深く恥じていた。

 ハティを色々と利用した事実もまたきまりが悪く。上手く言葉が継げずに視線を逸らしてしまう。


 その優れた人間性を評価するあまり、無謀にも彼女に過酷な道を歩ませてしまったのではないか。創造主に逆らったアンドロイドの処遇は、概して穏やかなものにはならない。


「後悔してるか」


 やっと口にした言葉はそんな無責任な言葉。いよいよ顔を逸らすマーニに、ハティはそっと手を伸ばした。繋がれる指と指。


「いえ、そうではないんです。酷い実験に曝される人のために動くと決め、彼に逆らうと決めたのは私の意志です。そこに後悔はありません、ただ……」


 ハティは手を引っ張って、マーニと視線を交わす。


「愛について余計に分からなくなってしまって。私の生まれた意味も、これからの未来も……」


 人工太陽に照らされたドームの外側。ハティは殺風景な宙を仰いだ。本の世界で読んだような星空は、空に近すぎるこの場所からは見えない。

 一般的に。想いを寄せあう男女がそれを伝える場には月の出る夜などがある。マーニの事務所で目にした書籍にもそのようなことが書いてあった。


 似たような状況の今ならあるいは。そう思ったのだが、現実はいつだって上手くいかないもので。

 マーニは価値のある失敗と言ったが、これではとてもそう思えなかった。


「――月があればいいのに」


 切なる願いが滲むその言葉。

 マーニはようやく理解した。今すべきは反省などではない。この寄る辺ない少女と交わした約束を守ることだったと。


 コートの内ポケットから取り出したものを、ハティの小さな手にそっと持たせる。


「マーニ様、これは……?」


 握られた三日月形のキーホルダーを見て首を傾げるハティ。それに付属した鍵は、マーニが家を施錠するのに使っていたものとそっくりだった。


「これも爺さんが残した骨董品なんだが……とにかく、あんたには考える時間が必要だろ?」


「え、あの、それって……」


 偽物しか用意できないのは心苦しいが、それでも。


「――月はずっと、あんたのもんだ、ハティ。依頼の二つ目はまだ完了してないからな」


「……!」


 突如として胸に生じた熱に銀のアンドロイドは理解した。これこそが、己が歩むべき道だと。


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