公道レース バトル
さて、そんな因縁浅からぬ2台のオートバイは『アリアケ・ジャンクション』から首都高11号線に乗り換え、トウキョーベイに架かるトリコロールブリッジを渡って湾を越えると、今度は『シバウラ・ジャンクション』にて首都高1号線に合流し、次に『ハマザキバシ・ジャンクション』にて今回の公道レースのコースであるC1都心環状線へ入った。
そこで非村は一気にカタを付けるべくエンジンにニトロ噴射を噛まして加速した。その加速力に男の900Rはついていけない。
そもそも空力的は900RはKatanaより有利なはずだったが、男の900Rにはそれをスポイルしてしまう装備が装着していた。それはオートバイ後部のツーリングキャリアに取り付けてあるリアボックスである。
それが取り付けられている為、男の900Rは一見するとバイク便のような外観をしていた。だがこのスタイルはこの世界では普通であった。何故ならライダーとは物資を運搬するのが仕事だからだ。その為にはオートバイ後部に取り付ける大型のリアボックスは必須なのであった。
しかし、今回は事前に計画されていたレースである。仕事中に突発的に競争する事になった訳ではない。なので男はリアボックスを外す事は出来たはずだ。だが男はリアボックスをそのままにしてレースへ臨んだ。
その事を非村は男に問いかけたが、男は「俺はライダーだからな。ボックス込みが俺のライディング・スタンダードなのさ。」と言って取り合わなかった。まぁ、穿った見方をすれば負けた時の言い訳にでもするのかとも勘ぐれるが、非村には男の真意は判らなかった。
そしてニトロの使用によって一旦男を引き離した非村だが、運悪くエドバシ・ジャンクションにて合流してきたオートバイの集団に前を塞がれスピードダウンを余儀なくされた。その機会に男はなんとか非村に追いつく。
「うぉーっ、びっくりこいたぜっ!なんだ?もしかしてニトロでも使ったのか?どっちにしてもすげー加速だったな。んーっ、俺も試してみようかなぁ。ニトロってどこで手に入るんだろう?」
男は運よく非村に追いついた為か安堵のため息をつきながらも、その関心事は非村が使った添加剤の事だった。
「でもニトロだとしたら長時間は使えないはずだ。それに使った後はクールダウンが必要なはず。だとしたらいきなり使ったのは失敗だったな非村よ、あんた今日はツイてないぜっ!」
確かに非村としてはスタートの時点で一気に引き離し、男の気持ちを萎えさせる作戦だったのだろうが、オートバイの集団に進路を塞がれるというアクシデントに見舞われた。そうゆう意味では非村はツイていなかったと言える。
だがここは公道なのだ。これくらいのアクシデントはあって当たり前なのである。それどころかコーナーの出口で渋滞していればそこに突っ込む可能性も否定できないのが公道レースである。なので非村は最初の仕掛けが不発に終わった事を大して悔やんではいなかった。ただ単に運が悪かったとして既に気持ちを切り替えていたのである。
そんな非村のライディングを男は敢えて後ろから観察していた。非村のライディングは鈴華競技場シナガワ支部からヨシムラ・メカニカルファクトリーへ案内された時に既に見ていたが、実にスムーズで無駄の無い走りだった。例えるなら職人技とでも言えば判り易いであろうか。
なので非村の走りは決して派手なものではない。どちらかと言うと地味であった。だがそんな基本に忠実過ぎるかのような走りではあったが、その走行アベレージは高い。
なので男も気を抜いているといつの間にか距離を開けられていて、慌てて無理やり追いつく事がたびたびだった。
「くぅ~っ、あぶねぇ。非村のやろうっ、スムーズに走りやがるから気を抜いているとちょっとしたコーナーで置いていかれちまう。かと言って必要以上に減速したところを抜きにかかると大抵前方に障害がありやがる。あいつはブラインドコーナーの先が見えるのか?だとしたら便利だな。俺もそんなチートが欲しいぜっ!」
男は非村の無駄の無い走りに若干のジェラシーを覚えたらしいが、それを素直に認めたくなかったのだろう。なので非村の先を見通す能力をチートに例えてやっかんだ。
だが前を走る非村も男に対して同様の畏怖を感じていた。非村はそれまで走りに関しては不敗を誇っていた。そこそこに走るライダーを相手にした時も、結局距離を走れば相手がどこかでミスを犯し、相手はそれをリカバリーできないまま敗北するのが常だったのである。それ程非村の走りには隙がなかったのだ。
しかし、男は何度引き離しても遮二無二追いついてきた。その走りはかなり荒っぽいものであったが限界を超える事はない。ちゃんと落とすべきところでは速度を落とし、進路上の安全が確認できてから加速していた。
そしていつの間にかまた後ろについてくる。つまり男はミスをしてもちゃんとリカバリーしてきたのだ。これは男が冷静である事を意味する。非村はこれまでこんなに冷静な走りをするライダーを見たことが無かった。
いや、男の走り自体は熱くポジティブなものであったが、それはあくまで男のライディングスタイルであって非村のミスの無いライディングに付けこむ隙を見出せず、頭の血を沸騰させヤケクソでスロットルを全開にし一か八かの勝負を仕掛けてくる猪突猛進型の走りではなかったのである。
