ハイ・ライダー大神宮東雲
さて、ひとしきり笑うと男はまた走り出した。監視者たちも少し間を開けて付いてくる。そして相変わらずC1都心環状線は行き交うオートバイで混雑していた。
それでもその平均速度は100kmを超えている。これはこの道路の設計基準よりもかなり速い。だがオートバイの進歩と常に管理され維持されている路面によりその速度で走っても恐怖は湧かない。
それよりも男を戸惑わせたのは道路脇に延々と続く遮音壁だった。時々現れる高架橋の上などでは見晴らしが開ける事もあったが、基本C1都心環状線では壁しか見えない。目線を上に向けてもそこにはビルの壁や看板が視界を塞いでいるのだ。
この閉塞感は何もない荒野の一本道を走り慣れている男にはとてつもないプレッシャーだった。だが、男はプレッシャーを感じつつもそれ程気にもしていないようだった。
何故なら男がここを真剣に走るのは深夜である。深夜ならば周りが見渡せないのは当たり前だ。荒野では自身のオートバイのヘッドライトが照らし出す範囲しか見えない事などざらだ。
そう割り切れば周囲を見通せない事など苦にならない。壁でコーナーの先が見通せないのもコースを覚えてしまえばマージンはかなり削れる。そもそもこんな所でレースをやる以上、万が一事故で道が塞がれていた時は運を天に任せるだけだ。そう、オートバイ乗りとは楽観的なのである。またそうでなくては100km/hオーバーでコーナーなどに突っ込んではいけない。
さて、そんな男の視界に一台の大型オートバイの姿が入ってきた。そのオートバイは巨体にも関わらず前後を走るオートバイよりかなり速い速度で走っていた。しかもそのオートバイを操っているライダーはかなり小柄であった。多分女性であろう。
そしてそんな大きなオートバイを自在に操る女性を男は知っていた。なので相手に速度を合わせるように減速すると、横に並んで挨拶をした。
「ようっ!また随分珍しいところで会ったなっ!東雲っ!」
男に東雲と呼ばれた女性ライダーは横に並んできた相手が知っている者である事に気づき警戒を解いて返事をしてきた。
「あら、ニンジャじゃない。あなたこそどうして?」
「なに、仕事でちょっとな。お前こそなんでC1なんかを走っているんだ?そのオートバイでトウキョーを通り抜けするんなら湾岸線の方が快適だろうにっ!」
「んーっ、単なる気分よ。それに富岳をヤマナシ側から見に行くにはこっちからの方が速いしね。」
「なんだ、また富岳参詣かよ。お前も好きだなぁ。」
「富岳は世界一の山だもの。私は大きいのが好きなのよ。」
「はははっ、そうだったっ!だから体格に合わないにも関わらず、それに乗ってるんだったなっ!」
男は女性の乗っている大型オートバイをそれと呼んだ。そしてそのオートバイは確かに女性の体格では操るのも大変であろうサイズであった。だが、半分からかいの意味も含んだ男の言葉を女性は軽く受け流す。
「そっ、この子はその大きなガタイで私を優しく包み込んでくれるんだもの。この安心感は何ものにも変えられないわ。」
そう言いながら女性はその巨大なオートバイをいとも簡単に操ってかなり速い速度でコーナーへ進入してゆく。その姿を後ろから眺めて男は感心したようにコーナーの出口でまた追いつき話しかけた。
「いやはや、相変わらずそのデカイオートバイを手足のように操るじゃねぇか。お前の華奢な体からはとても信じられないよ。」
「ニンジャ、オートバイの操縦は体重の有る無しじゃないのよ。あなただってそれは知っているでしょう?」
男の言葉に東雲は少し語気を強めて言い返してくる。だがこれは男に対しては悪手だ。何故なら男はオートバイに関するお喋りが大好きだからである。
「まぁなっ!それでも不利な事には変わらない。特に切り返しの続くコーナーでは体重が軽過ぎるやつは反応が遅れちまう。重いオートバイに乗っている場合は特にだ。」
