第百話:大切なもの
「どこに行くの?」
「これから行くところはね、パパ達の大切な人が眠る場所なんだ」
「そうよ。その人はあなたにとっても大切な人なのよ」
「へぇ〜そうなんだ」
娘を間に挟み、彼女の右手と左手をそれぞれ俺と妻が握りながら歩く。今日は日曜日ということもあって、そこそこの人がいた。皆、娘を見て微笑みながら通り過ぎていく。娘はそんな人達に向かって笑顔で手を振っていた。
「でも、眠っているのに行くの?間違って起こしちゃったら、可哀想じゃないの?」
「………………うん。だから、そこに着いたら起こさないように静かにしていようね」
「着いた後のことはさっき言った通りよ?優しくお水とお花をあげて、この棒に火をつけたのを置くの。もちろん、お邪魔させて頂いたのだから、お掃除もちゃんとやってね?それから静かに目を瞑って、おててを合わせてね」
「うん!分かってる!」
「そう。偉いわね」
妻が無邪気な娘を見て、微笑む。一方の俺はそんな娘を見ると心が痛んだ。俺には未だあの時の罪悪感が拭えないでいた。あの時、あの場所で受け取ったチョコレートと手紙のことについては妻に一切言っていない。あのことは胸のうちにしまっておこうと思ったのだ。妻にはこれ以上、ショックを与えたくない。これは俺が背負うべき罪なのだ。
「どうしたの?」
「いや、何でもない……………それじゃあ、行こうか」
★
「あっ……………如月くん」
トイレに行った妻と娘を待つ間、少し離れたところにあるベンチに座っていた俺。そこへ徐に声が掛けられた。振り返ってみると、それは随分と懐かしい顔だった。
「長月……………と神無月か」
どのくらい振りに会ったのだろうか。高校を卒業してからは一切会っていないから……………なんて考えたのも束の間、俺は違和感を覚えた。
「久しぶりだね。私、高校を卒業してから、看護師の専門学校に行ったの。例の件と神無月くんのことがあって、私がやるべきこと………………ううん。したいことがはっきりと分かったの。私は看護師として、沢山の人を支えていきたいんだって………………それで今は念願叶って看護師として働いてるの」
こう話す長月はとても生き生きとしていた。しかし、神無月はそんな彼女の引く車椅子に座り、終始焦点の合わない瞳を空に向けていた。まるであの時のまま、時間が止まってしまったんじゃないか……………いや、もしかしたらあの時間に置き去りにされてしまったのではないか……………そう思う程、彼の顔はあの時と変わらず成長も後退もしていなかった。しかし、彼の髪だけは何十年も時を過ごしたんじゃないかと思える程、白く染まり上がっていた。
「……………神無月くんさ、あの日から何も話さなくなっちゃったんだって……………ご両親が悲しそうにそう話すの。せっかく、これから失っていた家族の時間を取り戻せると思ってたのにって………………最低限の食事はするけど、何も話さないし、感じない。だから、当然心が動かされることもない…………だけど時々、突然何かを思い出して叫びだすことがあるんだって。そして、それを繰り返しているうちに髪もこんなになっちゃって」
俺の視線に気が付いたのか、神無月のサラサラな髪を優しく梳くように撫でながら、そう話す長月。俺は思わず、目の前の現実から目を背けたくなるような衝動に駆られた。しかし、それもほんの一瞬のことだった。俺は絶対に逃げない。全ての現実を受け入れるとあの日から誓ったのだ。それが俺の………………
「あなたは何も悪くないよ」
「っ!?長月……………」
「あの時のお医者さんが言ってたの。やっぱり、どう考えても不自然だって………………まるで、科学では証明できないような何かが働いたんじゃないか………………今まで多くの患者を見てきたけど、あんなケースは初めてだって」
「………………」
「…………っと、ごめん。そろそろ行かなきゃ。霜月さんも戻ってくるしね……………あ、今は霜月じゃないんだっけ」
「……………ああ。嫌味に受け取らないで欲しいんだけど、結婚式と披露宴の招待状は送ったんだけどな」
