人生のテーマ“愛”②
テーマは引き続き愛です。
皆様、おはようございます。よろしくお願いいたします。
前回と重複しますが、またテーマは愛です。
愛という概念は、元々日本では薄いような気がします。恋と情の文化だったからです。ですから、愛をテーマとした先駆者として、“愛と死”や“友情”などを世に送り出した武者小路実篤さんは評価されたのだと思います。また、エロスという意味合いの小説は、泉鏡花さんの功績が目立つでしょう。
日本で愛という概念が明治時代になるまで育たなかった理由の1つは、お見合い結婚が多かったということもあるでしょう。今のように自由恋愛の出来る環境ではなかったので仕方がないことです。仕方ないのですが、愛というものに戸惑いがちになる日本人としては、もっと早くから自由恋愛を広めて愛というものをわかりやすい物にしてほしかったですね。
愛は、エロスやアガペーに分けられます。そしてスグに、有償の愛と無償の愛というところで議論が白熱します。
僕は、4回目の嫁の浮気で離婚しました。これは2回目の離婚のことです。2人目の嫁は、結婚してスグ借金が発覚して僕の信用を失いました。その上で4回の浮気をしました。たったの7ヶ月で4回です。3回目までは、バツ2になりたくなかったので我慢しました。でも、そこまでが当時(29歳)の僕の限界でした。嫁を許せませんでした。
という話の中で自分で疑問に思うのは、借金発覚と浮気で僕は耐えていたのですが、耐えなければならない時点で、無償の愛とは言えない気がするんです。本当に無償の愛であれば、耐えなければならないほど心身を痛めるのはおかしいのです。許せていない証拠です。実際、最終的には許せなかったから離婚しました。でも、許せなければ無償の愛ではないのですから、やっぱり僕の愛は愛ではなかったということですよね?
何も求めない、でも少しくらいはもとめたい。与え続ける、たまにはこちらも与えられたい。本当に難しいことですよね。求めずに与えて見守って…それが出来たら仙人なのでは?
時々、与えてもらって当然、という人達と知り合いになります。そういう人達は何をしても感謝が無いんです。そういう人を好きにならなかったらそれでいいんですが、好きになったら大変ですね。与えたときに感謝されたら心が満たされますが、感謝が無いと与えることが不快になるのではないでしょうか?
相手の態度や言動も大切ですね。要するに人間性の良い人は愛しやすいでしょうね。何かを与える度に感謝し続けてもらえれば、愛しやすいですね。世の中には、愛されやすい人間と愛されにくい人間とで分かれているのかもしれません。逆に言えば、愛しやすい人と愛しにくい人がいるということですね。愛は相手による!ということでしょうか。
愛し方は、人それぞれですよね?
僕の場合は、愛している人とは1秒でも長く一緒にいたくて、出来るだけ会いに行きます。1時間会うために往復4時間かけるとかも、よくあります。会えるときに会えるだけ会う!それが僕のスタイルです。勿論、強引には押しかけませんが…。1分、1秒でも長く側にいたいので同棲することが多かったです。一緒に暮らすのが、1番長くそばにいられるからです。
ですが、愛し方やパターンは十人十色でしょう。
ふと思います。肉体を持たず、魂(意識体)として存在できるのなら、愛しやすいなぁと。魂だけの存在なら、借金も無いし肉体的な浮気も無いですからね。肉体を持って生きているから、愛に戸惑い、愛に悩むのだと思うのです。肉体という殻を破れば無償の愛を達成できるのではないかと。と、まあ、突拍子もないことを言ってすみません。
今回はここまでです。
では、また…。
【続く】
★★★ ご感想、ありがとうございました。エッセイは更新頻度が低めですが頑張ります ★★★