オートバイ乗りの心得
さて、漸く関係各所への根回しが済み公道レースの日取りが決まった。そんなレースの決行日は明後日の深夜である。だが段取りがついたと言っても別に道路が封鎖される訳ではない。ただ単に関係機関にちょっと乱暴に走るライダーがいるが大目に見てくれとお願いし、暗黙の了解を得られたというだけである。なので誘発事故など起こそうものなら忽ち町にはいられなくなる事に変わりはない。
そんな今回の公道レースは大都会『メトロポリス・トウキョー』の中を縦横無尽に繋がれている通称『首都高速』と人々に呼ばれる周回道路を使う事となった。
「と言う訳だ。なので決行は明後日の午前0時。コースは首都高速C1都心環状線の内回り。周回数は当然ながらどちらかがギブアップするまでだ。」
「OK、了解した。」
非村の説明に男はあっさりと了解した。そんな男に非村が問いかける。
「ところであんた、首都高を走った事あんのか?」
「ああ、仕事でここには何回も来ているからな。南に行く時も通り抜けに大抵は首都高を使うよ。」
「ふう~ん、でもそれだと6号から湾岸線当たりのルートだろう?今回は都心環状線だぜ?あのルートは湾岸線とは全く違うぞ?」
「それも知っているさ。C1も何回か走っている。大丈夫さ。」
「そうか・・、だがレースは明後日だ。だからその前にちょっと走ってきなよ。俺としても田舎から出てきて右も左も判らないやつ相手に勝ったなんて言われちゃ癪だからな。」
非村の提案に、男は少女の方を見て黙り込んだ。そんな男に対して非村が声を掛ける。
「ああっ、心配すんなって。抜け駆けなんざしねぇよ。と言うか葉月は俺たちの仲間なんだぜ?付き合いに関しちゃあんたなんかよりずっと長いんだ。」
「・・、そうだな。それじゃちょっと走ってくるとしよう。」
そう言って男は部屋を後にした。まぁ、確かに男は老人と少女を聖地に連れて行く約束をしたが、少女との係わり合いに関しては非村たちの方が男より何倍も長い。なのでここであまり我を通しても結果的には老人の意に反するだろうと考え自分がやるべき事のみに集中する事とした。
そんな男を見送ると非村はどこかへ電話を掛けた。
「あーっ、俺だ。今出て行った。何でも明後日のレース会場の下見だそうだ。ああ、そうしてくれ。まっ、多分気づかれるだろうが気にするな。だがまかれるなよ。後、簡単連合のやつらにはくれぐれも注意しろ。」
非村は相手にそう告げると電話を切り、少し不安げな顔をしている少女を気遣うように声を掛けた。
「さて、それじゃ俺はマシーンの整備でもするか。あーっ、葉月は外にでるなよ。簡単連合のやつらがお前を探しているって話だからな。だからタイラーのじいさんのところに行くのも駄目だ。まっ、しいさんの墓参りは聖地から帰ってきてからにしろ。その方が土産話が聞けてじいさんも喜ぶだろうしな。」
「うんっ、判った・・。」
非村の言葉に少女は少し悲しげな表情で応える。『簡単連合』からの襲撃により命を落としたハイライダー・タダヒコの葬儀は昨日済んでおり、遺骨は鈴華競技場シナガワ支部に安置されていた。そしてその遺骨を墓へ埋葬するのは三日後である。つまり非村と男の公道レースに決着がつく次の日だ。
なので少女はそんな日に新たな遺骨が増えない事をただ祈るだけであった。
さて、そんな少女の心配をよそに男は相棒である『川崎神』GPz-900R Ninjaが置いてある隣の『ヨシムラ・メカニカルファクトリー』のガレージへとやって来た。
そんな男の姿を見てガレージにて作業をしていた若い整備士たちが手を休めて声を掛けてきた。
「お出かけですか、ニンジャさん。」
「ああっ、ちょっと首都高を走ってくる。あーっ、非村には言ってあるから大丈夫だよ。」
「そっすか。でも簡単連合のやつらがうろついているらしいですから気をつけて下さいね。あっ、何でしたら俺がサポートとして付いていきますよっ!」
若い整備士はそう言いながらオイルで汚れた手をペーパータオルで拭きながらいそいそと男に近づいてくる。しかし、そんな整備士を仲間がからかった。
