4話 早朝の騒動
翌日の金曜日。
私は昼休みと放課後を使って、例の食堂とクラブのゴミ出し当番に話を聞きに行った。
結果は、私の予想と大きく違わなかった。
犯人がクララのノートを焼却炉に捨てたのは、13時から15時半までの間。
大抵の生徒は授業中だ。ということは、教職員か用務員の犯行という線も、考えられるかもしれない。
――普通なら。でも、私は違う。そうは考えない。
私はこれまでに得た情報から、ある程度犯人に目星をつけていた。ただし確証がない。状況的に怪しいと睨んでいるだけだ。
「……そう、やっぱり……」
「はい。……あの、でもそれが何か?」
「何でもないわ。あなたは気にしなくていいのよ」
放課後。クララを呼び出して話を聞いた私は、確信を深める。
“ある人物”の動向を探った結果、その人物は午後の体育の授業を休み、保健室で休憩していたという。
きっとその時間、保健室へ向かう途中にノートを捨てに行ったんじゃないか。
私の推理の方向性は、たぶん間違っていないと思う。だけど――。
「問題は動機、よね」
クララと別れた私は1人、人気のない廊下で呟く。
そう、動機。私が犯人だと目星をつけている人物Xには動機がない。
いくら本来の悪役令嬢の役割がスライドされたからといって、凶行に手を染めるには、相応の動機が必要だ。
もちろん動機が分からなくても、証拠だけ集めて犯人を突き止めることはできる。
だけど……それはきっと、後味の悪い結末になる。
私にとっても、クララにとっても……そして恐らく、犯人にとっても。
「はあ……」
私はクララを悲しませたいわけではないし、できることなら今の楽しい学院生活を少しでも長く続けたい。
なら犯人を突き止めるだけじゃダメだ。その後のケアも考えないと……。
犯人を暴いて破滅させるだけなら、犯人と大差ない。
前世で好きだったアニメにそんなニュアンスの台詞があったと思う。
今さらながら、私はその言葉の重みを身に染みて理解した。
***
土曜日の女子寮は、朝から騒がしかった。
私が目を覚ました時には、階下で数人の少女たちが騒いでいた。
「これは一体何の騒ぎかしら?」
「あっ、フロリナ様! 聞いてください! 今朝、園芸部の温室が荒らされたようなんです!」
「温室が?」
その辺りにいた少女を捕まえて話を聞く。今朝、園芸部員が朝の世話に温室へ向かった。
いつものように温室の鍵を開け、中に入ると花壇の一部が荒らされていたという。
そして花壇には、一枚の脅迫文が残されていた。
『クララ=ホフマンは不幸を呼ぶ。ただちにこの学院から出て行かせること。さもなくばクララの周りで不幸が起きる』
荒らされていた花壇は、マノンが世話している一角だけだった。
そしてマノンといえば、クララの親友だ。クララは先日も宝石盗難事件の容疑者にされた。
あれからまだ日数も経たないうちの出来事なだけに、寮生たちは好奇心に包まれている様子だった。
「またクララさん絡みなの? 嫌ねぇ」
「なんであの人の周りではおかしな事件ばかり起きるのかしら?」
「でも前回の事件はフロリナお姉様が解いてくれたじゃありませんの」
「――しっ! フロリナ様がいらしたわ。静かにしなさい!」
口さがない噂を囁く少女たちを軽く睨むと、彼女たちは慌てて口を噤んだ。
……私は知っている。昨日のクララの言葉を覚えている。
『……最近、私の周りでおかしなことが続くから……もしかしたら、私のせいでフロリナ様の身にも嫌なことが起きるかもって……』
クララの部屋は1階の入り口に近い。当然、私より先にこの騒ぎを聞きつけていた。
クララは廊下の隅に呆然と佇んでいる。顔色は悪い。私にノートの紛失を告げに来た時と同じぐらいか、あるいはそれ以上だ。
彼女は私と視線が合うと、弾かれたように駆け出した。
「待って、クララ!」
私もすぐに追う。クララは園芸部の温室に向けて走っていた。
温室の入口には人だかりができている。騒ぎを聞きつけた生徒たちが中を覗き込んでいた。
「……マノン……」
「……クララ」
温室の中。普段は美しい花や、香しいハーブが咲き乱れる場所は、今や空き巣に入られたかのようになっていた。
荒らされた花壇の一角を前に、マノン=デュヴァルが佇んでいる。
クララが声をかけてもマノンは振り向かない。だから、どんな表情をしているのかは分からない。
「マノン、マノン……! こんなことになって、私、なんて言えばいいか――」
「……黙って」
「え……」
