第七十七話:水族館
広辞苑によると、"水生生物を収集・飼育し、それを展示して公衆の利用に供する施設"……………それが水族館らしい。その説明だけでは何とも堅苦しく、エンタメとしての要素もあまり感じられない。しかし、実際に行ってみたらどうか……………きっと、その考えは180度変わることだろう。
「うわ〜!見て、拓也!あれ!」
「ああ……………イソギンチャクだな」
やはり、百聞は一見にしかず。
「あれは何?」
「うん。エチゼンクラゲだな」
こうして、目の前ではしゃぐクレアを見ていると実際に行ってみることの大事さがよく分かる。
「あれは……………」
「なんか、よく分からん貝だな………………ってか、クレア初めて来たんだよな?」
「ええ。生まれてこの方、水族館には足を運んだことがないわ」
「じゃあ、何故、ピンポイントでそんな生物ばかり……………」
「?」
「ま、まぁクレアが楽しんでいるんだったらいいか」
「ええ。とっても楽しいわ!!ありがとう、連れてきてくれて」
そう笑顔で言うクレアに野暮なことは言うまいと次の場所へ促した俺だった。
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「館内にお越しの皆様へご連絡申し上げます。今から15分後、特設ステージにてショーを開催致します。そこでは当水族館で人気のイルカであるリバーちゃんはもちろんのこと、アシカやペンギン達によるショーも予定しております。どうぞ、この機会に足をお運び下さるようお願い申し上げます」
俺達が沢山の魚達を見て回っていると突然、館内にアナウンスが流れた。やはり、休日ということもあって、子供達も多く来館しており、アナウンス終了後にはみんな揃って目を輝かせていた………………って!
「拓也、拓也!ショーやるんですって!」
その中にはなんとクレアもいた。ワクワクしながら俺の袖を引くクレアはまるで小さな子供みたいでとても可愛いかった。
「ショー、行くか?」
「ええ!是非!!」
うん。今何となく、娘の頼みを断り切れない父親の気持ちが一瞬だけ分かった気がした。
「おっ!アシカのアカシちゃん!ちゃんとボールを乗せられるかな?」
「乗せられるかな?拓也」
「うん。乗るといいね」
現在、舞台上では飼育員のお姉さんがアシカのアカシちゃんの成功を見守っている……………どうでもいいけど、アシカのアカシちゃんって、少し言いづらいな。
「おおっと!アカシちゃん!なんと、ボールを上手く操り軽々と頭の上に乗せました!!」
「拓也!アカシちゃん、乗せたわ!あの子、できるわ!」
「うん。すごいね」
「さぁ〜て、次はペンギンのペギ次郎!彼はあのペギキングの次男に当たる男の子!きっと素晴らしいものを我々に見せてくれるでしょう!!」
「えっ!?嘘っ!!あのペギキングの!?」
いや、クレアさん。今日、初めて来たあなたが知ってる訳ないでしょう?ってか、ペギキングって誰だよ。つーか、何だよ。
「見て下さい!ペギ次郎のこのドヤ顔!これは成功間違いなしです!つーか、成功しなかったら……………どうなるんでしょう?」
いや、知らんがな。
「ペギ次郎に挑戦して頂くのはこちらの氷の板の上をどのくらい進めるのかというものです!しかもただ歩いて進む訳ではありません!なんと、彼はお腹を氷面につけ、滑って進むのです!!かつて、彼の父ペギキングはこれで約10メートルは滑りました」
えっ…………あの板、パッと見3メートルくらいしかないけど。滑り切ったにしても残りの7メートルは?ってか、10メートルだったら、舞台に収まりきらなくね?もしかしなくても盛ってね?
「す、凄い……………」
あぁ、クレアが目をキラキラと輝かせちゃってるよ。これは興奮のあまり、正常な判断ができてないな。おい、ペギ次郎。お前、絶対成功させろよ?うちのクレアの期待を裏切るんじゃねぇぞ?
