アンのオートバイ選び
さて、男は腕に大量のオートバイカタログの束を抱えて戻ると、そこでは既にビールで晩酌を始めたアンと支配人がいた。それを見て男もビールをリクエストする。
「あっ、俺も欲しいな。」
「はいはい、今持ってくるわ。」
そう言うとアンは冷蔵庫から新しいビールと冷やしておいたジョッキを取り出し男の前に置く。この世界では手酌が普通で女性が酒を注ぐという習慣はない。なので男は自分でジョッキにビールを満たした。そして一気に飲み干す。
「ぷはぁーっ!うまいっ!これぞ五臓六腑に染み渡るってやつだなっ!」
「はいはい、お買い上げありがとうございます。600ギールになります。」
「えっ、ああ、えーとツケといてくれる?今持ち合わせがないんだ。」
アンからの突然の請求に男は慌ててサイフを捜すが部屋に置いてきてしまったようだった。
「冗談よ。これは私と店からのオゴリ。ニンジャはお得意様だからね。」
「えっ、いいの?」
「その代わり私のオートバイ選びでアドバイスしてね。」
「おうっ、まかせとけっ!」
そう言うと男は持ってきたカタログをテーブルの上に広げた。
「まず、俺のお勧めはこいつだ。担当神は『本田』で、名前は『CB-1300SF』。エンジン特性はシルキーだし、ハンドリングもマイルドで初めてオートバイに乗るやつにはもってこいなやつだ。なので殆どの初心者ライダーはこいつを選ぶ。ただ、中には人と同じやつを嫌うやつもいるからな。そんなやつにはこいつだな。『ゼファー1100』。担当伸は『川崎』で俺のオートバイと同じだ。こいつはちょっと癖が強いがそれでも昔に比べたらかなりマイルドになった。それでも大昔に大人気だった『Z1』の血統だから人気はある。だが、それ以外にも・・。」
「あーっ、ご熱弁のところ申し訳ないけど、そんな大きなオートバイは私には無理よ。そもそもそのオートバイ、何kgあるの?倒したりしたら起こせないじゃない。」
男の説明を遮るようにアンが口をはさんだ。確かに男が薦めてきたオートバイはどれも大排気量の大型車種だった。なので身長が160センチにも届かないアンには跨るのですら一苦労だろう。だが既にオートバイの説明に熱中している男はアンの言葉に耳をかさない。
「えーと、乾燥で220kgくらいかな?でも大丈夫だっ!そんなのはコツさえ掴めば簡単なんだ。オートバイを起こすのに腕力は然程必要は無いんだよ。」
いや、それは言い過ぎであろう。倒れたオートバイを起こすにはある程度の力は必要である。確かにウエイトリフティングのように持ち上げる訳ではないので220kgを丸まる抱え挙げる力は必要ないが、それでも体重が50kg程度の女の子には乾燥車重が220kgを越す『CB-1300SF』を起こすのは一苦労のはずだ。ましてや『ゼファー1100』に至っては乾燥車重は240kgを超えている。燃料が入っていたら更に重いのだ。
だが、男は自分とアンの体力差を考慮できないようだった。なので懲りずに重たい大排気量車を薦めてきた。終いには『ゴールドウイング』などという超重量級のオートバイもあるんだけどなどと言ってくる始末である。因みに『ゴールドウイング』の乾燥重量は380kg以上である。
もっともこれは男も無理だと思ってはいるようだった。だがこんなオートバイもあるのだとアンに教えたかっただけなのだろう。まさに『オートバイ馬鹿』を地でいく酔狂さだ。
しかし、ここでそれまで黙ってふたりのやり取りを聞いていた支配人が助け舟を出してきた。
「ニンジャよ、お前の薦めるオートバイも悪くは無いが、初めてオートバイを手にするウォーカーにはちょっと荷が重い。わしとしてはもっと排気量クラスを下げるべきだと思うがな。小排気量クラスにだっていいオートバイは沢山あるだろう?」
「う~んっ、まぁそうだけど・・。」
