蒲鉾の足
*この小説は「ホラー」「不条理」を含みます。(ホラー目的ではなく、ギャグよりです)
不気味な雰囲気でおさめているので残酷シーンはありませんが苦手な方はご注意ください
私と友人はその店で蕎麦と日本酒に舌鼓を打っていた。
水の清い山間らしさを味わえる、その日取れた山菜の天ぷら、湧水で締めた豆腐を使った揚げ出し豆腐に辛味大根のおろし、掘ったばかりの山芋の千切りなどの土地の品が並ぶ。いわば定番の小料理であるが素材の新鮮さはもちろん、土地が植物に与えた旨味と、えも言われぬ芳香や食感に、いちいち唸りをあげて友人と確かめあうほどだった。
こうなれば当然酒がすすみ、地元酒蔵の徳利を二本三本と空けるうち、口も回り舌も踊るようになるが、思わぬ失言や小言を滑らせるようにもなる。
「ここは当たりだねえ、何しろ水がいいからね。全部が美味い」
「うん、間違いないね。水だ、蕎麦は水によるね。それにワサビがよかった」
「そうだね、いかにも清水で育った本ワサビだ。香りと滑らかさがちがうね」
と、お品書きを見た友人に、
「おや、板わさがあるじゃないか。君はこれいつも頼むじゃないか。一ついこうか」
と言われて私は、しなくていい苦言を吐いてしまった。
「いや、ここは山の中だぜ、いくらワサビが良くても旨い蒲鉾があるわけないじゃないか」
思わず出てしまったのだ。
言い訳をさせて貰えば、別に置いていることに文句をつけるわけでもなかった。蕎麦屋といえば定番のつまみだから、地元の人が食べることもあるだろう。
ただ私は蒲鉾が大の好物であるから、こういうところで食べてがっかりしたくないというだけだったのだ。それを友人が面白がって焚きつけるから、あとが続いてしまった。
「はは、君は蒲鉾にはうるさいからねえ。どこへ行っても食べるくせに、どこへ行っても文句ばかりじゃないか」
「いや、ね。最近はどこの蒲鉾もすけとうだらやサメを混ぜているから味も同じになってしまった。昔は小田原はグチや沖ギス、仙台はヒラメ、関西だったらハモ、グチなぞ、同じ板わさでも味わいが違ったんだが」
「はは、そうかそうか。じゃあやめにして、何をつまもうか」
と、隣へ注文の天ぷらを出し終えた店主が近づいてきて言った。
「お客さん、うちの板わさ、食べて見てくださいよ」
聞かれてしまったと気まずくなり、慌てて私は詫びをいう。
「ああ、ごめんごめん、ご主人の悪口を言うつもりはなかったんだ。きっといいとこの蒲鉾つかってらっしゃるんでしょ?」
「いや、ここで作ってるんすよ」
驚いた。蕎麦屋が蒲鉾を作るなんて聞いたこともない。それにここは山の中だ。
「一応海のある県なんでね、市場のある日にバイクで一走りして刺身用に買うついでに、蒲鉾用にも仕入れしてるんです」
考えてみれば蒲鉾は作り立てが一番美味しい。こだわるんだったら自家製が一番だろう。しかしそれをこんな山奥でやっているとは。
8ミリほどの厚さに切られた真っ白な蒲鉾に、擦りたての本ワサビが添えられている。私は期待しながら一箸つけた。
「む。旨い」
噛んだ瞬間の歯応えの良さに思わず声が漏れる。
「この『足』、たまらないな。噛んだ後ぐいと受け止めてからプリリと弾けてくれる。かと言って角が立ちすぎず舌触りは滑らか。練り具合と塩味が実にいい」
「ありがとうございます」
普段、板わさなんてどれも変わらんだろうと言っている友人も流石に旨いとうなる。
「この足の強さは、きっとエソだろう?宇和島蒲鉾で食べたことがある」
「その通り。もう一種、わかりますか?」
「ふむ。なんだろう?グチやムツかな?しかし土地的にそれは南のほうだろう?」
主人がうなづいている。
「アジや太刀魚を混ぜたらもっと感触と香りが変わるだろうし、ヒラメ?タイか?いやしかし」
しばらく考えたが酔った頭でこれ以上待たされるのも面倒になって降参する。
「ナガヅカです。ワラヅカともいいますが」
「ああ!くそ、おもいださなかった。北海道で「すりみ」として出されたのを食べたことがある。へえ、エソと混ぜるとこんなにいい足になるのか」
「蒲鉾は『足』だの、うどんは『腰』だの、白くて弾力があるものを体に例えるのが好きだね、おじさんは」
と、友人は笑って、
「そのナガヅカって初めて聞いたんですけど、そのアラ、ありますか?」
と妙なことを言う。
「アラ、ですか?今日のは捨てちゃったんですが、明日の蒲鉾用に一匹ありますけど?」
「それ、頭を、胸びれの下当たりから、煮付けとかしてもらえないかな」
「はあ、まああら汁とかにして食わんこともないですけど、またどうして?」
「初めて聞いた魚だからさ、俺、タイのタイ集めてんだよね」
「はあ?」
主人に無理を言って作って作ってもらったナガヅカの、カマ付きのカブトの煮付けを、友人が嬉しそうに穿り返している。
「鯛の鯛って聞いたことあるだろ?これはさ、胸びれにつながった擬鎖骨とくっついてるんだよ。一般的には烏口骨って言われているけど、実は肩甲骨と烏口骨の二つの骨が一つになっているから、慎重にやらないと壊れちゃう。このナガヅカって魚は深海魚見たいだけど、結構骨がしっかりしていてやりやすいな。ゼラチン質の皮もおいしいし」