そう、非村とはタイプが違えど男の走りもオートバイで速く走る為のもうひとつのスタイルだといえたのだ。
そんな非村と男はそれなりに速い速度ではあったがお互いけん制しあう形で首都高C1都心環状線を一周した。だが、ふたりともこれで路面状況や他のオートバイの流れは把握できた。よって、これからが本当のレースの始まりといえよう。
そして最初に仕掛けたのは男の方だった。男は曲率のきついコーナーで前を走る別のライダーがコーナー出口で膨らんだ為、非村が若干速度を落とした時に強引にイン側に900Rをねじ込んで一気に向きにかかった。だがその速度は若干速過ぎた。なので900Rのハイグリップタイヤも荷重に耐えられずにずりずりと滑り出す。
だが男はそんな事に構うことなくコーナーの出口に向けて900Rの鼻先をKatanaの前にねじ込んできた。本来ならそんな事をされたらとばっちりに巻き込まれない為にもねじ込まれた側のライダーは引くものである。
だが非村は男の技量を理解していたので乱暴ではあるが男が操る900Rは男のコントロール下にあるのを見抜き全く引かなかった。
「ちっ、これで引かねぇのかよっ!ビビる事をしらねぇライダーは長生きできねぇぞっ!」
イン側を突いてきた男の900Rに対して一歩も引く事無く旋回を続ける非村のKatanaは、まるで何かで繋がっているかのように2台揃ってコーナーを抜けてゆく。後には外に膨らんであたふたしている別のライダーだけが取り残された。
だがコーナーを抜けてもふたりの勝負はついていない。今度は次のコーナーへ向けて優位なポジションを得る為の加速勝負が始まったのだ。
本来加速勝負はエンジン性能の優劣で決まる。0-400mなどの停止状態からの加速ならライダーのクラッチ操作などが勝負の決め手に成り得たが、既に速度が乗っているコーナー出口からの加速勝負にはそんな繊細な操作は必要ない。ライダーが出来る事といえば適切なギアで如何にどかっとスロットを開けるかくらいで、後はエンジンがどれだけかんばってくれるかである。
そして加速に関しては馬力よりもトルクが大きく関与する。トルクとはそのエンジンが発生する軸力の事だ。そしてトルクは自然吸気エンジンの場合ほぼ排気量によって大体の値が決まっている。
そして900RとKatanaでは排気量で167ccの差があった。実際カタログ上のデータでも900Rの8.7kgf・m/8500rpmに対してKatanaは9.8kgf・m/6,500rpmと0.5kgf程トルク値が大きい。
そして加速に関するもうひとつのファクターである車重は900Rが234kgで、Katanaが232kgと両者ともほぼ一緒の値あった。
つまり加速勝負に関してはKatanaの方が若干有利なはずである。
但しこれはあくまでカタログ上り話である。900RもKatanaもマフラーを軽量な物へ交換するなどして軽量化が図られているし、なんと言っても非村には『ニトロ』という必殺技があった。
しかし、実は男の900Rにも良く見ないと判らないチューニングが施されていたのである。
それはエンジンの交換であった。
実はGPz-900Rには後継車種としてGPZ-1000RXというモデルが存在した。このGPZ-1000RXは外観のスタイルこそ900Rと違えど、その心臓部であるエンジンは900Rのものと同じなのである。
ただ同じなのはエンジンサイズなどだけで性能は1000RXのエンジンの方が高かった。まず排気量は900Rの908ccから997ccへアップされており、その為出力も125psに増加していた。またトルクも10.1kgf・m/8,500rpmと900Rに対して1.4kgf・mもアップしているのである。
これはあくまでカタログ上の数値であり男の900Rの実測値ではないが、それでも数値上では男の900Rは非村のKatanaを上回る。
これにより今回の加速勝負は男の900Rに軍配が上がった。だがその差は僅かである。何故ならここはC1都心環状線であった。なのですぐに次のコーナーが現れ減速を余儀なくされるのだ。
つまりC1都心環状線とはカタログ上の飛び抜けた性能値よりもトータルでの完成度がモノをいう場所なのだろう。
なので一旦は先行した男の900Rも、C1都心環状線を知り尽くしている非村によって三つ程コーナーをこなした時点で再度先行を許す事となった。
「ちっ、やっぱり地の利は向こうにあるなっ!道路の状況だけじゃなく他のライダーの動きまで把握してやがるっ!」
男はちょっとした隙を突かれ、非村にあっさりと先頭を交代された事を愚痴る。そんな男に対して非村は余裕で呟いた。
「甘い、あまい。この俺をぶっちぎろうなんてマリが焼く焼き菓子より甘いぜ、ニンジャっ!そもそも今回のレースの決着はどちらかが諦めるかだ。そんなんじゃ、後10周もしたら自滅しちまうぞっ!」
これは何かの前振りなのだろうか?本当に後10周も走るつもりなのか?1周7分としても1時間以上になるのだが?
