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11/18

緑の瞳の令嬢は、暗闇の中に慣れ親しんだ光を見つけました。

 この町はエトントレイン侯爵領の中では中堅どころの規模の町だ。町の中心部から、北の外れにある領主の館まで馬車で移動するのにそれほど時間はかからなかった。

 館に戻ると、館を管理している執事(バトラー)が出迎えてくれる。リリアーズたち兄妹が幼い頃は都の屋敷に仕えていた老年の彼は、半ば隠居していてもその頃と変わらない片眼鏡(モノクル)越しの優しい笑顔で兄妹を迎え、しっかりとした足取りでリリアーズたちがいつも使っている部屋にそれぞれ案内してくれた。

 着替えを済ませ食堂で食事をし、部屋に戻るとエステルに手伝ってもらって湯浴みをする。また着替えると談話室で兄やエステル、顔馴染みのメイドたちとともに過ごした。この館に勤める者たちはあの執事と同じく昔は都に仕えていた者たちが多い。懐かしい顔ぶれと言葉を交わすうちにリリアーズは都での出来事を少しずつ頭の外に追いやり、時には心から笑うこともできた。

 そうして過ごしているうちに夜も深まり、各々の部屋に引き上げる。兄は調べ物をすると言って西の別棟にある図書室に向かった。民のことを第一に考える姿勢が見て取れて、兄ならばきっといい領主になるのだろうな、と思った。就寝の挨拶をして自室に戻り、寝支度を手伝ったエステルが一礼して隣に用意された使用人部屋に戻るのに手を振る。彼女はこれから自分の身支度をして眠るのだ。エステルを見送ったリリアーズは窓辺に立った。

 風の強い日だった。ガラスの窓を開くと乾いた風が吹き込んでくる。夜になるにつれ冷えてくるし、そろそろ涼しくなってくる時期だ。とはいえ人のたくさんいる部屋にいた身としては、少し冷たいくらいの風が心地よかった。

 ここは館の北側の部屋であるから、南側に広がっているはずの町並みは見えない。代わりに眼下に広がるのは深い深い森。昼の間に見た時は太陽の光に照らされていた森は、リリアーズの瞳と同じように明るい緑色をしていて宝石のように燦めいているようにすら見えたというのに、今の森はまるで違う。冷たい月の銀の光は黒く深い森に吸い込まれてしまって、明るさなど欠片も残さず暗い影を落としていた。

 月を見上げる。冷たいけれど──夜にしか見えないその光はいつも変わらずリリアーズと同じ色で、その冷たさはいっそリリアーズを安堵させた。

 ときどき思う。リリアーズは本当は、日向で生きて良い人間ではないのではないかと。日の当たらない陰で一生を送るべきで、華やかで幸せな場など不相応なのではないかと。

 それを思い始めたのがいつからかはもうわからない。都でさまざまな噂の的にされ始めてからかもしれない。元婚約者の屋敷で火事にあったときからかもしれない。もしかすると、それよりももっと前からリリアーズにはどこかそんな考えがあったのかもしれない。

 もうわからないけれど、ただひとつわかるのは、恐ろしい夜がリリアーズには安堵できる場所のひとつであるということだった。


(──そろそろ眠らなくては。明日は移動日だし……)


 ふ、と息を吐いて、ガラスの窓に手をかける。窓を閉じようとしたとき、ふと地上に黒い人影を見た気がして視線を落とした。

 その人影は隠れているわけでもなく、すぐに見つかった。どうやら森の中の道なき道を通ってきたらしい。これより北にはなにがあるわけでもなく近くには街道すらもない。森の中も、危険なので夜は森番一家以外の許可のない立ち入りは禁じられている。町に近い森の入り口に住む森番は夜の森が危険なことを知り尽くしているはずだ、よほどのことがない限りこんなところまで来るはずがない。なぜ人が、と思っていると、黒いフードを被っているらしい人影は不意に視線を上げた。ちらりと見えたその目が赤く光った気がしてリリアーズはびくりと震えて身を引く。人のいるはずがない森の中から現れた人影は当然のことながら恐ろしい。銀髪は夜の中では目立つ、見ていたことを知られたくなかった。かがみこみ、そっと目だけを出すと視線を下ろした人影が西に向かっていくのが見えた。西に──兄がいるはずの西側に。

 どうにも胸騒ぎがして、パッと身を翻して駆け出そうとしたが、窓が開いたままなのを思い出してまた外に向き直った。

 ガラスが割れてはいけないので丁寧に窓に手をかけ閉める。鍵を掛けようと視線を上げたとき、ガラスに映る自分と目が合った。

 その瞳が赤く輝いた気がしてぞくりと身を震わせる。けれど慌てて瞬きをしてもう一度見た瞳は光のない夜闇に沈む緑で。


(……なにかしら、今の……)