「なんだよ、ケンジ。お前、ニンジャの見張りを口実に仕事をサボる気だなっ!」
「いや、そんなつもりはないよ?ただ、万が一に備えるだけさ。」
仲間にケンジと呼ばれた整備士は多分図星だったのだろう。あたふたと否定する。そして、そんな整備士の申し出を男は丁寧に断った。
「はははっ、ありがたいけど遠慮しとくよ。それに走るといっても明後日のレースの下見だから何周になるか判らんし。」
「あっ、そっすか。でも本当に気をつけて下さいね。簡単連合のやつらって、公道上でもお構い無しにぶっ放してくるんで。あいつら頭のネジが緩んでいるんじゃなくて抜け落ちていますから。」
「そうらしいな、まっ大丈夫さ。その時はオートバイ乗りのルールを体に教えてやるよ。」
男は腰に装着したハンドガンのホルスターをぽんぽんと叩きながら返事を返す。そんな男に若い整備士は随伴を諦めて見送りの挨拶を送った。
「はははっ、頼もしいっすね。それじゃ行ってらっしゃい。」
「ああ、それじゃな。」
男はそう言うと900Rの周りを一周して異常がないか確認する。そしてセンタースタンドで直立している900Rをぐいっと押し出しスタンドを外した。
その後、男はサイドスタンドを出して900Rをまた自立させる。そしてギヤがニュートラルなのを確認するとエンジンスターターボタンを押して900Rを目覚めさせた。
ドゥオンっ!
セルモーターによるクラッキングにて忽ち900Rは目覚め図太い排気音を集合マフラーから響かせる。その後男は数回エンジンを吹かしアイドリングが安定するのを待ちって、900Rに跨ると整備士たちに手を上げてゆっくりと走り出した。
そして『ヨシムラ・メカニカルファクトリー』の駐車場から公道に出るとそのまま首都高の入り口がある方へと走り去った。
そして、そんな男のオートバイの後を2台の大排気量オートバイが少し間を開けてついて行った。そのオートバイを見て若い整備士は雑談を始める。
「ちぇっ、やっぱり俺も大排気量車を受領しとくんだったなぁ。」
「はははっ、腕の無さを馬力でカバーか?」
「いや~、湾岸線ならともかく、環状線なら俺のR400Rの方が速いさ。ただコーナーで差をつけても、ちょっと直線が続くとあっという間に追いつかれちまう。あれって、ずるくないか?」
「まぁな、それは仕方ないだろう。大昔と違って今は大排気量車輌もかなり軽くなったらしいからな。車重のメリットがなくなると如実に馬力の差が露になる。でも最終的には腕の差さ。下手糞が乗った大排気量車は所詮直線番長だ。しかも10分も走ればビビって走るのを止めちまう。」
「まっ、そうなんだけどな。くーっ、でも次の更新の時は絶対俺もR1000を受領してやるっ!」
「はははっ、ボスが許してくれればの話だろう?お前まだ社内検定に合格してないじゃん。」
「むーっ、あれはなぁ。あの検定基準ってちょっと厳し過ぎないか?あのコースで3分切るのって難しいだろう?」
「まぁな、でもウチで大型に乗っている人はみんな切っているんだぜ。それが嫌なら他に転職するんだな。別にオートバイ屋はウチだけじゃないんだから。」
「馬鹿ぬかせ。折角入れて貰ったのに辞められるかっ!俺は3回目で漸く入社タイムをクリアしたんだからなっ!ここで辞めたら何の為に苦労して入社したのかわからんだろうがっ!」
「全くだ、整備士として入社するのにオートバイでの周回タイム規定があるのはウチくらいだろうな。それでも入社したがっているやつらはごまんといるんだ。お前はラッキーな方だよ。」
その後も若い整備士たちのお喋りは続いていたが、それでも手は動いていた。そして慎重な作業が必要な時は忽ち無口になる。そこら辺は彼らなりの切り替えなのだろう。やる時は真剣にやる。当たり前といえば当たり前だが中々それが出来ないのが人間であった。
そうゆう意味では気を抜けばその報いが忽ち自分に跳ね返ってくるオートバイという乗り物で走るという事は、ある意味乗る度にON-OFFの切り替えを素早く出来る様に訓練しているようなものなのかも知れなかった。