5話 荒れ果てた楽園
「どう、少しは落ち着いた?」
「……はい。すみません、ご迷惑をおかけして……」
温室での騒動の後。寮に戻った私たちは着替え、クララの部屋で落ち合った。
まだ震えていたクララをベッドに座らせ、ホットミルクを与えたところ、ようやく震えがおさまった。
「さっきも言ったけど、あなたは悪くないわ。状況はあなたを追い込もうとしているけど、あなたに責任はない。クララが気に病めば気に病むほど、真犯人の思う壺よ。心を強く持って、クララ」
「……そんなふうに、割り切れないです……」
「クララ……」
「マノンは、一番の友達です。まだ入学して日も浅いけど、こんなに気が合う友達っていませんでした。クラスに馴染めたのもマノンのおかげです。お菓子の作り方を教えてくれて、私のことも応援してくれて……なのに私は、マノンに何も返せていないんです! それどころか、私と仲良くしていたせいで、あんな目に遭わせてしまって……!」
クララはカップをテーブルに置くと、両腕で肩を抱く。
「私がいなければ、この学院に入らなければ、マノンはこんな目に遭わなかったんじゃないでしょうか!? 今回の事件が前回の事件とは違うことは、私にも分かります。明らかに、誰かが私に悪意を向けています。でもそれは、私に対してなんです。マノンは巻き込まれただけなんです……!」
「クララ、落ち着いて。どうか冷静になって」
「なれません! だってこの悪意はマノンだけじゃなく、フロリナ様に向けられるかもしれないんですよ!? 私がここに、この学院に居続けるだけで、私に優しくしてくれる人にも迷惑がかかる……そんなの耐えられない……耐えられないんです!!」
「クララ」
「――っ!?」
錯乱するクララを抱き締める。
きっと今のクララを宥められるのは、言葉じゃない。傷つき不安定になった心を癒せるのは、正論による説得じゃない。
そう思ったから、私はクララを抱き締めた。
両腕を通してクララの怯えが伝わってくる。不安が伝わってくる。
私は――幼い子供をあやす母親のように、クララの背中をそっと撫で続けた。
「どうか自暴自棄にはならないで。あなたが怯えるのも、不安に思うのも、全部私に伝わっているわ。1人で抱え続けるのは辛いわよね。大丈夫よ、私も分かち合っているから。あなたは1人じゃない。1人で悩まなくていい。1人で思いつめる必要はない。だってあなたには、私がいるんだもの」
「……フロリナ、様……」
「あなたはマノンのことを、とても大切に思っているのね。それは私も同じよ。私もあの子のことが大切……そしてクララ、あなたのことも大切に思っているの」
「え……?」
「恥ずかしい話だけどね。私はあなたたちと仲良くなるまで、友達と呼べる相手がいなかったの。それが密かに恥ずかしくもあったわ。何気ない日常の中で笑い合える相手がずっと欲しかった。有益な会話である必要なんてない。恰好つける必要もない。等身大の自分のまま接して、一緒に笑い合える存在。クララたちは後輩だし、立場の違いもあるわ。だけど私はあなたたちに、自分がずっと望んでいた存在を感じていたのよ」
クララたちと過ごす日々は、毎日が輝いていた。
代わり映えのしない学院の日常も、クララたちと過ごすだけで新鮮な驚きと刺激に満ち溢れていた。
「……もっとも、私の独りよがりかもしれないわね。あなたは私と過ごすのがプレッシャーだったかもしれない。よく言われるのよ、私はその場にいるだけで周囲に威圧感を与えてしまうって。……だからずっと友達と呼べる人ができなかったのね」
「そんなこと、ありません」
クララは彼女を抱き締める私の腕に、自らの手を添える。
「私も……フロリナ様と過ごす時間が、とても大切で、とても愛しくて。いつも輝いていました。私が幸せだと思う時には、いつもフロリナ様とマノンがいて……だからこそ、2人を不幸にしてしまうかもしれない自分が、許せなくて」
「そう……同じ気持ちでいてくれたのね。だったら、クララにも分かるでしょう? もしあなたの目の前から、私やマノンがいなくなってしまったらどう思う? 誰かの悪意が私やマノンを傷付けて、その結果、私たちがあなたの前からいなくなってしまったら?」
「っ、そんなの嫌です! フロリナ様やマノンを傷付けた人を、許せません。絶対に犯人を見つけ出して、フロリナ様たちは悪くないんだよって説得して連れ戻します! ……あ……」
「私の言わんとしていることが、もう分かったわね?」
「……はい」
「あなたにいなくなってほしくないのよ、クララ。マノンも――あの子も今は混乱しているようだけど、きっと同じ気持ちよ」
「……フロリナ様。そう、でしょうか……? 本当にマノンは、私を許してくれるでしょうか……?」
