第九十七話:彼女のいた証
「〜〜〜〜…………」
お経を唱える声と共に木魚を叩く鈍い音が辺りに響き渡る。鼻に香るは線香と灰の匂い。畳には座布団が敷かれ、そこに黒一色の装いをした者達が俯きながら、静かに座っていた。その中には肩を震わせ、啜り泣く者もいる。ここは市内有数の寺だった。気性の穏やかな住職と自己主張の少ない造り……………それが特徴であり、県外からも利用する客は多くいた。
「……………神無月は?」
「うん。それどころじゃないって………………まぁ、本人とは話せないから、お母さんから聞いたんだけど」
「あの様子は尋常じゃなかったもんな。俺達も悲しみの前にまず、あいつのことを心配したくらいだ」
横にいる長月と小声で会話をしながら、俺はついこの間のことを思い出していた。
★
「優梨奈っ!!」
容態が急変したと病院から連絡を受けた俺はタクシーに飛び乗り、一目散に駆けつけた。すると、そこには既にみんな揃っており、どうやら後は俺の到着待ちだったらしい。
「……………あっ………………拓也先輩だ」
数日前とは打って変わり、呼吸器のようなものを付けて弱々しくベッドに横になる優梨奈。その姿を見た俺はまるで胸が万力によって締め付けられるような感覚に陥った。
「来て……………くれたんですね」
「当たり前だろ。優梨奈に何かあれば世界中、どこにいてもすぐに駆けつけるさ」
「あはは……………嬉しいな………………でも、駄目ですよ?先輩には………………クレア先輩がいるんですから……………そういうのは一番大切な人に……………言ってあげて下さい」
途切れ途切れではあるが、苦しそうにしながらも一生懸命に俺とコミュニケーションを取ろうとしてくれる優梨奈。何でだろう?ついこの間まで会話なんていくらでもできたはずなのに今はそんなことすら、優梨奈にとっては大変なことになってしまっている。日常とはこうも容易く崩れてしまうものなのか。
「何言ってんだ。お前のことだって大事に決まってんだろ」
「浮気はいけませんよ…………はぁ、はぁ………………まぁ、先輩の言葉に喜んで…………しまっている私も同罪ですね」
「優梨奈、無理はしないで。安静に」
「クレア先輩……………お気持ちは嬉しいですが……………私は一秒でも長く皆さんと……………お話がしたいんです……………最期の最後まで」
「優梨奈、あなた……………」
「ははっ……………こうなってやっと……………実感できましたよ………………私の今の状態を」
「優梨奈……………」
「じゃあ…………あと、どれくらい時間が……………残されているか分からないから……………早速言いたいことを言っていきます………………まず、桃香」
「ううっ、優梨奈……………」
「泣かないの……………まぁ、私も同じ気持ちだけど……………」
「ううっ」
「桃香とは…………出会って九ヶ月くらいか………………一年いかなかったのは残念……………だけど、それでもこの中では一番一緒にいたかもね………………それこそ、昔から親友だったんじゃないかと……………思うくらいに」
「……………うん」
「でも、そんな親友と……………喧嘩して未だ……………仲直りできないっていうのは……………嫌かな」
「ううっ、優梨奈!あの時は本当にごめん!!私が全て悪かったよ!!」
「ううん。私の方こそ……………ごめん。それから、今までありがとうね………………こんな私と仲良くしてくれて」
「こんななんて言わないで!!優梨奈は私が今まで出会った中で一番大切な人なの!!私の方こそ、ありがとう!!」
「うん……………あ、睦月先輩とは仲良くしてね。あなた達、ちゃんと話し合えば……………分かり合えると思う………………だって、凄くお似合いだから」
「は!?何言ってんの?」
「ひょっとすると、ひょっとするかも?………………これは私の予言ね」
「こんな人と私が?ないない」
「こんな人で悪かったな!!」
「うふふ。じゃあ次は……………こんな人である睦月先輩」
「おい!」
「睦月先輩は……………桃香と仲良くしてね………………以上」
「それだけかよ!絶対、手抜いただろ!」
「次は…………神無月先輩」
「うん」
「神無月先輩は私に……………色々とよくしてくれました………………今、思うとそれは多少の……………下心があったからかもしれません………………でも、いいんです。私も……………その気持ちはよく分かりますので」
「………うん」
「神無月先輩……………今まで私のことを気にかけてくれて……………ありがとうございました……………それから、あの時は本当にごめんなさい………………これからはその優しさを……………どうぞ、他の方に向けてあげて下さい」
「くっ……………うん」
「次は長月先輩」
「うん」
「長月先輩とは…………もっと色々なことを話したりしたかったかも……………すみません。本当は私……………最初の頃、誤解してたんです……………長月先輩って………………凄い怖い人なのかもって」
「葉月さん……………」
「でも、接していくうちに……………違うって分かって……………長月先輩はとても柔らかい人で……………一緒にいると安心できる………………そんな人だって」
「……………ありがとう」
「進路、迷ってましたよね?………………お節介だとは思いますが………………私は長月先輩は他人のことをよく見ていて……………とても面倒見がいいと思うので……………そういったお仕事とかが向いてると思います」
「うん…………うん……………」
「今まで一緒にいてくれて、ありがとうございました………………とても楽しかったです」
「私の方こそ、ありがとう。あなたといられて幸せだった」
「次…………クレア先輩」
「なに、優梨奈?」
「クレア先輩は本当は………………学園の人達が思っているような……………冷血人間なんかじゃ……………ないです……………」
「そうかしら?」
