第八十話:五穀豊穣
尺八の音がどこからか聞こえてくる。俺はクレアの実家の廊下を歩きながら、居間へと向かっていた。ここには先程到着したばかりであり、俺はクレアを残してトイレに行っていたのだ。
「あっ!そうだ!いいこと考えたぞ」
俺は帰り道を少しだけ普通に歩き、居間に近付いたタイミングで抜き足差し足に変えた。いいこととは急に襖を開けて、クレアをびっくりさせてやろうという非常にシンプルなものだった。しかし、シンプルだからこそ、驚くはずだ。クレアはまさか、俺がそんな子供じみたマネをするとは考えまい。そして、油断したところを………………
「ん?そこにいんの誰だ?」
「……………えっ」
俺は襖まであと少しというところで急停止せざるを得なくなった。居間から、こちらに向かって声が聞こえたからだ。おかしい。できる限り、足音を消して歩いたはずだ……………何故、気付かれた?いや、待て。まだ俺のことを言ってると決まった訳じゃ……………
「お前だよ……………襖の近くにいる」
「って、バレてんじゃん!!」
「え〜っと、名前は如月拓也で歳は十七。どこにでもいるごくごく普通の蒼最生。趣味は……………」
「しかも思いっきりバレてるし!」
俺はそこのタイミングで襖を開け放った。中を見るとドヤ顔のあの人と呆れ顔のクレアが待っていた。
「おっ、拓也!久しぶり〜………………んで、趣味は」
「お久しぶりです、オリヴィアさん!そこから先はやめて下さい!!」
オリヴィアさんは相変わらずの不敵な笑みを浮かべながら、立膝で俺を出迎えた。ってか、この人いつのまに来たんだ?
「さっきだよ。どうやら、ちょうどすれ違いだったみたいだな」
「またまた、心を読まれた!?」
「え?何で抜き足差し足してたのにバレたのかって?んなの簡単だよ。お前が素人で私がプロだから」
「いや、あなたを前にしたら、そんな疑問は晴れましたよ。なんか気配というか、存在感というか、とにかく半端じゃないですもん………………一応、何のプロかは聞かないでおきます」
「賢明な判断だ、少年。無駄に命を散らしたくはないだろうからな」
「怖っ!!クレア!お前のお姉さんって本当、何者なの!?」
「私も海外に行ってからの姉さんのことは知らないのよ。連絡も全然取れなかったし」
「下手に連絡できちまうとそっちに被害が及ぶかもしれないしな………………あと、戦いの最中だったら、忙しくて連絡できねぇし」
「今、物騒な単語聞こえましたよ!?この話題、もうやめたいです私!!」
「ところで、今日は何しにここへ来たんだ?」
「切り替え早っ!!流石に付いてけないですよ!」
「例の五穀豊穣のアレよ」
「流石、姉妹!!慣れたコンビネーション!!」
「ああ……………なるほどな」
そこで少し思案顔をするオリヴィアさん。数秒後、ニヤリとした笑みを浮かべ、こう言った。
「んじゃ、行くか」
★
新嘗祭。宮中祭祀の一つであり、また祝祭日の一つでもある。天皇がその年に収穫された新穀などを天神地祇に供えて感謝の奉告を行い、これらの供え物を神からの賜りものとして自らも食する儀式のこと。また、これに際して各地の神社や農業を営む者達もまた五穀豊穣を願い、儀式や催し物をするのが通例であった。そして、俺達がクレアの実家にやってきたのもこれが目的であった。
「お久しぶりでございます」
「おっ、クレアちゃんか!帰ってきてたのか!」
霜月家は元々、農業から始まった名家である。だからこそ、こうして五穀豊穣を願う際には実家の周りの家々を周り、顔見せを行うのが習わしらしい。しかし、クレアはここ数年、ほとんどやらなかったと聞いた。それが今回は是非やりたいと申し出たのだ……………一体、どういう心境の変化なのだろうか?
「本当、どんな心境の変化なんだろうな」
「だから、人の心を読まないで下さいってば」
「読んでねぇよ。んなことしなくても顔に出てるからな」
「うぐっ」
「ちなみに拓也はどう思うんだ?」
「う〜ん……………何か、覚悟のようなものを決めたんじゃないですかね?」
「ほぅ?」
「クレアの行動にはちゃんと意味がありますから。そして、それは概ね正しいことがほとんどです」
「やけに評価してるじゃないか」
「評価じゃなくて信頼です。クレアのことはたとえ何があっても信じられるんです」
「くぅ〜!今の台詞、クレアに聞かせてやりてぇ」
「何言ってるんですか。本人が目の前にいないからこそ、言えてるんですよ。本来なら、恥ずかしくて言えません」
「じゃあ、何で私には言ったんだ?」
「なんというか」
「?」
「オリヴィアさんには嘘をつかず正直に言っておきたかったんです………………だって、未来のお義姉さんですから」
「くっ!可愛いこと、言うなお義弟よ!!」
「わっ!ち、ちょっと!急に抱き付かないで下さい!!クレアが凄い顔でこっち見てます!!」
「クレアちゃん。オリヴィアちゃんは分かるんだけど、あちらの男の子は?」
「彼は如月拓也」
「如月?……………はて?どこかで聞いた名字なような…………」
「私の未来の夫……………となるかもしれない方です」