と、箸でアンコウのようなブヨブヨした皮をめくって口に運びながら、やや長い頭の後ろについた胸びれを根本についた骨ごと取り外し、器用に分解してゆく。
「よし、これだ」
と、友人は取り出し、ついた肉片を舐めとって、ちょっと日本酒で濯ぐと、広げたおしぼりの上に乗せた。
それは鯛の鯛とはにても似つかぬ、まるでみじんこの背中からくちばしが飛び出た形というか、アンモナイトというか、丸みを帯びたいくつか穴のあいた半円に、尖った部分が飛び出た形をしている。
「これが、ナガヅカの『鯛の鯛』かい?」
「いや、これは上に輻射骨をつけたままにしている。鯛の鯛は正確には、この下の細長い部分なんだけど、この魚の場合はつけておいた方が見栄えがいいね」
などと満足そうだ。
「君にそんな趣味があるとはね」
と妙に感心していると、隣の客が話かけてきた。
「やあ、兄さん方、なかなか高尚な趣味をお持ちですな」
見ればその男は鹿皮のベストに藍に染めた合わせにニッカ、脛当てをつけ草鞋をはいた、いかにも猟師といった出立ちだが、今も本当にいるとは思われない時代を感じる格好をした、古木のような肌の男だった。
「こちらの兄さんは蒲鉾、いやあ蒸しつみれが好きなようだし、こちらの兄さんは鯛の鯛、いやあ肩甲骨が気に入ってるようだ。今日取れたばかりのがあるから、是非見て食べてくれよ」
とニコニコという。
私たちはちょっと意味がわからず、はあ、いやあ、などと曖昧な返事をしていると、男は主人に、ここで捌かせてもらっていいかな、と言って立ち上がり、表にでた。
そしてその男は、今日取ったばかりと見られる鹿を店に持ち込んだのである。
呆気にとられる私と友人の目の前のテーブルの上に、ドカンとその鹿の死体が横たわる。そして腰に指した大きなナイフを取り出すと、その場で解体し始めたではないか。
内臓と血が抜かれているのが幸いであった。大きな黒目の横に白目がのぞくのが痛々しい、うつろな目をした鹿の首元に大きくナイフがはいり、ズルリと皮がむけれてゆく。死んでいるとはいえまだ剥製などで見たこともあり抵抗の少ない姿の、毛の生えた皮のしたから、真っ赤な肉が剥き出されてゆく。
あまりの事態に正気とは思われず主人を見ればウンウンとうなづき微笑んでいる。
綺麗に剥がれた痛々しい肉塊の、肩の付け根当たりに刃をいれて男は、
「ほら、ここが肩甲骨」
と言って切り離した前足とあばらの奥に見える、鎖骨のついた骨をゴリゴリと取り外し、まだ肉片のついたそれを友人にポイと投げ渡した。
「ひい」
友人はしかし落とすことはせず、両の手に受け止めて目を見開いて見つめている。
いつの間にか切り分けれた肉を受け取っていた主人が、それをミンチにし、包丁で叩き、すり鉢で擦って練り上げ、蒲鉾板になすりつけて半円に盛り上げ、蒸し器で蒸していた。
そして私の目の前に、鹿肉でできた蒲鉾にワサビが添えられた、板わさが置かれた。
テーブルにまだ乗っている解体途中の鹿と、ナイフを持ってニコニコと笑う男の血塗れの手に気圧されるように、私はその一切れにワサビをつけて口にはこんだ。
「旨い」
テリーヌというべきか、パテというべきか。
主人の手によって作られた肉蒲鉾は、意外にも料理として高い完成度を誇っていた。
私の言葉を聞いて男と主人は満足そうに笑い合う。
私と友人は声も上げられず、どうやってここから逃げ出そうかと考えていたが、今度は今まで気づかなかった座敷の奥から、声がした。
「おや、どうやら本当に高尚な味のわかるお人たちらしいですなあ」
のそりとすがたを現したそれは、この店は茅葺き屋根の古民家を改造して作られており、途中の梁まででも3メートルはあろうかというほど高さがあるのだが、その梁に頭を擦らんばかりの大きさの、青い肌にツノのはえた、丸太ほどの手足をした鬼であった。
息を飲んで見上げる私と友人に、
「私も今日取れたばかりのものをぜひ馳走したいなあ」
と言って窮屈そうに入り口から出た鬼。
戻ってきたときにその1メートルもありそうな大きな手に鷲掴みにしていたのは、髪の長い浴衣姿の一人の女だった。
怯え切って身動ぎもしないが、よく見ればまだ生きている。
「なあ、そちらの兄さんはまた肉蒲鉾がいいかな、それにそちらの兄さんには、肩甲骨をあげようかねえ」
と鬼がいう。
主人と男をみれば、また先ほどのようにうんうんとうなづき微笑んでいる。
鬼が女性の足を掴む。浴衣の裾がめくり上がり、白い、ムチムチとした足があらわになる。
「蒲鉾には『足』が大事だから、足で作ろうかねえ」
冗談を言って鬼は笑う。
「肩甲骨、人間は天使の羽っていうのかな?後でとってあげるからねえ」
掴んだ足を引きちぎろうというのか、ミチリ、と音がしたところで、
「ぎゃあああああああ!」
友人が発狂したように叫び店を飛び出した。私もあわてて後を追い、それこそ必死で、死ぬ気で、肺が破れ足が千切れんばかりに走った。
よく朝私たちは旅館で目をさました。
あれは夢だったのか。友人も怯えた目をしていたが、結局お互い確認することはなかった。
変な話である。