2話 日と月と悪役令嬢
宮廷学院の校舎にはサロンがある。
ティーテーブルにソファ。棚にはティーセットや食器類に茶葉もある。
お湯を沸かす為のコンロや、保温する為のポットもある。
この世界には電気が通っていない。コンロやポットの動力源は魔法である。
この世界には魔法が存在する。
そして学院の必修科目にも魔法学が含まれている。
……とはいえ、魔法を人為的に再現する【魔道具】が開発され、普及して長い年月が経っている。
シルフィード王国の王侯貴族は大抵魔法が使えるけど、個人でできることは大体魔道具で再現できてしまう。
それどころか、さらに大きな力をも魔道具は発動させられてしまう。
だから今さら魔法を使えることは、特別なイニシアティブにはならない。
学問を修める上では欠かせない科目だし、役に立つ知識ではあるんだけどね。
たとえるなら、元の世界で言うところの数学や物理に近い扱いかもしれない。
「フロリナ様、お茶が入りました」
「ありがとう、クララ。……いい香りだわ。ベルガモット・ティーかしら?」
「はいっ。先日フロリナ様が紅茶の中ではベルガモット・ティーがお好きだと言っていましたので、お淹れしました!」
「よく覚えていてくれたわね。嬉しいわ」
「そ、そんなっ、褒められるようなことじゃありませんっ」
「……クララ、顔、真っ赤」
「ううぅ~、マノン~! いちいち言わないでよぉ~!」
放課後の昼下がり。
私、クララ、マノンはサロンで優雅なティータイムを楽しんでいる。
お茶を淹れるのが得意なクララが淹れてくれた、好物の紅茶。
お茶請けにはマノンが用意してくれた、色とりどりのクッキー。
私は茶葉や茶器類を用意して、鍵付きの棚に保管している。
3人が協力して催される放課後のティータイムは、最近の習慣になっていた。
「ところで2人とも、クラブ活動は順調? クララは聖歌部、マノンは園芸部に入ったのよね?」
「はいっ、とっても楽しく活動していますっ!」
「園芸は、楽しいです。いつか、育てた植物を使って、お茶請けを用意できたらいいな……」
「植物のお菓子? わぁっ、楽しみ! 何かな、何かな? ハーブのクッキーとかかな?」
「あるいはエディブルフラワーという線もあるわね」
「えでぃぶるふらわー? って、何ですか、それ?」
「食べられる花のことよ。たとえばカーネーションとか、マリーゴールドとか。バラの花びらとか。スイーツの飾りつけに使うと彩が良いのよ」
「わぁ……お話を聞いているだけでワクワクしますね。マノン、マノンっ。そのエディブルフラワーを育ててほしいな!」
「……クララ、食い意地張りすぎ」
「はうっ!?」
「クララは食べることが大好きだものね」
「うぅぅ、フロリナ様まで……」
「いいじゃない、見ていて気持ちいいわ。私も食べることは嫌いじゃないけど、体質的にあまり量を受け付けないから、羨ましい限りだわ。私に遠慮しないで、どんどん食べてちょうだいね」
「フロリナ様がそう言ってくださるのなら……」
クララの取り皿に追加のクッキーをのせる。
クララは少し頬を赤らめて、私からのクッキーを受け取った。
それを見てマノンがぽつりと呟く。
「……クララ、卒業する頃には風船になってそう」
「風船っ!?」
「あらあら、それは可愛いでしょうねぇ」
「フロリナ様っ!? うぅぅ、風船は嫌です、困ります~!」
「なら、食べた分だけ体を動かすといいわ。聖歌部は腹筋を使うでしょうし、それでも足りないようなら私の馬術部に遊びに来てもいいのよ」
「ば、馬術は私のような庶民には、ちょっとハードルが高いかな~って……」
「何事も慣れよ。入部しなくても体験や見学はいつでも受け入れているもの。気軽に遊びに来なさいね。マノンもね」
「あっ、は、はい……気が向いたら、行くかも、です……」
「マノン、その言い方はフロリナ様に失礼だよ~」
「……ごめんなさい」
「くすくす、いいのよ。仲良くなってきた証拠だと思うもの」
ティーカップを手に取り、紅茶を飲む。
クララとマノンの入学から2週間が経過した。
毎日一緒に過ごしている私たちは、だいぶ打ち解けてきたと思う。
まあ……クララとマノンの仲の良さに比べれば劣るのだろうけど。
それは仕方がない。だって2人は同学年で、クラスメイト同士で、立場も比較的近いのだから。
恥ずかしながら、私はこの世界に転生してから、ここまで同性の女の子と仲良くなった経験がなかった。
前世ではそれなりに――だったけど。
今世では立場というか身分があるから、周囲の女の子たちは妙にかしこまっていた。
