馬車から戻った少女は、“特別”でなかったことに涙しました。
「リリアーズさん!」
バン、と大きな音を立てて開けたドアから飛び込んだシルフィは、見慣れない色を見つけた。
「……だれ?」
それは夏の湖のように楽しげにきらめく青。
ふわふわとしたくせ毛にはひと筋の黒の証。
唐突に悟る。
(ああ……この人は、リリアーズさんの“仲間”なんだ)
たった1年ともにあっただけの自分より、きっともっとずっと長い時間をともにしているであろう、これからも永い時間をともにしていくであろう、存在。
(……ううん、もしかしたら……この人は、リリアーズさんの“家族”なのかも……)
シルフィはリリアーズの過去を聞いたことがない。リリアーズが人と関わろうとしない理由や森に引きこもっている理由は気になったけれど、なんとなく触れてはいけないのかと思ったために訊くことはしなかった。魔女についてのことを教わった時に、魔女は死なないのだとリリアーズに聞いたから、きっともうリリアーズの家族はいないのだと、そう思っていた。
けれど、リリアーズの家族に魔女がいたなら? もし本当の家族でなかったとしても、リリアーズにとっての“家族”がシルフィにとっての“家族”と違ったら? 拾った人間みなにそう言っているのだとしたら、ここに戻ってきた意味などない。
リリアーズはひとりではないのだ。家族だと言ってくれた、けれどシルフィ以外にも家族がいるのなら──ひとりぼっちだったシルフィとは違うのだから。
(こういうの、なんていうんだろ。……しっと?)
本で読んだ言葉を懸命に思い出す。醜い感情だと、書いてあった。
しっとなどという醜い感情を持つ自分を、リリアーズはまだ家族と言ってくれるのだろうか。
(ううん、本当の家族に会っちゃったら、わたしみたいなニセモノはいらないよね……)
なんとなく、自分はリリアーズの特別なのだと思っていた。
拾ってもらえて、家に置いてもらえて、いろんなことを教えてもらえて。人を遠ざけるリリアーズにとって、それが特別なことなのは明白で。
その特別扱いされている自分も、リリアーズの特別なのだと、そう思っていた。
(バカみたいだなぁ、わたし)
ひとりぼっちになって寂しくて、助けてくれたリリアーズはシルフィにとっては紛れもなく“特別”だったけれど、リリアーズにとってはそうではなかったのだ──
(今度はこの人と住むのかな。この人はリリアーズさんの仲間だから、きっとずっと一緒にいられるんだろうな)
ずっと──ここに置いてもらえるのだろうな。
知らない“家”に返されてしまう自分と違って、ここが帰る場所だと言う権利を与えられるのだろう。
ずきんと胸が痛んだ。ああなんて──なんて羨ましいのだろう。
選ばれなかったことが、こんなに悲しいなんて。
(リリアーズさんは……いつもわたしに、いろんなことを教えてくれる)
残酷で優しい魔女。
駆け寄ってきた魔女の、伸ばされた手を、俯いたシルフィはふわりと避けた。
「シ……シルフィ? どうして……っ」
開いたドアと目に飛び込んできた金色に目を奪われていたリリアーズは、衝撃から立ち直るとすぐさまはっとして立ち上がった。どこをどう通ったらこうなるのか、シルフィの全身は土まみれだし痣もできている。
慌てて水で絞った清潔な布を取り出し、シルフィを拭いてやるべく駆け寄る。が、立ち竦むシルフィに伸ばした手は空を切った。
「シルフィ……?」
避けられた、と気がつくと再び手を伸ばすことが怖くなった。なぜ避けられたのかわからない。今朝までは確かに触れても嫌がらなかったのに、なぜ──。
呆然としていると、見開かれたシルフィの目からぽたりと水滴がひとつ落ちた。考えるまでもなくそれは涙だった。
「どうして……どうして泣いているの」
ここに来てから1年。初めの頃こそ記憶がないことの恐怖からか泣いていたシルフィだったが、それも徐々になくなってきて、滅多に泣くことはなかった。そのシルフィが泣くほどのこと。リリアーズの方が狼狽えてしまう。
おろおろしていると、背後から声が掛かった。
「リ……リリー……、その子……」
「……あ、カーナ、えっと……この子は……」
そういえば初対面だったな、と思い出しシルフィを紹介しようと振り向くため顔を上げると、森の瞳に暗い色を浮かべたシルフィと目が合った。
「……シルフィ?」
「『リリー』……? 『カーナ』、って、……その人……」
シルフィには聞かせたことのないリリアーズの愛称を繰り返すと、シルフィはふら、と後ろによろめいた。倒れる、と思って咄嗟に手を出すけれど間に合わない。魔法を、と思うより先に、シルフィの背後に背の高い影が映った。
「っ、と!」
ロディだ。シルフィを追ってきたのだろう、額に汗を浮かべている。
「ロディ……」
「シルフィ! なぜ馬車から飛び降りたりしたんだ! 危ないし……探しただろう!」
強行突破したらしい妹に心配のあまり本気で怒るロディの言葉にリリアーズは目を剥く。
「ば……馬車から飛び降りたですって!? シルフィ、本当なの!?」
「……あ……えっと、……うん」
滅多に声を荒らげることのないリリアーズが上げた叫び声に、硬直していたシルフィははっとしてこくこくと正直に頷く。そんなシルフィに、はぁ、とため息を吐いたリリアーズはこめかみを押さえた。
「もう……信じられないわ。無茶にも程があるわよ……」
「そうだぞシルフィ。なぜこんなことをしたんだ」
「だって……戻ってきたかったんだもん」
ロディの問い詰める声にびくりと震えたシルフィはリリアーズを見つめる。
「わたし、リリアーズさんと一緒にいたいの。……ロディさん、は、わたしのお兄さんなのかもしれないけど」
「ロ……ロディさん!?」
さらりと呼ばれた呼び方にショックを受けるロディに構わず、シルフィは大きな瞳に涙を浮かべつつ続ける。
「でも、今のわたしはリリアーズさんでできてるの。リリアーズさんと一緒にいた記憶しか今のわたしにはないの。だからお願い、捨てないで。新しい家族がリリアーズさんにできても、わたしをリリアーズさんと一緒にいさせて……っ」
ぽろぽろと涙がこぼれる。シルフィが拭おうと手を伸ばす前にリリアーズはシルフィを抱き締めた。
「……ごめんなさい、ごめんなさい、シルフィ。あなたがそんなふうに思っていたなんて知らなかった。大丈夫、捨てたりなんてしないわ。だから泣かないで」
ぎゅっと軽く腕に力を込めると、シルフィは安心したようにまた泣いた。
諸事情により日曜ですが更新しました。