義母から受け取ったバトン
嫁の母──義母が亡くなったのは癌のためだった。
少し前に難病を患っていて、薬で免疫機能を抑えていたためなのだろう。見つかった時にはすでに腹腔内に癌細胞が散らばっていて、もはや手術出来る状態ではなかった。
それでも、義母は明るく──時に弱音を吐きながらも──前向きに抗癌剤治療に向き合っていった。
底抜けに明るく、優しい義母だった。
娘しかいなかったためか、長女の夫である私のことも大変に可愛がってくれた。
私がサッカー好きだと知ってからは共通の話題を作ろうとしてくれたのか、サッカー日本代表の試合を見るようになり、四年に一度のワールドカップの時期にはなかなかに盛り上がったものだった。
本田圭佑選手の大ファンだったが、「本田の次に好きな選手は?」と訊くと「ナイジェリアのムサ!」という微妙なチョイスを返して来る、独特な感性の持ち主だった。
そういえば、私が知る最も旨い蕎麦屋に連れて行った時も、何故か蕎麦ではなく鴨汁蕎麦の鴨肉ばかりを絶賛していたっけ。
闘病中も義母の体調のいい時期を狙って、私の運転する車で義父や嫁とともに、遊びやちょっとした旅行にも連れて行った。
ずっと行きたかったという出雲大社や足立美術館──義母は大変に喜んでくれた。
私としても、それなりにぎりぎりまで孝行できたのではないかと思う。
やがて、治療も及ばず、義母はこの世を去った。
最後は愛する家族たちに囲まれ、このまま亡くなるのかと皆が思っていた時に突然カッと目を開き、全員の顔を見回してから満足したように目を閉じ、静かに息を引き取っていったのだ。
──多くの人と接する仕事をしていたためか、葬儀にも驚くほどたくさんの人が参列してくれた。
もちろん、本人に全く心残りが無かったわけではないだろう。
だが、多くの人に慕われ、惜しまれつつ亡くなった義母の人生は、とても幸せなものであったのだろうと信じる。
さて、義母が亡くなった後も、義母の肉体の一部はしばらくのあいだ生き続けていた。
実は、私の嫁の腎臓は、若い頃に義母から提供されて移植したものだったからだ。
──嫁は子供の頃に腎臓を患った。永年、運動制限と徹底した塩分制限で病気の進行を遅らせ、やがて人工透析に移行し、20代になって義母の腎臓の片方を移植したのだ。
義母の腎臓はとても丈夫だった。嫁との相性も良かったのか、実に長いあいだ元気に働き、嫁の健康を支えてくれた。
しかし、不思議なことに義母が亡くなった直後から少しずつ機能が低下していき、嫁は再び人工透析を受けることになってしまったのだ。
ご存じない方のために、簡単に説明させていただくと──。
腎臓の主な機能とは血液中の老廃物をろ過して尿として排出することで、その機能が失われた人は、機械で人工的に血液をろ過する人工透析を受けるか、腎臓移植手術を受けるしかない。
人工透析をすればそれなりに普通の生活を送れるのだが、週3日、数時間ずつものあいだ機械に繋がれたままで過ごすことを余儀なくされる。
しかも、人工透析では老廃物を完全に除去し切れないために、徐々に身体にダメージが蓄積していってしまうのだ。
私が嫁と出会ったのは大学一年の時。運動制限により車椅子で生活していた嫁と一緒の授業が多く、その縁で仲良くなったのだ。
やがて、良き友人関係からいつしか恋人となり、結婚。
その頃には嫁はもう、義母からの腎移植を受けて普通に生活できるようになっていたのだが、私が結婚を決意した時に、密かに覚悟を決めていたことがある。
義母の腎臓がやがて駄目になった時には──次は自分の腎臓を提供しようと。
臓器移植には、どうしても拒絶反応がつきまとう。体内に異物を入れるのだから、それは仕方がない。
拒絶反応を抑えるために、免疫作用を抑える薬──免疫抑制剤を使うのだが、相当に強い薬なので副作用も強い。
実際、義母からの移植を受けた当時も、嫁は拒絶反応に苦しみ、しばらくはろくに動けない状態だったのだ。
血縁からの移植ですらもそうなのだ。ドナー登録をした死体からの提供を受けても適合せず、人工透析に戻ってしまった例も少なくないそうだ。
だが、いつ来るかわからない順番を待つくらいなら、自分が片方の腎臓を提供しよう──そう思ったのだ。
しかし、医学の進歩というのは凄い。
今では、免疫の型を詳細に調べ、適合しない部分を事前に調整する技術がある。そのため、最近は血縁ではなく夫婦間の提供も多くなっているらしい。
迷いはない。私は嫁とともにある大学病院に行き、移植の手続きを進めることにした。
──もっとも、コロナ禍もあって、実際に移植を行うまでに2年ほどかかってしまったのだが。
手術は実に痛かった。手術後の痛みについて、思わずエッセイを一本上げてしまったくらいで。
でも、手術の翌日には、車椅子に乗っていたが笑顔を浮かべた嫁と言葉を交わすことも出来た。1回目の移植時の状況からは考えられないほどに順調だ。
──やっぱり医学の進歩って凄い。
お義母さん。
今、嫁の体内では、貴女の腎臓に代わって私の腎臓が働いています。
今のところ特に問題もなく、順調に機能しているようです。
──お義母さんが亡くなったあの日、家族の顔をぐるりと見回した時、一瞬だけ私のところで目が止まりましたよね。
私はあの時確かに、『娘のことを頼んだよ』というお義母さんの想いが込められていたように思ったのです。
貴女からのバトンは確かに受け取りました。
自分は、これからも出来るだけ長く、嫁とともに生きていきます。
多くの人に愛情を注ぎ、愛されたお義母さん。
病と敢然と立ち向かい、前向きに戦い続けたお義母さん。
──私は、貴女に『息子』として愛してもらったことを誇りに思います。