その結果、距離ができてしまっていたのだ。
今まで私が接してきたのは、いわゆる上流階級のお嬢様ばかりだったから。
彼女たちは、なんていうか――とても、弁えていた。
公爵令嬢で、文武両道と評判の私に失礼を働かないようにと、とてもかしこまった態度で接してきたのだ。
それはそれで、悪いことじゃないと思う。
だけど私には何となく物足りなくて、どこか寂しくて――結局、本当の意味で友達と呼べる相手はいなかった。
その点、クララは違う。
最初こそかしこまっていたけど、身分を気にしなくていいと言えば素直に聞き入れて、屈託なく接してくる。
最初はハラハラしていた様子のマノンも、クララに引っ張られて今では軽いジョークを交えて話せる間柄になった。
たぶん、今の私はこの世界に来て以来、一番幸せで楽しい時を過ごしていた。
***
『恋セレ』のゲーム本編では、フロリナはクララを目の仇にしていた。
フロリナの婚約者であるジークフリート殿下がクララを気に入り、仲良くなり始めたからだ。
でも今は違う。
私はクララと仲が良く、ジークフリート殿下とも婚約していない。
クララには何の悪感情も抱いていない。それどころか好感を抱いている。
……しかし。
「私はクララの恋愛を応援するべきなのかしら……」
朝。自室で1人、鏡台で自分の顔を見つめながら呟く。
答える人はいない。高等部の寮は1人部屋が基本だから、ルームメイトはいないのだ。
フロリナに転生した私にとって、一番の目的は破滅回避。
今のところ破滅フラグは折れていると思う。
だから少し余裕ができて、クララたちと仲良くなった。
でもクララと仲良くなるということは、これから始まる彼女の恋愛模様を間近で拝むということになる。
別に私は攻略対象の3人に恋愛感情を抱いていない。
『恋セレ』を遊んでいた時は攻略キャラとの交流で可愛い姿を見せるクララに悶えていた。
だから別に不満はないはずなんだけど……何故だろう、モヤモヤするのは。
二次元と三次元。
プレイヤーとゲームキャラクター。
以前はそうだった。だけど今の私たちの間には、第四の壁がない。
肉体と意志を持ち、同じ世界で生きる人間同士として接している。
私の心境に微妙な変化が現れているのは、そのせいなのか。
……だけど。私はクララに不幸になってほしいわけじゃない。
幸せになってほしい。いつも笑っていてほしい。傷ついて涙する姿なんて見たくない。
クララ=ホフマンは庶民の娘だ。
とは言っても父親は国内有数の大商人で、シルフィード王国の政財界に顔が効く。
近年は庶民が力を持ち始めた影響もあり、貴族と庶民との婚姻も増え始めた。
外国では王族と平民が結婚するケースも出始めている。
『恋セレ』のジークフリートルートは、身分の壁を乗り越えてクララが殿下と結ばれるストーリーだったっけ。
本物のヨーロッパ貴族だったら、もっとガチガチに厳しかったんだろうけど。
この世界はあくまで現代日本で作られた乙女ゲームの世界だから。その辺りは比較的緩く作られていた。
……日本の皇室でも平成、令和と続いて平民出身のお妃様だったわけだしね。
そこは現代日本人の感覚も取り入れつつ、作られていたってことだと思う。
王国初の平民妃として、さまざまな困難に見舞われてもジークフリートとの愛で乗り越えていく。そんなストーリーだ。
その点、フランツとアルマンはもう少し緩かったっけ。
フランツは家族揃って豪快な性格だから、ウェットな悩みなんてほとんどなく、前向きで明るいストーリーだった。
アルマンは病弱な妹がストーリーに絡んでくる、家族愛が中心のストーリーだったような。
……体感的にはもう10年近く前の記憶だから、ところどころ曖昧だ。
キャラと遭遇したり、ゲーム内のイベントと同じようなシチュエーションに遭遇したりすれば、記憶が蘇るんだけど。
普段は思い出そうと努めても、なかなか思い出せない。
「結局のところ、なるようにしかならない。ここでこうして1人頭を悩ませていても、何も解決しない――ということかしらね」
この世界は『恋セレ』の世界だけど、今の私にとっては現実そのもの。ゲームじゃない。
クララは私が思う通りに動いてくれない。
彼女が誰を好きになり、誰と結ばれたいと願うのかは、私の意志ではどうしようもない。
私にできることは、友人として、先輩として、クララの幸せを願うことだけだ。
「決まりね。よし、行きましょう!」
登校時間が迫っている。
朝の空気を入れる為に開いていた窓を閉め、クララたちと待ち合わせている玄関に向かった。