「ごめん。あの時はそれどころじゃなくて………………もちろん、神無月くんもこういう状態だから」
「分かってる。たださ、ぼんやりとだけど………………ああいう幸せな式はみんなで祝いたいなって思ってたから………………」
「如月くん………………」
「ごめん。これは完全に俺のわがままだな………………はぁ。なんか今日はつくづく色んな感情が出てくるな」
「そうだね………………でも、それは生きてるってことだから。人はそれだけで十分だし、幸せだよ。ちゃんと感謝しなきゃね」
「変わったな、長月」
「うん。今なら、あの時の師走先生の言いたかったことも何となく分かるかも」
「師走先生か………………懐かしいな。今、どこで何してるんだろ。まだ教師やってるのかな」
「ううん。先生は………………自分にはやらなければならないことがあるって、各地を飛び回ってるよ」
「やらなければならないこと?」
「うん。それが私にとっての宿題だって」
「宿題?一体誰から出されてんだよ。大体、期限はいつだよ……………相変わらず、掴みどころのない人だな」
「………………」
「おっ、じゃあそろそろだな」
「うん。少しだけど話せて良かったよ。また機会があったら、話そうね。その時は霜月さんも一緒に」
「だから、今は霜月じゃねぇって」
「ああ、ごめんごめん。じゃあ、今度は如月夫妻と一緒にまた、どこかで……………ね」
「ああ。じゃあな……………頑張れよ」
「うん。あなた達もね」
俺は去っていく長月達を見送り、こちらに向かって歩いてくる妻と娘を待った。ここから、俺達の向かう目的地まではそう遠くない。おそらく長月達の目的も俺達と同じだったことだろう。俺は見逃さなかった。長月と話している最中、ちょくちょく神無月の瞳に光が灯ったり、揺れ動いたりしていたのを………………そうなる要因なんて、考えられるのは一つしかなかった。
★
「さぁ、さっき言った通りにやってみて」
「うん!」
娘が大きく返事をし、動き出すのを横目で見つつ、チラッと花瓶に目をやった。すると、そこには既に白い花が挿してあった……………あれは彼女が好きな花だった。やっぱり、先客があったのだ。
「あれ?もうピカピカだよ?それにお花もある!火のついた棒も!!」
娘が不思議そうな顔でそう言うのを見た俺は妻に目配せをした。すると妻は頷き、屈んで娘に目線を合わせつつ、優しくこう言った。
「これはね、私達の前に来てくれた人達がやってくれたのよ?」
「お友達?いいなぁ〜私もお友達、沢山欲しい!」
「うん。そうね………………それでそのお友達がやってくれたからたといって、私達が同じことをしちゃいけないってことはないのよ?」
「えっ、いいの?」
「いいのよ。既にピカピカでお花も火のついた棒もある。でも、こういうのは気持ちが大事なの。ちゃんと相手のことを想って、やればここに眠っている人も嬉しいのよ」
「そうなんだ!分かった!」
そう言って、娘は一生懸命、気持ちを込めて掃除に取り掛かり、花を挿し、水をかけた。その気持ちが伝わったのか、心なしか、来た時よりも輝いて見えた。
「「「………………」」」
そして、三人で目を瞑り、手を合わせる。その時、風が柔らかく吹き、太陽の温かい光が俺達の手を合わせる先に差した。それはまるでこの空間が優しく包み込まれているような感じだった。
「ゆり……………あなたの名前はここに眠る人と目の前にあるお花から頂いたものなのよ?」
「そうなの?………………でも、眠ってないよ?立ってるよ?」
「「えっ!?」」
俺達が驚いて娘の視線の先を見るとそこには………………俺達の大切な人がかつての少女の姿のまま、微笑んでこちらを見ていた。そして、彼女は短く一言だけ何かを呟き、次の瞬間にはもうどこかへと消えてしまっていたのだった。
ここまでのご愛読ありがとうございました。現代編はここで終わり、次の話から過去編に入ります。なのでもう少しお付き合い頂ければ幸いです。




