揺れる少女の思い
首都高C1都心環状線を舞台とした公道レースルートの下見を終え、男がヨシムラ・メカニカルファクトリーに戻ったのは午後4時を少し廻った時間だった。男がヨシムラ・メカニカルファクトリーを出たのは午前11時だったので、行きと帰りそれに休憩していた時間を差し引くと4時間ほどC1都心環状線をぐるぐると走っていた事になる。
そして男は900Rをヨシムラ・メカニカルファクトリーの建物内に入れると、ざっと900Rを点検する。そして確認し終えると、声をかけてくる若い整備士たちとC1を走った感想などを二言三言交わしててから自分にあてがわれた隣のボロマンションの部屋へと戻った。
そしてシャワーを浴び着替えるとベッドの上に大の字になって寝そべった。
「ふうっ、やっぱり慣れない道は気疲れするな。にしてもあの交通量はすごいな。どこにあんなに人がいるんだか。」
男は目を瞑って今日走ったルートを頭の中に思い描きながら反芻した。男は取り合えず公道レースのルートは把握したが、レースが行われる時間帯は真夜中である。一応監視役としてついて来た男たちに説明は受けたが実際に走って見なくては実感できない。なので今晩もう一度走り、昼間と深夜での状況の変化を確かめるつもりだった。
その時、ベッドの上に寝転がる男の鼻腔においしそうな匂いが届いた。その発生源を探すべく男が部屋の入り口の方へ目をやると、そこには熱々の料理を手にした少女が立っていた。
「お帰りなさい、ニンジャ。ごはんを用意したんだけど食べる?」
「おっ、すまないな。いやーっ、どこかで食べてくるつもりだったんだけど、あれこれ考えているうちに着いちまって食べてないんだ。ありがたく頂くよ。」
そう言うと男は少女から料理を受け取りテーブルに置いた。そして部屋に備え付けてあった冷蔵庫からビールと冷やしておいたコップを手にしテーブルに戻った。
「あーっ、お前も何か飲むか?と言っても何もなかったか・・。」
男は冷蔵庫の中を思い出してそこにビールしか入っていない事を思い出したようだった。だが、少女はそんな男のバツの悪さを和らげるかのように要らないと一言答えた。
「そうか?それじゃ俺は頂くとするよ。うんっ、これはうまそうだ。」
そう言うと男は皿の上の肉を口に運んだ。
「おーっ、うまいっ!なに?これお前が作ったの?」
「うんっ、マリさんに教えて貰って作ってみたの。目玉焼きとかは作った事はあるんだけど、じいはあんまり肉とか食べなかったから焼き方とかをあまり知らなくて・・。でも美味しくできてたなら良かった。」
少女は自分の言葉にタイラーと過ごした日々を思い出したのか少し口ごもった。だがそんな少女の気持ちを知ってか知らずか、男は少女の手料理を褒めまくった。
「んーっ、上出来、上出来。味付けも俺好みだよ。」
「そう?私はちょっと濃いかなと思ったんだけど、マリさんが男の人たちはこれ位を好むと言ってドバドバ調味料を入れるから心配だったの。」
「はははっ、さすがはあの姉ちゃんは若い男たちの世話を一手に仕切っているだけはあってよく判ってるじゃないか。」
「ニンジャもそう思った?」
「おうっ、実質あの姉ちゃんがこの工場のNo1じゃないのか?一応俺の前じゃ非村を立てているけど、多分修理以外の経理から営業まで全てあの姉ちゃんが仕切っていると俺は睨んでる。やり手だよ、あの姉ちゃんは。」
「そうなんだ、すごいね。」
「まっ、それも色々な経験を積んでの事だろう。実績があるから若いやつらも頭が上がらないんだと思う。これが単に口煩いだけだったら誰もついて来んよ。」
「ふ~んっ、ニンジャったらそんな事まで判っちゃうんだ。」
「いや、判るって言うか単に俺の見立てだけどさ。でも多分外れてはいないと思う。結構、ああいう女の人は多いからな。」
「そうなんだ・・、そうかぁー、経験を積まなきゃなんないんだ。」
「まぁな、でもそれは何にでも当てはまるはずだ。やってみたら出来ちゃいましたなんて事はそんなにないよ。」
