公道レース スタート前
午後10時。普通の人の感覚なら皆寝ている時間だ。だがこの大都会『メトロポリス・トウキョー』は眠る事は無い。24時間、360日。この都市は常に激しく胎動しているのだ。だがそんな眠らない町も、さすがにこの時間帯は人気もまばらになる。
だがそれは昼の煩雑さと比べればであり、人どころか夜行動物さえ滅多に見掛ける事のない男の地元からしたら、その賑わいは昼間と大して変わらなかった。
それでも交通量は昼間の半分も無い。多分もう少し経てば更に減るだろう。そんな時間帯に男と非村は首都高の入り口である『カサイ・ゲート』の近くにオートバイを停めてその時を待っていた。その時とは当然公道レースのスタート時間だ。
そして非村はその時間を利用して男に再度確認してきた。
「さて、それじゃもう一度ルールの確認をしておこう。まずルートは首都高C1都心環状線内回りだ。スタート時間は午前0時。スタート地点はここ。とは言っても勝負はゲートを過ぎてからだ。そしてまずは俺が先行して逃げる。だが仮に途中で抜かれたとしても勝負はつかない。抜き返せばいいだけだからな。なので決着はどちらかが諦めてスローダウンした時だけだ。因みにガス欠やパンクで停まっても同じだからな。文句を言うなよ?」
「判ってる。」
男は満タンになっている900Rの燃料タンクをぽんぽんと軽く叩いて抜かりは無いと示した。
そんな男に非村は後ろに並んでいる男たちの説明をした。
「後、レースの見定め役及び外乱者たちの排除の為にこの5台がコースの中を一緒に走る。だが一緒と言っても無理して追いかけたりはしない。その為に台数を用意してあるんだ。それに見定め役と言っても実際は画像記録係だ。これを取っておかないと仲間内でレースを見たいと言って一緒に走りたがるやつがでるんでな。なので余裕があるならカメラに向かってVサインでもしてくれ。別にウイリーでもいいぞ?まっ、その時俺は待たずに置いていくがな。」
「それって、実はやれってけしかけているのか?」
「別に。ただ意気盛んなやつらはこう言って挑発すると自滅してくれるんでね。だから一応レースの前にはいつも言っているんだ。そもそも、その程度のやつらとだらだらレースもどきなんざしたくはないからな。」
「なるほど、そうゆう対処の仕方もあるのか・・。」
非村の説明に男は感心したようにうなづいた。
「後、外乱者にはあんたの場合二通りある。そのひとつが『簡単連合』や『聖邪神教会』のやつらだ。仮にこいつらと遭遇した場合は基本銃撃戦になるだろうが、その時はこいつらが対処する。だが相手の出方によっては俺たちもレースを一旦中止して排除に専念する。その後、掃除が終わったら再開だ。」
「再開するのかよ。」
それがさも当たり前だといった感じで言う非村の言葉に男は問い返した。
「当たり前だ、今回のレースの根回しにどんだけ苦労したと思っているんだ。」
「レースより銃撃戦の方が周囲に与える影響はでかいと思うんだが・・。」
「それは相手によるな。基本『簡単連合』や『聖邪神教会』のゴロツキどもは社会のゴミだ。なのでそれを排除するのは『メトロポリス・トウキョー』に住む者にとっては義務でもある。」
「すごい考えだな。みんなそれを納得しているのか?」
「文句をいうやつはどこにでもいるさ。だがそいつらだって自分の身にアウトローたちからの危険が及んだりしたら忽ち口を閉ざす。」
「口先だけの正義ってやつか・・。で、もうひとつの方は?」
男も社会生活における人の裏と表の顔を知らぬ訳ではない。そしてそれは誰しもが持っているものだ。なのでそれを批判する気にはなれなかった。なので深くは突っ込まずに話を先に進めた。
「もう一方の外乱は地元の走り屋たちだ。別にここはやつら専用のホームコースって訳じゃないんだが、セコイ縄張り意識から突っかかってくるやつもいないとは言い切れない。そうでなくても速いやつを追いかけたくなるのはライダーの本能みたいなもんだからな。なので今回はレースなんで遠慮してくれと言っても聞いてはくれんよ。ここら辺の気持ちは判るだろう?」
「あーっ、まぁ、そうだな。」
そう、本来勝負というものはこちらは本気でも部外者には中々伝わらないものだ。しかし、それが公道レースというものである。整備されたクローズドコースにてルールに則り行われる訳ではないのだ。関係各位にとった了解とてあくまで暗黙の了解である。なのでなにか起きた時の責任は全て自己責任なのだ。
つまり貰い事故も事故には変わらないという事である。きつい言い方だが事故に巻き込まれたとしても、それは周囲の警戒を怠っていた当事者の安全確認不注意と取られるのである。
「なので見届け役と言ってもずっと俺たちに付いている訳じゃない。逆に外乱者相手にバトる場合もあるからな。だがそうなったとしても、この5台の事は気にしなくていいから。」
「そうか、了解した。まっ、がんばってくれ。」
「後、何事もない場合でもこいつらは無理して俺たちを追う事は無い。こいつらも結構走るが、千切られた時はペースを落として俺たちが一周してくるのを待つ事になっている。だからって躍起になって抜かそうとするなよ?ちゃんと安全な場所で道を譲るからタイミングを合わせろ。とは言ってもそんなにスローダウンしてはこいつらも追いつけないからな。なのでちょっと突っかかるような運転をするかも知れないが勘違いするな。」
「了解した。」
男は非村からの注意事項の多さに些かげんなりとしてきた。なので返事もおざなりになってくる。だがそんな男に構わず非村は尚も説明を続けてきた。
