“人の身の魔女”と呼ばれた令嬢は、町へ出掛けました。
「魔女を悲しませるな、か」
ロディがぽつりと呟く。それは王国史に刻まれた詩の一節だ。リリアーズは頷いた。
「そう。魔女は──私はあの人の裏切りによって深く悲しんだ。その結果発現した魔力を暴走させてしまって、あの人の屋敷を燃やしてしまったの」
「それが、豪炎の魔女と呼ばれる理由なのか?」
淡々と語る彼女にロディは重ねて問いかけたが、こちらにはリリアーズは頷かなかった。
「そう……ね。これも、理由のひとつよ」
「ひとつ?」
「この頃はまだ魔力があることを……魔女であることを自覚する前だったの。だからこの件は火の不始末ということで片付けられたわ。私自身にもなにが起こったかわからなかったし、当時は貴族の娘として育てられていたから、火事に遭ったというだけで恐ろしくてたまらなかった」
今なら火消しでもなんでもしてみせるけれどね、とリリアーズは笑う。
「だから“豪炎の魔女”と呼ばれるようになったのはそれよりもあとの話。魔女であることがわかったあと、少しばかり旅に出ていたのだけれど。その間にまた少しやらかしてしまったのよ」
「やらかしたのも気になるが……魔女なのがはっきりわかったってのは、魔力がまた暴走したりしたからなのか? “天生の魔女”の伝説にはそういうのが多い気がするが……」
「いいえ。そういう魔女もいるけれど、私の場合は違うわ」
首を振ると、しばらく黙って話を聞いていたカーネリアが不意に首を傾げた。
「え、そうなの? 聞いたことない」
「あら? そうだったかしら」
「てっきり暴走するくらい魔力量が多いってことで、魔女だってわかったんだと……違うの?」
「違うわ」
カーネリアは知っていると思っていたのだが、どうやら知らなかったようだ。驚いた表情を浮かべている。
「へえ、あんたでも知らないことがあるんだな……っと、名前なんだっけ。つーか名乗ってないよな? オレはロディ=ハルドだ」
「あたしの名前も知らないくせに馴れ馴れしく話しかけないでくれる? ……カーネリアよ。カーネリア=アクリス」
散々言い合っていた2人だが、互いの名もまだ知らなかったらしい。シルフィが泣き出したのに慌ててしまって紹介し損ねていた、とリリアーズは少し反省した。
「そういやあんた……ええと、カーネリアも魔女なのか? 400歳って言ってたか」
「そうよ。あんたなんかよりずっと歳上なの、敬いなさい」
「“天生の魔女”じゃないよな? 聞いたことない名前だ」
「このカーネリア様の名前を知らない? しばいてあげようか?」
またもや火花を散らし始めそうになった2人を止めつつ、リリアーズはさきほど問われたことを思い出していた。
それは、「己が魔女であるのだとわかった日」のこと。
あの創造主とも言える魔女に出会った日のことを。
「──見て。“人の身の魔女”よ……」
その悪名で呼ばれるようになったのはいつからだっただろうか。
24歳になったリリアーズは、しかしいまだ13の頃の外見を保ったままでいた。
10年以上も歳を取らないように見えるリリアーズを世の人々は敬遠と恐怖の意を込めて、“人の身の魔女”と呼ぶようになった。すなわち、人でありながら魔女のように歳を取らない存在。異形にも等しく思われつつあったリリアーズは、やがて家から一歩も出なくなった。
「お嬢様! 起きてください!」
だがそれでも毎日朝はやってくるし、どうしても外せない付き合いというものはある。起きなくてはならないリリアーズの部屋にやってきて身の回りの世話をするのは、リリアーズと同じ24歳になったエステルだ。リリアーズと違ってすっかり大人の姿になった彼女は、しかし変わらずリリアーズのメイドを務め、リリアーズの大切な友人であり続けていた。
「ん……おはよう、エステル……」
「おはようございますお嬢様、今日の予定は把握していますか?」
「してないわ……なにかあったかしら」
「今日からは領地視察ですよ。荷物は準備してあるので、支度を済ませてしまいましょう」
エステルに言われて思い出す。今日から1週間、慰問と勉強を兼ねてエトントレイン侯爵領の町をいくつか巡る予定なのだ。本来は次期領主である兄のみが行けばいいのだが、引きこもりがちな娘を心配した両親が兄妹で行くように、と厳命してきたのでリリアーズも行くことになった。
外に出ることは憂鬱ではあるが、領地の町は賑やかなところから静かな場所まで様々で気が紛れるため、都で言われていることを忘れることもできる。それに家族が気に掛けてくれていることは嬉しくも申し訳なくもあった。
歳を取らない、ということは確実になんらかの不思議な事情のある身の上である、という予感はしていた。だが自分ではそれがなにかわからないまま、リリアーズは兄とエステルとともに領地へと旅立ったのだった。
「わあ……」
旅を始めてから3日目に立ち寄った町は、とても活気のある町だった。至るところに市が立ち、人々が行き交っている。
「うん、よく賑わっているね。人の笑顔が町に多いのはいいことだ」
貴族だと知れないよう町人のような服装をした兄がその様子を眺めて満足気に頷いている。この町は領地運営の実践として数年前から兄が様々な政策を担当している土地だ。以前は貧民街もあり犯罪が横行しているような地域もあったようだが、兄が行った救済措置により貧民街は急速に規模を小さくしていった。そんな場所がこうして成功を収めているのを見ると感慨深いものがあるのだろう。
「お兄様、そろそろ……」
「ん、そうだな。行こうか」
無事に市場を視察し終え、少し離れた場所に停めてある馬車に向かおうとした時だった。
不意に視線を感じ振り返ると、薄暗い路地に続く角からフードを深く被った人物がこちらをじっと見ていた。
(な、なに……?)
本能的に恐怖を感じ後ずさる。僅かに見えた口もとはニタリと笑っていた。びくっと震えてぎゅっと目を瞑り──次に目を開くとその人物はいなくなっていた。
(なんだったの……)
不気味で気になったが、もう追いかけても貴族令嬢の脚では追いつけない可能性の方が高い。
「リリアーズ? なにを見ているんだ?」
兄が呼んでいたこともあって、リリアーズは意識をフードの人物から引き離してその場を立ち去った。
事件が起こったのはその日の夜のことだった。
誤字報告ありがとうございます。
とても助かります。