少女と話をしながらも男は料理を食べるのを止めようとしない。なので既に皿の上の料理はあらかた食べ尽くされた。そしてとうとう最後の一口を食べ終えると男は両手をパチンと合わせて少女にお礼を言った。
「うんっ、美味かった。ごちそうさん。」
男は少女に礼を言うとコップのビールをぐいっと飲み干した。そんな男に少女は男の部屋へ来た本当の目的を告げる。
「ねぇ、ニンジャはなんで非村とレースをしてまで私を聖地へ連れてってくれるの?」
「へっ?いや、なんでってそりゃ頼まれたからな。俺は頼まれ請け負うと返事をした仕事は最後までやるんだ。それが俺のポリシーなんでね。」
「それって、もしかしたら断る場合もあるって事?」
「あーっ、まぁあるわな。特に犯罪絡みだと判った時は、例え請け負っていたとしても反故にする。これはライダーズギルドの規約にもあるから殆どのライダーにも当てはまる。」
「もしも犯罪絡みじゃない場合は?」
「んーっ、基本断らないなぁ。なにか別の仕事を請け負っていたりしたら別だけど。」
「対価が見合わない時でも?」
「それは話し合いによるな。相手があからさまに足元を見てくるような場合は請けない事の方が多いよ。」
「私、あなたに対価の話をしてないわ。」
「あーっ、そうだったな。まぁでもあれは非村に対しての言葉のアヤみたいなもんだから気にするな。俺がお前を聖地に連れていくのはじじいとの契約・・、いや約束だ。約束に対価はいらない。」
「ニンジャはじいと約束したから私を聖地に連れて行ってくれるの?」
「おうよっ!あれ?でももしかしてお前、本当は行くのが嫌なのか?あれれ?」
少女からの問い掛けに、男はもしかしたら何か勘違いをしていたのかと不安になった。だが、少女はそれを否定する。
「ううん、好きとか嫌いとかじゃないの。ただ私はどうしても聖地に行かなきゃならないの。だから行くの。」
「んーっ、よく判らん。」
「ふふふっ、そうね。私も判んないわ。でも何かが私の中で聖地に行くよう告げているのよ。」
「おーっ、それは俺にもよく判るぜっ!そうなんだよなっ、なんか言葉には出来ないんだけどもやもやっとしたものが体の中から湧き出して来るんだよなっ!」
「そう?なんだ、これって私だけじゃなかったのね。なんか安心しちゃった。」
「はははっ、それで不安だったのか?まっ、ちょっと早い気もしないではないがお前もそんな年頃になったって事だよ。それは多分誰しもが経験する事だ。だから心配いらねぇよ。その内いつの間にか消えちまうから。」
男は少女の不安を思春期を迎えた少年少女たちを襲う漠然とした不安と思ったようだ。なので自身の経験から時が解決してくれるから心配するなと告げた。
「でもニンジャは消えなかったんでしょ?」
「俺か?俺の場合は消えたと言うよりオートバイで上書きされた感じかな。だからお前も何か夢中になれる事が見つかったらそっちにに気を取られて忘れちまうよ。うんっ、消えるというより忘れると言った方があっているかも知れない。」
「ふふふっ、忘れちゃうんだ。」
「おうっ、なんせこの先は知りたい事がいっぱい出てくるはずだからな。全部を覚えてなんかいられないんだよ。」
男はそう言うとビンに残っていたビールをそのまま一気に飲み干した。
その後、男は少女にふたりだけで走ってみたいと頼まれた。男はその意図を計りかねたが黙って了解した。因みに男はビールを一瓶空けていたがこの世界では飲酒運転に関しては自己責任なので咎められる事はない。
但し、他人を巻き込む事故を起こしたりすると神様にこっぴとく怒られる。最悪の場合、生きたまま地獄へ追放されるらしい。まさに今生の一杯となる訳だ。
そして男は少女を900Rのリアシートに乗せて海沿いの道を走った。時々地元のあんちゃんとおもしきやつらが、少女を乗せている男に冷やかし半分で突っかかってきたが、男はそんなやつらをあっという間に置き去りにした。
そんな状況に少女は男にしがみ付きながら凄い凄いとはしゃいでいたが、次第に黙り込んだ。だが何か意を決したのか少女は900Rのリアシートから男に話しかけた。
「ニンジャは本当にこのオートバイが好きなのね。」
「あーっ、なんだ?急にどうした。」