「今は、黙って。今はクララと話したくない。……顔を、見たくない」
「……っ!」
冷たい言葉。冷徹な声音。
きっとその言葉は、他の何よりもクララの胸を刺し貫いた。
「……私の、せい……? やっぱり、私のせいで、周りの人に迷惑が……?」
「……脅迫状には、そう書いてあったね」
「……ごめん、ごめんね、マノン……」
「あたしは」
マノンは花壇の前にしゃがみ込む。昨日まで彼女が丹精込めて手入れしていたハーブは、見るも無残に踏み荒らされていた。
「あたしは、昔から土いじりが好きだった。植物は、あたしの悪口を言わない。あたしの目つきが悪くても、家が貧乏でも、バカにしない。愛情込めて育てれば立派に育つ。だけどお世話の手を抜けば萎れる。枯れる。だから愛情込めてお世話しなきゃいけない。粗末にしちゃいけない……」
根っこから引っこ抜かれ、葉は千切られ、茎は折られ、さらに上から踏みつけられている。
一目見ただけで、もう手の施しようがないのが分かる。植え直したところでマノンのハーブは復活しない。
「こんなことになって、とても悲しい……だから今は、クララの顔を見たくない……あたしに構わないで。クララがいなければ、こんなことには、ならなかったんだから……!」
マノンの台詞の語尾は震えていた。よく見れば肩も小刻みに震えている。ぽたりと、地面に一滴の雫が落ちた。
……マノンは泣いていた。
小さく肩を震わせて、嗚咽も漏らさず、静かに泣く。
マノンの悲しみはクララにも伝搬する。クララも同じように、小刻みに震える自らの肩を抱く。
「……私、私……ごめん、ごめん、ごめんね、マノン。私のせいでこんなことになって、ごめんね、ごめんね……!」
「謝罪なんていらない。謝られても、この子たちは生き返らない」
「……じゃあ、どうすればいい!? どうすれば償えるの? どうすればマノンは許してくれる? ……私がここからいなくなれば、マノンは……許してくれる……?」
「……」
マノンの震えが止まる。さながら温室内は水を打ったかのように静まり舞える。
内部の成り行きを見守り、好き勝手囁き交わしていた生徒たちも、静かに成り行きを見守る。
やがてマノンがゆっくりと振り返る。その表情はあまりにも無表情で、赤い瞳には何の感情も浮かんでいなくて。
私はもう、見ていられなかった。
緩慢に開かれたマノンの唇から決定的な言葉が飛び出す前に、2人の間に割って入る。
「いいえ、クララ。あなたがいなくなる必要はないわ」
「……フロリナ様!? でも、私のせいでマノンの花壇がっ……!」
「あなたのせいではないわ。脅迫状にはあなたの名前が使われていたけれど、あなたは何もしていない。違うかしら?」
「……違いません。それでもっ!」
「クララは何もしていない。クララは何も悪くない。悪いのはクララの名を口実に使い、マノンの花壇をこんなふうにするように命じた真犯人よ。そこを見誤ってはいけないわ。この流れでクララを責めるのは、まさに犯人の思惑通りなのだから」
扇を広げて断言する。成り行きを見守っていた生徒たちから小さくどよめきが漏れた。
「そうだな、その通りだ」
「フロリナさんの言う通りだぜ」
「悪いのは犯人よね、クララさんじゃないわ」
今回は温室での事件だから、騒ぎを聞きつけた男子生徒も混じっている。
よし、最悪の流れは断てた。ひとまず安堵した私は、次にマノンへと向き直る。
「マノン、あなたも見誤らないで。あなたが責めるべきはクララではなく、あなたの花壇にこんなことをさせた犯人ではなくって?」
「……」
「あなたの努力と愛情を軽視したのは誰? 踏みつけにしたのは誰? クララかしら? ……違うわよね。なら、クララを責めるのがお門違いだということも、聡明なあなたなら理解できるはずよ」
「……あたしは……」
「皆まで言う必要はないわ。きっとあなた自身も今は混乱しているのでしょう。だけど、どうか落ち着いて冷静になって。そして本当に悪いのが誰なのかを正しく見極めてちょうだい」
「……フロリナ様」
「さあ、行きましょうクララ。園芸部員じゃない私たちがこの場に残ってもできることはないわ。それに考えてみれば私たち、部屋着のまま出てきてしまったじゃない。ここは殿方の視線もあるわ。一度寮に戻りましょう」
「あ……っ!」
強引にクララの肩を抱き、温室から出る。
野次馬の生徒たちはさながらモーセの十戒のように左右へと割れ、道を空けた。
……背後に悲しげなマノンの気配を感じながら。私たちは寮へと続く道を進んだ。