「そうですよ……………凛としているように見えて…………恥ずかしがり屋で……………毅然としているように見えて……………意外とおっちょこちょいで………………クールを装っているけど……………可愛いものが大好きで」
「ち、ちょっと!一体何を言っているのかしら?」
「どれも捨てがたい魅力ですが………………私は……………クレア先輩の笑顔が一番好きです」
「っ!?」
「笑っている時のクレア先輩は………………どのクレア先輩よりも………………一際輝いています………………まぁ、クレア先輩の良いところについては………………私よりも詳しい人が………………いますがね」
「ゆ、優梨奈っ!?や、やっぱり気付いて……………」
「はい」
「ごめんなさい。優梨奈には私達の関係がちゃんとしたものになった時に言おうと思って………………今さら遅いかもしれないけど、いいかしら?」
「はい……………聞きたいです」
「私と拓也、付き合うことになったわ。これも全ては優梨奈がいてくれたから。あなたがいてくれたから、私は彼と仲を築くことができた。あなたがいてくれたから、私は勇気を出せた………………あなたと出会うことで私は……………ううっ」
「クレア先輩……………お気持ち、凄く嬉しいです………………私の方こそ、今まで本当に楽しくて幸せで……………ああっ、やっぱりこの学園に通えて良かった……………そう思えたのはあなたがいてくれたからです」
「優梨奈……………」
「ありがとうございました……………拓也先輩とのこれから……………一足先に遠い場所から……………応援しています」
「ううっ、優梨奈ぁ……………私の方こそ、ありがとう……………あなたからは色々なものをもらったわ」
「はい……………じゃあ、最後に……………拓也先輩」
「……………ああ」
「拓也先輩………………実はあなたに言ってなかったことがあります………………それは私がどんな想いであなたと一緒の時間を………………過ごしていたか。でも、それを……………今、ここで言うことはしません………………」
「えっ、気になるんだけど…………」
「いずれ、分かりますのでご安心を……………だから、ここではそれ以外のことを言います……………私が蒼最学園に入って最初に接した先輩は……………拓也先輩でした。私は……………あの学園見学の時に出会った先輩に……………絶対もう一度会ってお礼を言いたい………………その想いで入学してきました………………そして、再会した先輩は………………私の思ってたような反応を返してくれなくて………………それは一瞬人違いかと思うようで…………でも、先輩はちゃんとあの時と同じで優しくて温かくて全てを包み込んでくれるような………………私にとっては太陽のような存在でした」
「それは言い過ぎだろ」
「拓也先輩と過ごす日々は毎日が楽しくて新鮮で………………キラキラと輝いていました……………思えば、先輩と出会ってから、ここまで……………色々なことがありました………………中には怖い思いをしたこともあります。ですが………………先輩はそんな私を常に支えてくれていました………………」
「優梨奈………………」
「そんな先輩の横には………………今、最も支えなくてはならない人がいます………………どうか、その人を最優先に………………先輩は自分の大切なものを全て守ろうとします……………でも、その人達だって、いつまでも守られていたい訳じゃない……………かえって申し訳ない思いをさせますし、心配もします……………もう大丈夫………………その人達にももう支えてくれる人はいますから」
「優梨奈……………くそっ!涙で口が………………」
「拓也先輩……………今までありがとうございました………………あなたと出会えた私はおそらく………………世界で二番目の幸せ者です」
「俺の……………ぐぅぅ………俺の方こそ、ありがどう……………優梨奈との日々は……………とてもかけがえのないものだった………………楽しくて嬉しくて幸せで楽しくて……………あれ?同じこと2回言ってる?」
「ふふふ……………お茶目な先輩………………そんな人だから、私は………………」
その時、優梨奈の近くにあった機械から、ピーーーッという無機質な音が響いた。それと同時に優梨奈の目は閉じられ、今の今まで動いていた口も動きを止めた。
「二月二十八日午後九時三十四分……………ご臨終です」
医師からそう告げられた瞬間、俺達は崩れ落ちた。まずは優梨奈の両親、そして次に………………
「ああああああっっ〜〜〜!葉月さん!葉月さん!ああああああっ〜〜〜!!!優梨奈ぁっ〜〜〜〜!!!!」
まさかの神無月だった。神無月は崩れ落ちると同時にその場で目をひん剥いて大口を開けたまま叫び出し、床をのたうち回った。その尋常ではない様子に俺達は皆、悲しみよりも神無月の心配の方が先だった。
「あああああああっ……………ああっ……………あっ」
そして、数秒そのまま叫び続けた神無月は………………急に動きを止めた。
「君!すぐに彼を病室に!!一刻を争う事態だ!!このままだと彼が危ない!!」
すると、それを見た医師は近くにいた看護師にそう言いつけ、駆けつけた医師達に神無月をどこかへと運ばせた。
「神無月……………」
「あいつは大丈夫なんですか?」
呆然とする俺達を他所に至って冷静に医師に訊く圭太。それに対する答えは要領を得ないものだった。
「分かりません。今回、彼にかかった精神的ショックがどれほどのものか、それがどこまで今後に影響してくるのか……………とりあえず、このまま様子を見るとしか」
「そうですか…………」
俺達はその後、今後の説明を聞いてから、それぞれ帰宅した。それから、優梨奈の葬儀が執り行われるまで俺は誰とも会うことはなかった。しかし、心の中には優梨奈がこの世に存在していたという確かな証がしっかりと刻み込まれていたのだった。