支配人の助言にそれでも男は踏ん切りがつかないようだった。確かにライダーとしてオートバイを使った長距離の仕事をこなすには大排気量車の方が何かと楽な事は確かだった。だが、アンがオートバイを手に入れようと思った動機は日常の足としてである。なので本来なら支配人の言うように小排気量のオートバイを薦めるのが普通であろう。
「あっ、これ可愛いわね。これはどうなの?」
支配人に窘められてもまだ諦めのつかない様子の男に、アンはテーブルの上に散らばったカタルグの中から1台のオートバイを見つけた。だがそのカタログを見た男は少し嫌そうな顔をしてアンに答えた。
「それは分類としてはスクーターと言われる範疇のオートバイだよ。担当神は『鈴木』で、名前は『チョイノリ』。まさに名前の通りちょっと乗る事に特化した街中コミューターだ。だからここと町を往復するのには向いていない。できなくはないが多分直ぐに不満を感じるはずだ。」
「あーっ、そうなんだ。ん~、可愛らしいんだけどなぁ。でも確かにここと町を行き来するにはちょっとひ弱過ぎるか。」
「そうじゃな、わしとしてこっちの方がお薦めじゃな。」
アンの言葉に男が別の大排気量スクーターのカタログを持ち出そうとしたのを制して、支配人が別のスクーターを薦めた。なので男はしぶしぶそのスクーターの説明を始める。
「それは確かに人気モデルだからアンも街中でよく見かけているんじゃないかな。担当神は『山葉』で名前は『マジェスティ』。排気量は250ccだから、ここと町の往復にもなんら問題の無いパワーを持っている。でも、その車種には新型の兄貴分がいて排気量が562ccのTMAXっていう・・。」
「はいはい、大きいやつは駄目だってさっき言ったでしょ?そのT何ちゃらって何kgなのよっ!」
「えーと、乾燥重量で218kg・・。」
「さっきのCB何ちゃらってのと変わんないじゃないっ!」
「いや、何ちゃらじゃなくて『CB-1300SF』って言うんだが・・。それに重さだけだったらこっちの『スカイウェーブ650』の方が・・。」
「車重は軽い方がいいのっ!」
アンの剣幕に漸く男は大排気量スクーターを薦める事を諦めたようだった。だが確かに男の言い分も判らないではない。
なんと言ってもここは町から遠く離れた荒野のど真ん中である。町へ行くだけで20kmは走るのだ。となるとアンは時間にして15分近くオートバイに乗る事になる。これは速度に換算すると40~50km/h程度で巡航した時の時間だ。
この速度域だと50ccクラスのスクーターではエンジン回転数が高くなるので結構振動があり走るのにも気合がいる。その点、排気量の大きいスクーターなら低いエンジン回転数でその速度域を維持できるので楽だったりするのだ。また、大型のスクーターは荷物を積むスペースも大きく確保されているので買い物を前提とする場合、やはり大型スクーターに軍配が上がる。
だからと言って男が薦めてくるスクーターはアンには大き過ぎた。なので一時話題を変えようとアンは別の話を持ち出した。
「そう言えば支配人が乗っているオートバイは何ていうやつなの?あれってスクータータイプじゃないわよね?ここに来るライダーたちのオートバイともなんか形が違うし。」
アンの話題誘導に男はころっと乗ってきた。そして嬉々として説明を始める。
「あーっ、あれは型としてはビンテージタイプというカデゴリーだな。担当神は『川崎』で、名前は『W800STRET』だ。確かにあの手のオートバイを仕事の相棒として選択するライダーは多くない。でも支配人みたいなリタイヤした元ライダーには何故か人気があるよな。何でなの、支配人?」
「はははっ、基本ライダーってやつはスピードを追い求めるからな。だが、やがてオートバイの魅力はそれだけじゃないって事に気づくのさ。そんな時、丁度いい相棒になるのがああいったやつなんだ。それにあいつだってその気になれば結構速いんだぞ?」
「その気になればね。でも俺の900Rはいつでも最速さ。」
