オートバイのある世界
現地時間午後5時。晴れ渡った雲ひとつ無い青い空は未だに明るい。だが天宙より頭上を焼き尽くさんとしていた夏の太陽も一日の仕事を漸く終え、最後の仕上げとばかりに西陽となって人々の視界を妨げ始めた頃、そのオートバイ乗りは荒野を東西に伸びる1級公道を西からやって来た。
だが西日に遮られて姿は見えない。ただ図太い排気音からやって来たのは大排気量のオートバイである事だけは判る。そして1級公道の脇に1軒だけぽつんと建っている簡易宿泊所で働いている少女には、その排気音は耳慣れたものであった。
その時少女は宿泊所の裏で洗濯物を取り込んでいたのだが、その聞き慣れたオートバイの音を耳にすると作業を中断し、建物の中に入って受付にいる白髪頭の男へ声を掛けた。
「支配人、ニンジャが帰ってきたわ。」
「ほうっ、今回も死なずに戻ったか。あいつも悪運が強いな。」
少女に支配人と呼ばれた男は手元の帳簿から目を離し窓の外を見る。だがまだそこから見える範囲にはオートバイの姿はなかった。そんな男の言葉に少女は少し反発する。
「死なずにって・・、もうっ、支配人たら。ニンジャはハイライダーなのよ。そんなに簡単に死ぬ訳ないじゃん。」
「普通ならな。だがあいつは嫌われ者だからなぁ。あいつはお尋ね者じゃないが恨みからあいつを狙っているやつは多い。全く、金にもならないのに頼まれるとあれこれいさかい事に首を突っ込むからあいつは駄目なんじゃ。あんな生き方をしていたら長生きは出来んよ。」
男はそう言うが、少女にニンジャと呼ばれた者の事を嫌っている訳ではないようだった。と言うかかなり素っ気無くはあるが心配しているようでもあった。
そんな男の言葉に少女は反論する。
「そうは言ってもあの人がここを定宿にしてから2年は経つけど、いつも生きて帰って来るじゃない。」
「そうさ、やつはハイライダーだからな。そう簡単には死なない。」
「なんだかなぁ、支配人って言っている事がハチャメチャだわ。」
「はははっ、わしがハチャメチャなんじゃなくてあいつが異常なんだ。いくらハイライダーとはいえ、あいつみたいな生き方をしていたら普通は1年ともたん。なのにわしの知っている限りあいつは既に5年は生きている。信じられんね。」
「それってつまりニンジャは『ファースト』って事なんじゃないの?」
男の説明に少女は頭に浮かんだ言葉を口にする。
「ファーストなんてのはロクデナシ共のヨタ話に過ぎん。確かにこの世界のオートバイ乗りにはランキングが存在するが、実在を確認されているのはセカンドまでだ。それだって数は二桁はいない。」
「でもそれって確認されていないだけで、ランキングとしてはあるのよね?」
「そうだな。だがわしらのようなウォーカーにはそれを確認する術はない。」
少女と男はこの世界を支配しているランキングについて語り始めた。そう、この世界の一部の者たちにはランキングという階層が存在した。これは例えるなら階級である。
昔の日本にも統治者が定めた『士農工商』という階級があり、更に地域によってはその下に『穢多、非人』という賤民差別階級まで存在した。
しかもこれらの階級は生まれ落ちた瞬間に押し付けられた烙印であり、ジョブチェンジする事すら叶わなかった。
しかし、この世界のライダーのランキングはその者の走った距離によって上下する。なので正確には階級ではなく役職で例えた方が近いかもしれない。
そんなランキングは分類としてAからFまでが存在する。だがこの世界の人々は何故かこの文字表現を嫌い数字に置き換えて表現していた。つまりAランクが『1』であり、Bランキングが『2』といった具合だ。Fランクは『6』である。
しかも、ややこしい事に人々はそれらをかぞえ数詞で呼んだ。つまり『1』を『ファースト』、『2』を『セカンド』、『3』は『サード』だ。因みに『4』は『ホーム』ではなく『フォース』である。
だがここからがまたしてもややこしい。順当なら『4』の次は『5』で『フィフス』と呼ばれると考えるだろうが、残念ながら違う。そう、人々は『5』ランクの事を『フレッシュ』と呼ぶのだ。そして『6』も『シックス』ではなく『ノービス』と呼んでいた。
そしてこの呼称は幾分差別的な意味合いも含んでいる。つまりランク5と6は人々から一人前と認識されていないのである。なので『フレッシュ』や『ノービス』ランクの者は早く『フィフス』になろうと躍起になり、敢えて危険な仕事に手を出す場合が多い。
だがライダーを区分するランキングは云わば実力の区分だ。なので実力を伴わない下位ランクである『フレッシュ』や『ノービス』が危険な仕事に手を出すと大抵は失敗して、かなりの確率で命を落としていた。
そして初めてランキングの仕組みを知った者を更に困惑させるのが、そのランキングは全ての人々に当てはまるものではないと言う事だ。つまりこの世界ではランキング分けの前に『ライダー』と『ライダーで無い者』という分類があるのである。そして『ライダー』でない者たちは『ウォーカー』と呼ばれていた。
『ライダー』と『ウォーカー』。実はこの分類は正式なものではない。単に人々が日々の生活の上でそう言っているだけだ。
その判別は至って簡単で、オートバイに乗る者が『ライダー』であり、それ以外の者は『ウォーカー』だった。
だが『ウォーカー』だからと言って必ずしもオートバイに乗っていないかと言うとそうでもなく、『ウォーカー』の人々も日々の暮らしの中で普通にオートバイに乗っていた。ただ彼らが乗るオートバイは大抵小型種であり、もしくはスクーターであった。
しかし、乗っているオートバイによって単純に『ライダー』と『ウォーカー』を見極められる訳ではない。何故なら『ライダー』も街中などでは普通にスクーターに乗るし、『ウォーカー』も遠出する時などは大型のオートバイに乗る事があるからだ。
そして更に話を面倒にするのが『ライダー』にはその生業柄により『ハイ』と『ロー』という呼び分けがされていた。これは別に『ハイライダー』が『ローライダー』より上である事を表してはいない。単に危険な仕事を請け負う者の事を人々は『ハイライダー』と呼び、それらと区別する為にそうでないライダーを『ローライダー』と呼んでいるに過ぎない。
もう、こうなってくると何を持って『ライダー』と呼び、また『ウォーカー』なのかが判らない。これはもう「俺は冒険者だっ!」と宣言すれば冒険者になれる御伽噺の世界と一緒だ。
だがこの世界の人々にとってはそれらの区分は既に産まれた時からあったものなので、別に悩む事も無く使い分けていた。つまり人々にとってはそれらの区分はあって当たり前であり、疑問に思うことすらなかったのだ。
ランキングと名称。更にライダー内での区分。なんともややこしい世界観であるが、産まれた時から周りの環境がそうだった者にとってはそれが普通であった。
外の世界の者からしたらそれらは受け入れられないものかも知れないが、その事を持ってその世界に干渉するのはよした方がいい。何故ならこの世界は神が創りたもうた神聖な実験場なのだから。