長距離ライダーの休息
それまで響いていた集合排気管特有の甲高いくも図太い排気音が、グオンっ、グオンという咆哮に変わるった。これはオートバイが減速しシフトダウンしているのだと、オートバイに乗る者なら誰しも耳で聞いただけで判っただろう。
事実、1級公道を西からやって来たオートバイは道路脇に立てられていた『簡易宿泊所エデン これより先500m左 お食事もできます』と書かれた看板を目安に、いつものように速度を落としたのだ。
ブウォンっ!
簡易宿泊所エデンの駐車場へ停止させたオートバイに最後の空ぶかしを噛ますと、そのライダーはエンジンをきった。その途端、それまで響いていた腹に響くど太い排気音が止む。そしてライダーがフルフェイスのヘルメットを脱ぐと、そこには既に少女が立っていた。
「お帰りなさい、ニンジャ。4日ぶりね。」
「ああ、ただいまアン。支配人はいるかい?」
「ええ、コーヒーを新しく入れ直して待っているわ。」
「それはありがたいな。でもどちらかと言うと今の気分は冷たいビールかな。」
ライダーはそう言いながら額から流れ落ちる汗を手の甲で拭った。
「ふふふっ、それもちゃんと準備してあるわ。でもまずは冷たいシャワーを浴びてさっぱりしなさいな。」
「そうさせて貰うよ。いやはや、今日も暑かったからね。」
「ここら辺は年中夏だもの。だから敢えて暑いなんて文句を言うのはあなたくらいだわ。」
「そうか?ん~っ、そう言えば他のやつらはあまり言わないな。そうか、暑いのが当たり前なんだな。」
「さっ、お喋りはこれくらいにしてシャワーを浴びて。あなた埃だらけだわ。」
「うんっ、この2、3日、夕立もないから道路が乾ききっているんだよ。おかげでこのざまだ。」
そう言うと少女にニンジャと呼ばれた男はレーシングジャケットの袖を叩いた。するとぼふっという感じで細かい砂が舞い上がる。
「汗がしみ込んだ皮製品は別にしておいてね。陰干しした後でクリーニングしてあげる。」
「うんっ、ありがとう。それじゃまた後でね。」
男はそう言うとヘルメットだけを持って簡易宿泊場の裏にあるシャワー室へと消えて行った。
そして十数分後、髪の毛をタオルで拭きながらさっぱりした様子で男は簡易宿泊場のホールへと現れた。そしてテーブルの席に座ると支配人が淹れたカプチーノを運んできた少女とお喋りを始めた。
「着替えを準備してくれたんだね、ありがとうアン。」
「どういたしまして。たまたまランドリーにこの前あなたが出した洗い終わった下着があったから出しといただけよ。」
少女はカプチーノを男の前に置くと自分も男の差し向かいに座った。
「今日は客は俺だけかい?」
「ええ、昨日は三人泊まったけどみんな朝の内にチェックアウトしたわ。」
「なんだ、景気悪いのか?」
「そうでもないわよ、この時期はこんなもんじでしょ?でも来週にはハッピーエンジェルウイークが始まるから多分満室になるわ。」
「ああ、そうだな。俺にも何件か配達のオファーが来ている。」
ハッピーエンジェルウイークとはこの世界でいくつか催されているお祭りのひとつだ。人々はこの期間中に遠く離れた知り合いや親族などに贈り物を贈りあう習慣がある。その輸送はライダーたちが担うので、期間中はこの簡易宿泊所もそんなライダーたちで賑わうのである。
「ニンジャの部屋は年間契約だからいつでも空いてるわ。ふふふっ、ニンジャはウチ一番のお得意様ね。」
「ここは俺のシマの丁度真ん中だからな。街中にいるより色々と便利なんだ。」
「ははは、それはウォーカーである私にはちょと判んない感覚ね。私は街中の方が何かと便利だと思うんだけど。」
この簡易宿泊所は荒野のど真ん中にある。一番近い町からも20kmは離れていた。なのでウォーカーである少女としては遊びに出かけるだけでも一苦労なのだろう。
「ライダーってやつはひとところに留まらないからな。中には荒野でテント生活をしているやつもいる。まっ、そうは言っても生活物資なんかは町に依存しているんだから所詮は寄生虫だ。」
「んーっ、共存共栄て言った方がよくない?私たちウォーカーだって物資の輸送はライダーたちに依存しているんだし。」
「まっ、それがシキタリだからな。でもやろうと思えばウォーカーだって輸送業務はできるんだよ。実際、やっているやつらだっているだろう?」
「事故って放置されたマシーンから使えるパーツを剥ぎ取って組み立て直したオートバイででしょ?あんな保障の無いオートバイで荒野を走るなんて考えただけでうんざりだわ。」
そう、実はウォーカーだからといってオートバイに乗っていない訳ではないのだ。ただ生業をオートバイに依存していない者の事をウォーカーと呼ぶのである。