「ええ。あなたたちはきっと仲直りできる。少し時間が必要かもしれないけど、大丈夫。きっと私が何とかするわ。だから自暴自棄にならないで。学院を辞めるなんて考えないで。私は、あなたやマノンを傷付けた悪意を絶対に見つけ出してみせる。約束するわ。だからあなたも約束して。悪意なんかに屈さないって。私を信じてくれるって」
「……はいっ、信じます、約束します……!」
クララは私を見上げると、ようやく笑顔を見せてくれた。
泣き笑いのような、くしゃくしゃな表情を浮かべても、クララは変わらず可愛らしい。
アメジストの目尻に浮かぶ涙を指先で拭う。真珠のような涙は、粒となってはじけて消えた。
「ただ、今回は前回に比べると、解決までに時間がかかるかもしれないわ。何せ明後日からテスト期間だもの。テスト明けには合同キャンプも控えているからね。一応、私たちの本分は学業ですもの。疎かにはできないわ。クララ、あなたも心を乱さず、明後日からのテストに臨みなさいね。大丈夫よ、あなたならできるわ」
「はいっ。全部解決した後、また3人で楽しく過ごす為にも頑張ります!」
「いいわね、その意気よ」
私の説得はクララの心に届いたようだ。
その日はクララと一緒に過ごした。お昼を過ぎてから、温室に戻って調査を始める。
被害に遭ったのはマノンが育てていた植物だけで、他は無事だった。
マノンは主にハーブを育てていたようだ。前にマノンが育てた植物を使ったお菓子を食べたいと話していたのを思い出し、なんとも言えない気分になる。
それにしても、ここまで見る影もなくなるぐらい、荒らさなくても良かったのに……。
ハーブはすべて根こそぎ引っこ抜かれ、踏みつけられている。
マノンはこの花壇をとても大切に育てていた。
朝になってこの花壇の惨状を目の当たりにした時に、彼女はどんな気持ちになっただろう。考えただけで、私まで胸が痛くなる。
「カモミール、レモンバーム、バレリアン……」
ぐしゃぐしゃになったハーブを拾い、一つ一つ確認する。
……やっぱり、思った通りだ。これらは調合次第で睡眠薬にもできるハーブ類だ。
いつだったか、クララが異様な眠気を訴える時があった。
確かあの時、私はクララを背負い、マノンがカバンを運んだ。
そして翌日、クララの教科書とノートがなくなった……。
3人でノートを探していた時も、不審な点があった。
私は元悪役令嬢だから、ゲーム本編でフロリナがクララのノートをどこに捨てたのか知っていた。
でもマノンは知らなかったはずだ。
知らなかったのに、あんなゴミ置き場近くの手洗い場に来るなんて……。
私を探していたと言っていたけど、それでは余計に不自然だ。何故かマノンは私が焼却炉を探していると知っていたのか。
答えは簡単。マノンがノート消失事件の犯人だからだ。
本当は私を探しに来たのではなく、ノートが見つかっていないか確認しに来たんだろう。
あいにくノートは私の手の中にあった。そしてクララの元に戻った。
あの時のマノンは、きっと次なる作戦を考えたのだろう。
クララの発言からヒントを得て、自作自演で花壇を荒らし、クララのせいでこんなことになったのだと脅迫状を送った。
優しいクララのことだから、ひどく心を痛めるだろう。
手をかけて育てた植物を踏みにじるのは、きっと辛かったに違いない。
そこまでしてマノンを凶行に走らせた目的は何だろう?
これも簡単。脅迫状に書いてあった。マノンはクララが学院から去ることを望んでいる。
でも――それが彼女の本心とは、どうしても思えない。
乙女ゲーム『恋セレ』の本編で、どのルートでもマノンはクララの親友だった。
絶対に裏切ることのない親友。
……なのに今回はこんな凶行に走ったというなら。
それは私が「悪役令嬢」にならなかったからではないのか。
「運命の強制力」と私が名付けた現象。
本来の私の役割が、別の人物Xにスライドされるという現象。
前回は人ではなく鳥だった。
だけど今回は、人に――マノンにスライドされてしまったのでは?
「……なんてことなのかしら……」
だったら余計に事は慎重を要する。
マノンは悪い子じゃない。こんなことをしたのには絶対理由がある。
その理由を突き止め、クララとマノンが今まで通りの生活を取り戻せるようにしないといけない。
それは運命をねじ曲げ、マノンを追い詰める一因となってしまった私の責任。
再び「悪役令嬢の矜恃」を示さなければならない。
……とはいえ、やっぱり現時点である証拠だけでは目的を達成できない。
改めて調査する必要があるのだけど……生憎、明後日からテストだ。
調査を開始できるとしたらテスト明け以降になるだろう。
クララとマノンを待たせてしまうことを内心で詫びながら、私は寮へと戻った。