「後、5台のうち1台は緊急時の連絡係だ。なのでこいつが何か喚いていたら聞いてやってくれ。とは言っても俺たちに追いついてくる事はないから、その時は俺たちが前を走るこいつに近づく事になる。なので前方にこいつを見つけた時にハザードを点滅させていたら何かよからぬ事態が起こったって事だから速度を落とせ。但し、似たオートバイを勘違いしても責任は持たん。目印として反射板を着込んでいるから車種だけで判断するなよ?」
「判った、注意するよ。」
男がそう言うと非村に見届け役と紹介された男たちが挨拶してきた。そんな見届け役の男たちが乗るオートバイはやはり『鈴木神』で占められていた。
さて、非村からの注意事項説明から漸く開放された男は、挨拶にきた男たちのオートバイを前にオートバイ好きの虫が疼くのか、またしてもオートバイ談議を始めてしまった。
「どうも、見届け役のジョアンって言います。」
「おーっ、『GSX-R1000R』じゃんっ!これって何年モデル?」
「21年式です。」
「うわーっ最新型じゃんっ!うんっ、速そうだねっ!」
「ええっ、もう馬鹿っ速ですよ。」
「はははっ、後ろから突っつかないでくれよ?」
「大丈夫ですよ、その時は置いていきますから。後からゆっくり来て下さい。」
「言うねぇ、まっ、R1000Rならホラにならないか。」
男はジョアンのオートバイであるGSX-R1000Rをまじまじと見ながら、その秘めたる実力に敬意を表した。
そんな男に次の見届け人が声を掛けてきた。
「ケビンです。俺も一応最新型ですよ。」
「んーっ、『GSX-S1000F』ね。これってどうなの?」
「カタログ上の性能じゃ、R1000Rに負けてますけど、そこはほら、オートバイって乗り手の技量が6割って言うじゃないですか。だからここならジョアンなんかあっという間に周回遅れですよ。」
「ケビンてめぇっ、言うじゃねぇかっ!なんだったら今すぐ白黒つけてやってもいいんだぞっ!」
ケビンにからかわれてジョアンが喰ってかかってきた。だがケビンはさらりと受け流す。
「こんな感じでジョアンはすぐヒートアップするんで気をつけて下さい。役目を忘れてレースに参加しようとするかも知れませんから。」
「むっ、むぐぐぐっ・・。」
ケビンの指摘に何故かジョアンは口をつぐんでしまった。もしかしたら本当に参加するつもりだったのかも知れない。
そんなふたりを置いといて別の見届け人が男に挨拶する。
「どうも、同じく見届け役のフランコです。俺のオートバイもケビンと一緒ですけど、俺のはネイギットの方です。」
「『GSX-S1000』だねっ!うんっ、ケビンには悪いけどスタイルはこっちの方が俺好みだっ!このヘッドライトからタンク周りの固まり感は迫力あるよなっ!」
「あっ、判ります?ノンカウル版ってっZ900なんかもそうですけど、そこら辺のスタイルがたまらないですよねっ!」
フランコは男のオートバイが川崎神の900Rだからなのか、川崎神がラインナップしているライバル車輌の名を挙げてきた。だが、その言葉の裏には、自分のオートバイの方が万倍かっこいいと思っているのが透けて見えていた。
「ちっす、ケニーっす。」
「おっと、『SV-1000S』かぁ、900Rに乗る俺が言うのもなんだけど珍しいなぁ。」
「そっすね。初めて会う人には大抵そう言われるっす。650ccの方はまだカタログにあるんすけど、俺っちのやつはビキニカウルなんで後付したのかなんて言われるんすよ。ひどいすよねぇ。」
「あーっ、発表時期が古いオートバイでネイギット版をラインナップしているやつは勘違いされたりするよなっ!」
「そっすよねっ!後、仲間にはGSXのR750に乗ってるやつもいるっす。」
「おーっ、R750かっ!いや、俺も現物は見た事ないんだけど速かったんだってなぁ。と言うか鈴木神って今でもR750をカタログに載せているの?」
「いや、そいつのは先輩からの引継ぎです。」
「おーっ、愛されているねぇR750。」
「ええ、おかげで乗せてくれって頼んでも絶対乗せてくれないんすよ。」
「はははっ、わかる気がするぜ。」
男はオートバイの話が大好きだが、特に古い車種には目が無いらしい。なので尚も話を続けようとしたが、別の男が挨拶してきた。
「ども、連絡係のマルコです。お手柔らかに願いますよ。」
「『V-ストーム1050』?これでレースについて・・、あーっ、連絡係だから別にいいのか。」
男が躊躇したように、マルコのオートバイは他のオートバイとは異質だった。何故ならマルコのV-ストーム1050は『アドベンチャー』と呼ばれるカデゴリーの車種だったからだ。
『アドベンチャー』と呼ばれるカデゴリーは高速ツアラーとしての安定性とオフロードも走れるという、云わばオンロード車とオフロード車の良い所取りをしたオートバイを表すカデゴリーである。
なので今回の公道レースの舞台である首都高C1都心環状線ではオンロードに特化した他のオートバイには一歩譲る。だが万が一渋滞などが発生した時の走破性は抜きん出るはずだった。なので連絡係という役割をこなすにはV-ストーム1050は適任なオートバイだと言える。
さて、男たちがそんなオートバイ談議に花を咲かせていると時間はあっという間に経ってしまった。
そして非村が男たちに時間だと告げる。その途端、男たちの顔つきががらりと変わり、普通のオートバイ好きからライダーの顔へとなった。
そう、まさに今首都高C1都心環状線公道レースの始まりが宣言されたのだ。