男は現役のライダーらしく、スピードに関しては譲る気がないようだった。だがそんな男の言葉のほころびを支配人は突いて来た。
「はははっ、確かにあれが世に出た時はそうだったかも知れないが、今じゃ新しいやつがどんどん出てきておる。残念だが絶対性能では新しいやつには敵うまい?」
「公道レースなら確かに不利だけど、仕事で使う分には十分さ。逆に最新のやつなんてろくに荷物も積めないからな。速いだけじゃ仕事にならんよ。」
「はははっ、確かにそうだ。でも乗ってみたいんじゃないのか?たまに駐車場に停まっている最新のやつをまじまじと見ているではないか。」
「えっ、いやそんな事ないさっ!まっ、なんて言うか、そう敵情視察ってやつさっ!路上で絡まれる事もあるんでね。相手の事を知っておくのもライダーの基本だしっ!」
男は支配人にからかわれ口ごもる。そしてそれらしい言い訳をしてきた。そんな男に支配人もちょっと言い過ぎたかと男の説明に同調してきた。
「まぁ、確かに最新のやつは逆に速過ぎてライダーの仕事には向いておらんかもな。あれらはもはやレーサーと言った方がしっくるするくらいしゃ。」
「だよなぁ、でもここいらじゃその性能も宝の持ち腐れだよ。なんせ町を繋ぐ道は殆ど直線だからな。おかげでアメリカンタイプをドラッグ仕様にしたやつらが幅を利かせている。」
「あーっ、直線番長ってやつだな。だがロングランには向いておるまい?」
「まぁね、大抵は10kmも走れば諦めて離れていくよ。」
「オーバー200kmの世界は空気の壁との戦いじゃからな。カウルレスが多いアメリカンタイプでは長時間の高速巡航は無理じゃろう。」
「ちょっとニンジャっ!あなた、いつもそんなスピードで走っているのっ!」
支配人のオーバー200kmとの言葉にアンは驚いたらしく、何故か逆に男を責めてきた。この世界では速度は自己責任なのでスピード違反はない。それでも道路の路面状況などにより、オーバー200kmで走れる箇所はそんなに多くは無かった。だが男はアンに自慢するかのように話を盛る。
「いやぁ~、別にいつもじゃないよ。たまにさ。でも超特急の依頼がある時は別だな。俺のベストタイムはオールド・タウンからレイコーシティまで3時間で届けたのが多分最速だ。」
「オールド・タウンからレイコーシティ?それってどれくらいなの?」
アンは名前は聞いて知っているが行った事のない町の名前を出されたので、その二つの町がどれくらい離れているか想像出来なかったようだ。
「メーター読みで450kmくらいだったかな。でも、あの町の間は高規格道路が走っているからそれくらいは楽に出せるのさ。実際俺が走った時だって、俺を追い抜いていくやつは何人かいたよ。」
「200km以上で走っているニンジャを追い抜いていく人がいるんだ・・。」
「おうっ、それこそマシンの差ってやつさ。名前を挙げるとすると『ZX-14』や『隼』だな。あっ、『ZZR1400』にも抜かれたっけ。」
「ふぅ~ん、ニンジャの乗っているオートバイより速いオートバイって結構あるのね。」
「まぁな、だがそれはあくまでトップスピードに関してだ。コーナーの続く山岳コースならあんな馬力馬鹿共には負けやしない。」
男はオートバイの速さはトップスピードだけじゃないと言いたげにアンに言葉を返した。だが、それを支配人に逆手に取られる。
「はははっ、じゃが逆に排気量が小さいレーサーレプリカに追い回されるんじゃろう?」
「嫌味を言わないでくれよ、支配人。オールマイティが俺の900Rの売りなんだ。取りあえずどこでもそれなりに走れるってのはライダー家業にとって結構強みなんだぞ。」
「はははっ、そうじゃったな。だがライダー家業は勝ち負けじゃないんじゃが、それでも走っていると何故かいつの間にか競争になるんじゃよなぁ。」
「まっ、それは仕方ないよ。ライダーの宿命みたいなもんさ。」