なので廃品から組み立て直したオートバイで物資の移動を行っている者はウォーカーではなくライダーの範疇に入ると思いそうだがそうではなかった。実はライダーとなるにはもうひとつ重要な儀式を行わなければならなかったのである。
その儀式を行っていない者は、例えオートバイに乗る事で生活していたとしてもライダーとは呼ばれないのだった。
「確かにやつらは神からの保護は受けられないが、それでも自分の力だけでなんとかやっている。俺は時々思うんだよ。あれが本来の、いや本当のライダーのあるべき姿なんじゃないのかってね。」
「あら、哲学的ね。ライダーって頭のネジのぶっとんだやつと、やたらとシリアスを気取る人に分かれるけど、ニンジャは後者だったのね。」
少女はカラカラと笑いながら男をからかった。なので男は少し失敗したなといった感じで口を屁の字にして黙り込んだ。だがそんな男に少女は更に追い討ちを掛けた。
「ライダーの人たちって本当に自分がまともだと言われるのを嫌うわよねぇ。私としては褒めたつもりだったんだけど?ぶっ飛んでいるなんて言葉が褒め言葉になるなんて私には理解できないわ。」
「むーっ・・。」
少女の言葉に男は答えられない。いや、少女の言っている事は男も理解できた。だがその事について理論然とした反論が出来なかったのだ。多分これはもう感情の問題なのだろう。人類が蛇を本能的に嫌うのと同じだ。そこに説明などはいらない。何故なら全てのライダーの心の奥では「走れっ!ただひたすら走り続けろっ!」と魂が叫んでいるのだから。
「ところで話は変わるんだけど私もオートバイを手に入れようと思うのよ。まぁ、使い道としては町までの足なんだけど、ニンジャはどれがいいと思う?」
黙り込んでしまった男との間に漂い始めた気まずい雰囲気を払拭する為に少女は話題を変えてきた。しかも内容はオートバイの話だった。なので男の顔がぱっと明るくなった。
「そうかっ!アンもとうとうオートバイを手に入れるのか。うんっ、そうだな、一番最初のオートバイは大切だからな。適当に選んでは駄目だ。ちょっと待ってろっ!確か部屋にカタログがあったはずだっ!」
そう言うと男は少女の返事も待たずに自分の部屋へと向かってしまった。そんな男の背中を見ながら少女はため息をついた。
「はぁ~、ライダーたちってオートバイの話になると目の輝きが変わるわよねぇ。そんなに好きなのかしら?」
「はははっ、それがライダーってもんなのさ。」
少女たちの話を受付で聞いていた支配人が少女の独り言に応えた。その言葉に少女も応える。
「そんな適当な定義で世界が廻っているとしたら、この世界をお創りになった神様はさぞオートバイがお好きだったんでしょうね。」
「おうっ、好きも好き。あまりにも好き過ぎてとうとう神様になられたんだよ。」
「えーっ、それって、なら神様って本当は人間だったって事?」
「いや、神様は最初から神様さ。ただ何の神様になるかは自分で決められるらしい。だからこの世界の神様はオートバイの神様になられたんだ。」
「はぁ、それはそれはそれは・・。だけど私としてはスイーツやお洋服の神様の方が良かったなぁ。」
「はははっ、残念だったな。でも探せばそんな神様がお創りになった世界もあるんじゃないか。いや、絶対あるな。」
「そうね、神様って八百万だものね。」
そう、実は神様とはおひとりだけではないのだ。それこそ数え切れない程の神様がいらっしゃるのである。そして、そんな神様のおひとりがこの世界をお創りになったとこの世界の人々は信じていた。
「だけどアンだってオートバイを嫌っている訳じゃないだろう?なんせここはオートバイの神様がお創りになった世界だからな。だからここに産まれた者がオートバイを嫌うはずがない。」
「まぁね、でもライダーたちには負けるわ。あの人たちって所謂オートバイ馬鹿だもの。」
「はははっ、オートバイ馬鹿かっ!なんだ、アンも言うじゃないかっ!さっきもニンジャにそう言ってやればやつも喜んだろうに。」
「う~んっ、馬鹿につける薬は無いわね。」
アンはそう言いいながら空になったコーヒーカップを片付ける。そして冷蔵庫からキンキンに冷えたビールと予め冷やしておいたジョッキを取り出し、男が戻ってくるのを待った。
オートバイ馬鹿。それはライダーたちにとっては褒め言葉となるらしい。それが本当なら『ライダー』と『ウォーカー』を分ける本当の基準はオートバイに乗る事で生活しているかどうかではなく、『オートバイ』を本当に好きかどうかなのかも知れない。
なので日が落ち暗くなった今も、どこかでヘッドライトを照らしながら走り続けるライダーがこの世界には沢山いるのだろう。確かに彼らは仕事としてオートバイに乗っているが、それは多分オートバイが好きだからそうしているのだ。
だが、オートバイ乗りに理屈はいらない。彼らは走りたいから走るのである。何故なら彼らはライダーだからだ。