行き倒れていた青年が語ったのは、身の上話でした。
──頭が痛い。
いつもの優しい目覚めとは違う。
あの金の光が目に入ってからずっと酷く頭が割れるような痛みに苛まれ、意識は浮上したり沈下したり。目覚めているけれど、目を開けることすらも億劫だ。
けれど。
『シルフィ』
──呼ばれている気がする。
『シルフィ、シルフィ。お願い、目を覚まして』
私の大好きな、大切なひとが泣いている気がする。
起きなくては。
あの優しい魔女を悲しませないために。
「……ん……」
「シルフィ!」
目を開けて真っ先に飛び込んできたのは、優しい銀月の光。少し視線をずらすと、大きく見開かれた真っ赤な瞳がこちらを見つめていた。
「リリアーズ、さん」
「大丈夫なの? あなたいきなり倒れたのよ。どうして……」
「急に、頭が痛くなって……その、あの人を……あの人の髪を見てから」
シルフィがそう言うと、リリアーズの後ろで誰かが動く気配がした。恐る恐る目をやると、ロディが決まり悪そうにフードを深くかぶり直している。その状態だからなのか、今のロディを見てもなにも感じない。
「そう。……なぜかしらね」
「っ、それは」
なにかを言いかけたロディをリリアーズが素早く制す。
「ロディ、少し私と話をしましょう。シルフィはもう少し寝ていなさい。頭はまだ痛む?」
「少し、だけ」
「ならそうね、しばらくしてまだ痛むようなら頭痛薬をあげるわ」
そう言って柔らかく髪を撫でてくれるリリアーズに微笑みかける。
「うん……ありがとう、リリアーズさん」
「おやすみ、シルフィ」
優しい手に導かれた眠りは、先ほどと違って驚くほど穏やかだった。
「──……記憶を失っている?」
「ええ、そうよ」
シルフィを寝かせたあと、部屋に戻りリリアーズはロディにシルフィの説明をする。もしやの想像があたっていれば、ロディはこのことを聞く必要があるからだ。
「1年前に、崖から落ちていたところを拾ったの」
「崖から……そんなことが……」
ロディは愕然としている。今度はこちらの番だ、とリリアーズは少し身を乗り出した。
「それで、あなたは何者なの? ──シルフィを、知っているの?」
「──……オレは……」
ロディは小さく息をついて、フードを取り払った。太陽のような金の輝き。──シルフィと同じ輝き。
「……オレは、ロディ=ハルド。22歳だ。あの子の名はシルフィ=ハルド。オレの家族で、14歳下の妹」
ああ、シルフィ──オレの可愛い、大切な妹。
彼は確かにそう呟いた。
「やっと見つけたのに、まさか、記憶喪失だなんて……」
「あなたの妹なら……あなたと一緒に暮らしてたなら、どうしてシルフィはひとりでこんなところに?」
「シルフィは──1年前、誘拐されたんだ。オレが仕事に出てた、僅かな時間で……シルフィはオレの前からいなくなった──」
ロディが語るには、こうだ。
シルフィは、ここから遠く離れた村で兄のロディとふたりで暮らしていた。もともとは王都にいたが、事情があって数年前に村に移ってきた。ロディは地方騎士団に所属する騎士で、人が少ない村であったこともあり、年若いながらに自警団長も務めていたらしい。腕も立つと評判だったので近くの町の領主から護衛として呼ばれ、任務に出向いた。そう大仕事でもなくたった数時間の任務だったが、その数時間のうちにシルフィは家から忽然と姿を消した。
「朝まで笑ってたシルフィが、帰ったらいなくなってたんだ。友達と遊んでるのかと思ったけど、今まで遅くなるなんて一度もなかったし、シルフィの友達はみんな家に帰ってた。シルフィだけが忽然といなくなっていて……」
家の中は荒らされていた。兄妹ふたり暮らしで質素な生活をしていたので金目のものはもともとさしてなかったが、少しでも使えそうなものはすべて持ち去られていた。ロディに残ったのは身に着けていた武器や防具に、持ち歩いていたいくらかの貴重品と、打ち捨てられた1枚の絵だけだったという。
「絵? それはどんなものなの?」
興味を惹かれて尋ねてみると、ロディは少し躊躇ったのちに懐から1枚の絵を取り出した。
数年前に画家に描いてもらったのだというその絵に描かれていたのは、赤の巻き毛に海のような瞳をした、優しげに微笑む女性と、女性よりいくらか歳上に見える、堂々と腕を組んで立つ長い金の髪をひとつに括った緑の瞳の男性、さらりとした金髪を肩に流し、きりりと口を引き結んだ紫の瞳の青年、それからとても小さな金の巻き毛の少女を抱いて笑う、短い金の髪に青い瞳の少年──。
「これは──」
「オレたちの家族だ。両親は事故で数年前に亡くなった。これは一番上の兄貴。今は……遠い街で働いてる」
「……そう」
「ち……父さんたちが死んだ時まだシルフィは小さかったから、親のことは覚えてない。兄貴も一緒には暮らせない。だからその分、オレがシルフィを守るって決めてたんだ。なのに、オレはシルフィを守れなかった。……兄失格だ」
がくりと肩を落とすロディをリリアーズは静かに見やる。ロディの話は真実だ。嘘はついていないことは、ロディの話す調子を聞いていればわかった。だが、それがすべての真実であるとは限らない。ロディは時々口ごもる様子を見せた。話していないこと、ぼかしたことがいくつかあるはずだ。──絵の中の家族が随分上等な衣服を身に着けていることに関してだとか。
だが、リリアーズにはそんなことはどうでもいいことだ。外界で彼らがどのような立場のどのような人物であろうと、この深い森の中には関わりないこと。
リリアーズはカップを差し出した。中身はココアだ。いつもシルフィに渡すものと同じ。
「飲みなさい」
「…………」
「兄失格なんてことはないわ。あなたはここまでシルフィを探しに来た。そしてシルフィを見つけたのよ。それで十分でしょう。家族なんて、いてくれるだけでいいのよ」
リリアーズは自分の分のココアを淹れ、ひとくち飲んだ。そんなリリアーズをロディはココアに手を付けないまま窺い見る。
「……あんたは……」
「なにかしら?」
「……あんたの家族はいないのか? 昔もひとりだったし……今もここにはシルフィとふたりみたいだけど」
「いないわ」
おずおずとした質問にリリアーズは端的に簡潔に答えた。そして少し寂しそうに笑う。
「……私の家族はもうずっと昔にみんな死んでしまったもの」
「……そう、か。つらいこと聞いて悪かったな」
「いいえ。……それが魔女の宿命だもの」
寂しげに、諦めたような瞳でリリアーズは呟く。もう、数百年も前の出来事だ。家族のあとも多くの人が死んでいくのを見てきたのだ、今更己の家族の死でどうこう思うことはない。人はいつか死ぬ、魔女は死なない。それだけのことだ。
魔女として生まれた以上、避けられない運命なのだった。
今回もお読みいただきありがとうございました。