「はぁ、これだからライダーって駄目なのよ。何かと言えば競争なんだもの。いい?ニンジャ。ライダーの真の目的は走る事、走り続ける事なのよ。その為にはこの子みたいなオートバイが最適なの。」
男は東雲にぴしゃりと正論を叩きつけられて次の言葉が出てこなかった。確かに東雲の言い分は正しい。ライダーの本質は走る事だ。その事に男も依存は無かった。たが、オートバイに乗るという事はそれだけではない事も男は知っている。
それはスピードへの飽くなき渇望だ。確かにライダーは走る事を神と契約した者たちだが、オートバイという相棒を得たライダーたちはそこに新たな価値を見出したのである。それが『スピード』だった。
これは多くのライダーたちを魅了した。そう、最初こそオートバイを意のままに操り走らせるだけで喜んでいた『ノービス』や『フレッシュ』たちも、次第に次の段階である『スピード』という泥沼のような深みに沈んでゆくのだ。
そしてその先に待っているものは『破滅』しかない。何故なら『スピード』への渇望には限りが無いからである。
確かにオートバイの性能上での限界は存在した。だがスピードを感じられるのはトップスピードだけではない。コーナーの旋回速度や悪路での走破速度など、ライダーたちを満足させるスピードはいくらでもあるのだ。
だが、限界への挑戦は常に危険と隣り合わせである。人は自身では40km/h以上の速度で走る事はできない。仮に出来たとしても一瞬だ。なのでオートバイのチカラを借りる。だが、そんな人間だけでは到達できない速度域では何かアクシデントがあったら忽ち命を無くすのである。
しかし、それでもライダーたちは挑戦を止めない。仮に頂点を極めたとしても何も得るものがないのにだ。だが、それがライダーというものなのだろう。そこに理屈は必要なかったのである。
走りたいから走る。どこまでも走る。死ぬまで走る。いや、死んでも走ってみせるっ!それが神とライダーが交わした契約でありライダーの魂の叫びであった。
やがて男たちの前に『ミヤケザカ・ジャンクション』の案内看板が見えてきた。
「それじゃね、ニンジャ。私は『中央道』を行くから。あなたは好きなだけC1をくるくる廻ってらっしゃい。」
そう言うと東雲は『ミヤケザカ・ジャンクション』を『中央道』方面に向かうレーンに乗り、そのまま男たちの前から離れて行った。
そして東雲が去った後、ひとり残された男の元に監視者たちが好奇の目を持って近づいてきた。そして男に話し掛ける。
「あーっ、あの『本田神』のGL1500ゴールドウィングはニンジャさんの知り合いなんですか?いやはや、びっくりするくらい速かったですねぇ。」
「全くだ、あの体格でよくもまぁ、あのでかいオートバイを手足のように操れるもんだ。ちょっと信じられないよな。」
「ですよねぇ、だってゴールドウィングってツアラーじゃないですか。バンク角だってそんなにないし、実際さっきだってセンタースタンド擦りまくりで火花が散っていましたよ。」
「そうだよなぁ、今時のオートバイじゃあんな風になるのはないよな。」
「たまにウチの工場にも修理の依頼がくるけど大抵は立ちゴケして壊したミラーやウインカーの交換程度です。サイドスタンドが擦っているやつは見た事ないですよ。」
「いやーっ、それが普通だろう?だからあいつがおかしいんだよ。そうゆう意味ではあいつは乗るオートバイを間違えている。」
「はははっ、そうゆう考えもありますね。で、どうするんです?また走るんですか?」
「いや、今日はもう止めておこう。なんだか気が抜けちまったよ。だらだらと走るだけじゃ意味が無いからな。」
「了解です。そうして貰えると俺も助かります。」
「なんだ?デートの予定でも入っていたのか?」
「いやー、そうゆう訳じゃ・・。」
監視人の男は否定したが図星だったのだろう。なので男もそれ以上はからかわなかった。