「っ!?」
「あれ?どうしたんでしょうか?ペギ次郎に今、悪寒のようなものが走った気が……………まぁ、細かいことはどうでもいいです。さぁ!ペギ次郎!用意はいいかな?」
「ペギッ!!」
あいつ、あんな鳴き声なのか。
「可愛いっ!!」
あ、可愛いんだ。俺はそう言ってるクレアの方が可愛いけどね。これは親馬鹿ならぬ、クレア馬鹿なんでしょうか?
「じゃあ、位置について……………よ〜い、ドン!!」
お姉さんの合図で勢いよくスタートしたペギ次郎。飛び込みの要領で氷面にダイブし、後はその勢いのまま真っ直ぐ前へと進めばいいだけ………………なのだが。
「ペギッ!ペギッ!」
ペギ次郎は一生懸命、手をバタバタと動かすだけでちっとも前に進んではいなかった。そして、それを見たクレアはというと……………
「ペギ次郎!頑張って!」
純粋に彼を応援していた。うん。でも、無理だと思う。まず、氷が滑りやすくなっていないどころか、あれは…………おそらく腹がくっついてるな。よくある冷凍庫から取り出したばかりの氷みたいなやつ。時間が経ってれば、少し溶けて滑りやすくなるんだろうけど、あれじゃあな……………
「何で?どうして?ペギ次郎、あんなに頑張っているのに!!」
「ペギッ!ペギッ!」
うん。これは二人が可哀想だ。俺がそう思った瞬間、お姉さんは何食わぬ顔で氷の板ごと、ペギ次郎をどこかへ運んでいった。
「はい!ラストは当水族館のアイドル……………イルカのリバーちゃんで〜す!!」
そして、何食わぬ顔で戻ってくるお姉さん。何、今の間は?怖っ!!
「は〜い!そこのお兄さん!怖いとか思わない!子供達は切り替えて、次に行ってるんだから!」
は?そんな訳ないだろ!こっちにはたった今の今までペギ次郎の勇姿を見守ってた奴が………………
「ねぇ、拓也!リバーちゃんって、どんな子かしら?」
ペギ次郎っ!お前って奴は!!誰が忘れても俺だけはお前を忘れないぞ!!
「どうしたの?」
「いや、切り替えが凄いなって」
「ん?ペギ次郎のこと?だって、もう終わったことじゃない。それにクヨクヨしたって仕方がないわ。大事なのは次よ。彼はまだ生きているんだから、いつだって名誉挽回のチャンスはあるわ」
「か、カッコいい!!思わず惚れちゃいそう!!」
「それはもうとっくでしょ?ほら、始まるわよ!!」
「……………水族館での会話を録音したの後で聞かせたら、大変なことになりそう」
「リバーちゃん、可愛いかったし凄かったわ!!」
「うん。思わず、グッズも買っちゃったもんね」
リバーちゃんのショーは一番盛り上がった。水上に顔を出し、そこにボールを乗せたまま泳いだり、ジャンプして輪をくぐったり、とにかく色んな芸を披露してくれて俺もクレアもとても楽しむことができた。本当、彼ら全員には拍手を送りたい。まぁ、俺の中でのMVPはペギ次郎だがな。あいつは男だぜ、かなり。
「それでここは?」
売店で買ったぬいぐるみやキーホルダー、お菓子などが入った袋を持ちながら、尋ねてくるクレア。その際、キーホルダーがチャリンという小気味のいい音を立てる。袋は重いようだから俺が持つよと提案したのだが、クレアは私が持つの!と言って聞かなかった。それはまるで小さな子供が買ってもらったばかりのものを盗られたくないと言っているような感じでとても微笑ましかった。
「今日の最後にここを見ておきたかったんだ……………クレアと」
「……………そう」
そこはこの水族館の中で最も静かかつ、美しいフロアだった。目の前の大きな水槽の中を多種多様な魚が綺麗に泳いでいく。そのゆったりとした感覚はまるでここの世界だけ他とは切り離されているかのようで時間を忘れて見ていることができた。だから、だろう。ここは主にカップル達が互いに寄り添いながら、静かに水槽を見つめる場所として存在していたのは。
「いいわね、こういうの」
「ああ」
俺達もその雰囲気に合わせるかのようにどちらともなく寄り添い合った。そしてこの先、こんな景色を何度も共に見ていきたい……………俺は改めて、そう思ったのだった。