支配人は自分が現役で走っていた頃を思い出したのか遠いところを見るような仕草をした。そんな支配人に男はそんなの当たり前だとばかりに答えた。
そんなアンそっちのけでオートバイ談議に花を咲かせていた男と支配人だが、その間にアンがさっさと選んだオートバイ候補の最終選考を頼まれた。だがまたしても男と支配人では推薦してくる車種が違った。
そもそも、既にビールが廻った彼らが推薦するオートバイは自分の趣味全開なものばかりである。さすがは酔っ払いだ。相手の事情など既に頭の片隅にもないようである。
結局アンは乾燥車重179kg、23馬力の山葉の250CCスクーター『XMAX』を選んだ。アンとしては本当はもっと軽いやつにしたかったようだが、走り出してしまえばある程度車重と馬力があった方が安定するので楽だとの支配人の忠告を受け入れこれにしたのだ。もっとも、その判断には、男がごり押ししてくる400ccクラスのスクーターを断る為の算段もかなり含まれていた。
「それじゃ明日、山葉の神殿にオートバイを受け取りに行くとしよう。ヘルメットやブーツは持っているんだよな?」
「ええ、この前新しく買ってきた。結構高かったからびっくりしたわ。」
「あーっ、まぁ値段はピンキリなんだけどな。でもヘルメットの値段は安全性能の差だと思って割り切った方がいいよ。怪我した後で後悔しても遅いからな。」
「別に私はニンジャみたいに200kmで走る訳じゃないんだけど。」
「アンっ、人間って結構簡単に壊れるんだよ。そもそも人間が自分の足で出せる最高速はいいとこ40km、それも一瞬だけだ。だから多分、体もこの速度で転んだ時に耐えられる強度しか持っていない。そしてこの速度は50ccの町乗りスクーターだって楽に出せるんだ。だからそれ以上の速度の出るオートバイに乗る時はそれなりの安全装備で体を守らないとあっという間にあの世行きだ。これだけは肝に銘じておかなきゃ駄目だよ。」
「はいはい、判りました。でもニンジャは私の後見人になってもいいの?」
「別に金銭の授受さえなければ何人の後見人になってもお咎めは無い。それがルールだ。」
「そう、でも私ニンジャにビールを奢っちゃったわ。」
「はははっ、それくらいは神様も見逃してくれるさ。それに後見人への物によるお礼は認められている。云わばビールは先払いだよ。」
「そうなんだ。それじゃ明日お願いね、ニンジャ。」
「おうっ、任せろ。そうだ、ボディカラーも選べるから今晩の内に考えておけよ。まっ、気に入らなかったら交換はできるから明日神殿で見てから決めてもいいがな。」
「うんっ、判った。それじゃおやすみなさい。」
「ああ、俺はもう少し支配人と飲んでから寝るよ。お休みアン。」
気づけば時計の針は既に午後10時を廻っていた。なのでアンは挨拶を済ますと自分の部屋へと戻って行った。
だが男は午後5時過ぎから10時まで約5時間あまりの時間をアンたちを相手にオートバイ談議で盛り上がっていた事になる。好きな事を話していると時間が経つのを忘れると言うが、男にとってまさにこの時がそうだったのだろう。いや、これは男だけではなく全てのライダーに当てはまる事かも知れない。
そして今、空にはそんなライダーたちを静かに見守る大きな衛星が浮かんでいた。この世界の人々はその衛星を『月』と呼んでいる。そしてその月が照らす光の中を今もどこかでオートバイを走らせいてるライダーがいるはずだ。
走る、走る、ひたすら走る。この世界では走る事こそがライダーをライダー足らしめる矜持であった。なのでライダーたちは走った。そんなライダーたちの相棒は自分のマシーンだけ。人馬一体という言葉があるが、この世界では人とオートバイこそがそれに当てはまる。
そして今も簡易宿泊所エデンの遥か彼方から荒野を走る大排気量マシーンの排気音がかすかに男たちの耳に届いていた。その音に耳を傾けながら男と支配人は新しく栓を開けたビールを喉に流し込むのであった。