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記憶喪失の少女が見つけたのは、行き倒れた青年でした。

「……んー……」


 シルフィの朝はいつもいい匂いで始まる。

 成長期の食欲に訴えてくるようなその香りは、いつも変わることなく目覚めたシルフィを迎える。


「おはよう、リリアーズさん……」

「おはよう、シルフィ。朝ご飯できてるわ、食べたら掃除をお願いね」

「はぁい……」


 寝ぼけ眼のまま、シルフィは朝食が並べられた食卓につく。質素だが温かく美味しい食事は、リリアーズの手作りだ。

 食べ終わるとシルフィは着替えをし、朝の掃除を行う。趣味を兼ねているという料理以外の家事──水汲みや洗濯などは魔法で済ませてしまうリリアーズだが、掃除の魔法はどうにも苦手らしく、また本人も掃除が大の苦手だった。よって、シルフィがここに来てから1年、掃除はもっぱらシルフィの仕事になっている。




 1年。

 あれから1年が経った。

 シルフィが森で行き倒れて、リリアーズに拾われてから、1年。リリアーズの家にしばらく住むことになって、シルフィはリリアーズに自分の部屋を作ってもらった。もちろん魔法でだ。初めて見た魔法は驚くべきものだった。己の持つ魔力を使いさまざまなことを自然に命じる、それがこの世界での魔法だ。記憶を失ったシルフィは魔法が存在することには違和感を感じなかったものの、魔法の仕組みや理論などまったくわからなくなってしまっていた。そのため魔女のことや魔法についてなど、ときどきリリアーズに講釈してもらうこともある。文字や言葉は覚えているので、魔法書を読ませてもらうこともあった。とはいえまだ幼いので、至極簡単なものばかりだが。

 また、時にはリリアーズが薬を売りに行くついでに町へ出ることもあった。だが、近くの町で尋ねてみても、少し遠くへ足を伸ばしてみても、──季節がひと巡りしても、シルフィはどこから来たのかわからないままだった。

 始めは、怖かった。このまま行く先が、帰る場所が、見つからなければ自分はどうなるのだろう、と、夜中にひとり泣いていたこともあった。

 けれど、そんな時にいつもリリアーズがお手製のココアを持ってやってきてくれるから。

 シルフィはいつの間にか寂しさを忘れた。

 いつしか、シルフィの帰る場所は、リリアーズと暮らす家になっていたのだ。

 とはいえ、幼いシルフィにもなんとなく察せられることがあった。

 それは、なぜかはわからないけれど、リリアーズはリリアーズ自身が他人と近づくことを快く思っていないこと。

 リリアーズは恩人だ。放って置かれれば死んでいたかもしれないシルフィを、見返りもなく救ってくれた、大事な人。

 だからこそシルフィは、リリアーズを困らせる前に、いつか出ていかなくてはならないのだと思っていた。もちろんリリアーズがシルフィに出ていけなどと言うことはない。けれど、時折シルフィを見て悲しそうな表情を見せるこの魔女のために、シルフィはリリアーズの前から去らなくてはならないのだと思うのだ。




 今でもリリアーズが町に出掛ける際は付いていき、自分を知る人がいないかを探す。1年通っているうちに顔見知りになった町の人たちいわく、シルフィの容姿は特徴的なのだという。

 まばゆく輝く金の髪に、深い森のような緑の瞳。シルフィ自身はあまり興味がなかったので気にしていなかったが、顔立ちも整っているのだとか。記憶がないので正確にはわからないのだが、リリアーズによればおそらく8歳くらいの年齢と、それに相応しい小さな身の丈。

 目立つ容姿ならばなおさら知り合いはいないかと思ったものの、誰もシルフィのことを知る者はいなかった。もしかしたら、かなり遠くから来てしまったのかもしれない。

 そう思うとぞっとするが、このままの穏やかで温かな生活をリリアーズと続けていくのはとても幸せだと思う。毎日いい匂いで起きて、ご飯を食べて、掃除をして、薬草を摘んで、リリアーズに勉強を教えてもらって、リリアーズが調合しているのを眺めて……そんな生活。それでもいいけれど、とシルフィは隣で薬の値段交渉をしているリリアーズを見上げた。




 ──そろそろ、シルフィの家族を見つけなくては、と思う。

 どれだけ遠くから来たのか、シルフィを知る者は近隣の町にはまったくいなかった。これだけ目立つ容姿の少女ならば、一度見かけただけでもかなり印象深いだろうに。


(あまり、家に置いておくのは良くない)


 情が移ってしまう。……愛してしまう。

 小さなシルフィを見るたびに、娘のような、妹のような、そんな柔らかな感情で満たされてしまう。

 いけないのだ。自分はもう二度と、人を愛さないと決めた。

 いつか、みな先に死んでしまう。こうやって今目の前で笑っている町の人々だって、昔はまったく別の人たちだったのだ。100年が経って、みんな死んでしまっただけで。

 未来永劫を生きる魔女は、いつもひとり取り残されるのだ。

 だからいけない。愛しては。




 家に帰る道すがら、生っていた野苺を摘んでいく。カゴいっぱいの野苺を見て、リリアーズはほくほくとした表情だ。それを見てシルフィも嬉しくなる。リリアーズは料理が好きらしい。日常でどれほど忙しくても、日々の食事にだけは手を抜かないのだ。

 と、野苺を摘んでいたシルフィは、ふと掻き分けて入った藪の奥に、森の色ではない色を見た気がした。


「シルフィ? 行くわよ?」

「あ、待って、リリアーズさん! なにかがそこに……」


 怪訝に思ったリリアーズが奥を確認すると、それは薄汚れた衣服をまとった人間だった。フードをかぶっているので顔はよく見えないが、少し覗いている口もとは若い。20歳くらいだろうか。青年がひとり行き倒れている。


「い、行き倒れてる……」

「え……また?」


 仕方がないわね、と呟きながらリリアーズは青年を魔法で持ち上げる。そうしてふわふわ宙に浮かせた青年を連れて、さ、行くわよ、とスタスタ歩き出してしまった。


「連れて帰るの?」

「うーん……一応ね。ほら私、魔女だし」


 人助けはしないとね、と続ける。


「リリアーズさん、偉いんだね」

「偉い……のかしらね?」

「リリアーズさんが偉くてわたしは嬉しいわ」

「あら、そうなの?」


 子どもを見守る母親のようなセリフにリリアーズはくすっと笑う。


「だって、リリアーズさんが偉くなくて、人助けしない魔女だったら、わたしはリリアーズさんに会えてなかったもの。嬉しいわ」


 だが、続く無邪気な言葉に思わずはっとした。

 なんて──この子はなんて純粋に、私を慕っているのだろう。

 人を愛さないと決めた魔女を、愛してしまっているのだろう。

 思わず、愛を返してしまいそうになる──いや、もう手遅れなのかもしれなかった。

 リリアーズは、この小さな少女を、「守るべき者」と思っていたはずなのに。いつの間にか、それは「守りたい者」に変わってしまっていた。


「……帰りましょう」


 唐突に黙り込んだリリアーズを見て、シルフィが不安げにしている。そんなシルフィにリリアーズは慌てて微笑みかけた。

 シルフィの小さな歩幅に合わせつつも、リリアーズは振り返ることなく家路につく。

 シルフィはそんな背中をただ追いかけた。

お読みいただきありがとうございました。

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