だが走る事に喜びを感じるライダーにとっては、その程度の時間を走り続ける事は苦ではないらしい。因みにふたりは今レース速度で走っている。その緊張度と疲労度はゆっくりと巡航している時の比ではないはずだ。
しかし、アドレナリン全開のふたりにはそんな事など気にもならないようである。なのでその後も抜きつ抜かれつを繰り返し周回を重ねたのであった。
だが、そんな抜きつ抜かれつを続ける二人の背後に忍び寄る4台のオートバイがあった。
パァーンっ!
その4ストロークエンジンとは違った特徴的な排気音を耳にし、非村はレース前に懸念していた事が現実化したと舌打ちをする。
「ちっ、現れやがったかっ!あの排気音っ!2ストブラザーズのやつらだなっ!よりによって一番厄介なやつらがきやがったぜっ!」
非村はバックミラーにて後方を確認する。まだ迫ってくるオートバイとの距離はあったが追いつかれるのは時間の問題だろう。それ程後ろから来る4台のペースは速かったのだ。
しかもそんな外乱者を排除する見届け人たちは先程『GSX-S1000』のフランコを置いてけぼりにしていたので残念ながら姿は見えない。この先にいるはずの『SV-1000S』に乗るケニーの姿もまた視界にはいなかった。
つまり2ストブラザーズは見届け人たちの防衛網の隙間を完璧に突いて来たのである。
『2ストブラザーズ』それはこの首都高C1都心環状線を拠点とする数ある走り屋チームの中の一派の名前である。その特徴は乗っているオートバイが全員2ストロークエンジンを搭載したオートバイである事だろう。
そして今晩、非村たちを追いかけてきたのは『2ストブラザーズ』の中でも四天王を張るライダーたちだった。その車種はそれぞれ『RG500ガンマ』『RZV500R』『NS400R』『RG400ガンマ』という究極のレーサーレプリカマシーンたちである。
そんな4台が隊列を組んで非村たちの背後に迫る。男もその事は既に気づいていた。だがその背中に焦りの気配はない。それは公道レースを走る者にとって避けては通れない前提を肝に銘じていたからなのか。
そう、公道レースは社会から見たら所詮はアウトローな行為である。その行為が邪魔されたからと言って相手に文句を言える筋合いはないのだ。
そして男はライダーであった。ライダー同士のいざこざならば『走り』でねじ伏せればよい。それがライダーたちの暗黙の了解であり掟なのだ。
だがそうするにしてもまずは相手の実力を知る必要がある。なので男はわざとペースを落として後ろから来る追跡者を待った。男の耳にも追跡者たちの特徴的な排気音は既に届いている。その音の接近するペースだけで判断しても追跡者はかなりの乗り手だと男は判断した。
「けっ、今時2ストかよっ!いい根性しているじゃねぇかっ!俺は好きだな、そうゆう芯のあるやつらはっ!いいだろうっ、掛かって来なっ!排気量の差ってやつを教えてやるぜっ!」
男はサイドミラーに映る追跡者たちのヘッドライトを確認すると再度本気モードでスロットルを開けた。非村もそれに合わせて追随する。多分非村にも男の考えが判るのだろう。何故ならば非村もやはりライダーであるからだ。
そしてそんなふたりのやる気は追いついてきた4台のマシーンに乗るライダーたちにも伝わった。
なので今ここに、2台の4ストロークマシーンと4台の2ストロークマシーンによる、この瞬間の首都高C1都心環状線で一番速い男を決める新たなレースのフラッグが振られたのであった。