 違和感を感じたものの、見間違いだと言われれば見間違いで片付けられる出来事だ。リリアーズは気にしないことにして、隣室にいるはずのエステルに行き先を告げておこうと声をかけた。


「エステル、起きているかしら? 私、図書室に行ってくるわね」

『え、ちょっと待ってくださいお嬢様! 私もお供しますから、すぐ着替えます!』

「いいの、少しだし、敷地内だから大丈夫よ」


 慌てて衣服を整えようとする衣擦れの音が聞こえてくるのを制して部屋を出る。既にほとんどの人間が寝静まった館は静かで、リリアーズの小さな足音だけがこだまする。

 館から図書室のある西の棟までは、互いの二階を結ぶ渡り廊下がある。三階の部屋にいたリリアーズはそこを通って行こうと歩を進めた。兄も通ったはずだから、そこに繋がる扉の鍵は開いているはずだ。もし開いていなければ兄はもう部屋に戻ったということ、兄がいなければ夜間の西の棟にいるのは警備の者だけだから、不審な人物がいようと大丈夫だろう。

 果たして渡り廊下に続く扉に手をかけると、おもむろにノブを回す。が、鍵がかかっていてうまく回らなかった。扉についている窓の向こうを窺うも、反対側の扉は窓がないために図書室内部の様子を窺うことはできない。


(お兄様、もう眠ったのかしら。それならば大丈夫かしらね)


 ひとり頷いていると、今しがた歩いてきた廊下の向こうからエステルの声がした。追いかけてきたらしい。


「お嬢様〜! もう、おひとりで出歩いては……」

「ごめんなさいエステル。どうしても気になったことがあったのだけれど、平気だったみたい」


 エステルに促されて部屋へ戻ろうと踵を返す。並んで歩きながら、念の為怪しい人物の話をしておこうと口を開いた。


「気になったこと? なんですか?」

「それがさっき、裏の森から──」


 その時だった。




『〜〜〜〜っ!? …………!』

『──……!! ……っ!』




 背を向けた渡り廊下の方から不意に物音と声がして、バタバタと誰かが駆けてくる足音がした。

 なにごとかと振り返ると、窓の向こうには必死な顔で駆けてくる兄の姿が見えた。ガチャガチャと兄が引く扉は、鍵がかかっていて開かない。


「お兄様……? どうして……」

『っ……!』


 その向こうには──黒いフードの人影。


「お兄様っ!」

『! リリアーズ、エステル! ここを開け……ぐっ……!』

「レイ様!?」


 開けようにも鍵を持たないリリアーズたちにはどうしようもなく、ただ開かない扉をガタガタと渾身の力で揺らしながら、黒いフードの人影に襲われる兄を見ていることしかできなかった。


『おい……っ、やめ、ろ……!』

「お兄様!! だ、誰か、誰か、鍵をっ……!」


 騒ぎを聞きつけて使用人が集まってくる。事態を把握した者のうち何人かが扉の鍵を取りに走り、何人かが外へ、西の棟へと走る。だが扉の鍵は見当たらず、西の棟の入り口も封鎖されているらしかった。

 さらに、マスターキーを持っているはずの執事の姿は見当たらない。聞けば今夜は明日の出発準備のため、急遽外出をしているのだという。


「お嬢様、危険です! 扉から離れてください!」

「だって、お兄様……! お願い、どうか……!」


 使用人たちに後ろへと身体を引き下げられながら、リリアーズは後悔していた。

 あの時不審な人物を見たと早々に誰かに伝えていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。今更思っても仕方がないが、自らの目で確かめようなどと考えた自分の愚かさを呪った。

 それほど弱くないはずの兄は襲いかかってくる黒いフードの人物相手に防戦を強いられている。このままでは傷つけられてしまう、なんとか、と思った時。


『ぐ、ああ……っ!』

「お兄様──!!」


 ザ、とガラスに淡く飛び散ったのは赤。

 兄の血。

 隠し持っていた武器で兄の胸を切り裂いた人物は、兄が崩れ落ちたのを認めると渡り廊下の向こうへ身を翻した。


「ま……待ちなさい!」


 止める使用人を振り切ってガラス越しに黒いフードの人物に向かって叫ぶ。だが待つはずもないその人物は、悠々と図書室側の扉を開いて姿を消し──

 その時リリアーズは見たのだ。

 暗闇の中でキラリと光る、片眼鏡(モノクル)の輝きを。




「……え」




 ザ、と、血が、引いた。

兄の名前が初登場です。

いやそれどころじゃないし割とどうでもいいんですけど。

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