「だってレースに勝ちたいならもっと速いオートバイを神様からいくらでも与えて貰えるのにニンジャは乗り換えようとも思っていないんでしょ?」
「あーっ、まぁな。別に他のオートバイが駄目って訳じゃないんだが俺はこいつが気に入っているんだ。」
「でもレースで勝つには性能は高いに越した事はないんでしょ?」
「むーっ、そうなんだけど、でも別にオートバイの性能だけがレースに且つ必須条件じゃないからな。それにオートバイには相性ってもんもあんのよ。だから高性能なやつに乗り換えたからって直ぐに馴染むもんでもない。なんせオートバイってのは乗りこなしてなんぼのもんだからな。その為には時間が必要なんだ。」
「そうなんだ・・。ニンジャとこのオートバイはそれだけの時間を過ごしてきたんだね。」
「そうだなぁ、確かに長いな。実は俺が初めて神様から拝領したオートバイがこいつだったりする。」
「えーっ、ニンジャって何歳なの?」
「んっ、19だけど?でももうすぐ20だ。」
「ふう~ん、そうなんだ。でも非村のところの人たちはなんか規定があるらしくて最初は小さいオートバイしか選んじゃ駄目って言われているらしいわ。」
「はははっ、そうなのか。そりゃ可哀想だが、理に適ってもいる。オートバイを乗りこなしたいならそうするのが確実かもしれないからな。」
「どうゆう事?」
「経験さ。大排気量車両は馬力もあるが重量もある。慣れないやつがそんなのに勢いに任せて乗ると大抵は事故る。事故って怪我くらいで済めば御の字だが、オートバイの事故ってのは結構な割合で命に関わるからな。なので本当なら手に負える小排気量のやつからステップアップして経験を積んだ方が上達も早いんだ。」
「ふ~んっ、でも最初からこのオートバイに乗っていたニンジャに言われても言葉に重みが無いなぁ。」
「はははっ、そりゃ~俺は天才だからなっ!そこんとこ勘違いしてもらっちゃ困るぜっ!」
「えーっ、そうなの?」
「当たりきしゃりきのコンコンチキよっ!俺はオートバイの神に愛されているからなっ!」
「神様に愛されている・・。ふ~んっ、そうなんだ・・。」
「あっ、このやろうっ!疑ってるな?」
「うふふっ、どうかなぁ。でも神様に愛されているからといってレースに勝てる訳じゃないでしょ?」
「確かに900Rは絶対性能では新しいやつには敵わない。そうゆう意味では駄目なオートバイだろう。だけどそれも判っていればどうと言う事はない。確かにレースには勝ちたいが、それを成すのは俺だけじゃ駄目なんだ。俺と900Rとで勝たなきゃ意味が無いんだよ。」
「ふ~んっ、ただ勝つだけじゃ駄目なんだ。」
「それでもよしとするやつはいるだろうけど、俺は嫌だね。」
「勝つだけじゃ駄目。そこに至るまでの何かが大切なのね。」
「そうだ、そしてその何かってやつはひとつじゃない。人それぞれだ。」
「ふふふっ、ニンジャったら、なんか神父様みたい。さすがは神の御子ね。」
「お前、今俺を青臭い青春野郎って思っただろう?」
「あらら、自覚があったんだ。でも安心して。じいも酔っ払うとそんな感じだった。ライダーってみんな同じなのね。」
「う~んっ、子供に慰められてしまった・・。」
確かに少女は12歳の女の子にしては大人びた考え方をする子だった。なので男はともすると、その姿が見えないリアシートからの雰囲気に自分より歳を重ねた女性を乗せているような錯覚に襲われた。なのでそんな気持ちを払いのけるように男は少女に告げる。
「さて、あんまり部屋を留守にすると非村が心配するから戻るとするか。」
「うんっ。ありがとう、ニンジャ。」
少女はそう言うと男の背中に顔を埋めたま、ままた黙り込んでしまった。だが男はそんな少女に声を掛けようとはしなかった。多分少女は不安なのだろう。親しき者を看取り新しい生活という環境の変化に怯えているのかも知れなかった。
だが、それは自らの足で乗り越えていかなければ克服できない。そしてそれには時間が必要な事を男は知っていた。なので男は少女に声をかける事無く、ただ夕日に染まる海沿いの道路をゆっくりと900Rを走らせるだけであった。