従業員は、炊事洗濯、お茶出しまで
「いらっしゃい、新崎さん。」
ちゃんと着替え、社会人の顔で、沙耶さんはお辞儀する。
「元気そうだな、沙耶。」
新崎さんがにいっと笑い、沙耶さんが微笑むのを見ると、この二人にしかないかたい信頼関係を見るような気になって、ちょっと遠慮してしまう。
年齢的にも、親子の図なのだが、そうではないと知ってみれば、二人の距離はかなり近い。
複雑な気持ちでみていたら、
「客がきたら、飲み物だろ?従業員。」
と言われ、慌てておくの台所にいく羽目になった。
新崎さんは、やはり苦手だ。
お茶をいれて、事務所に戻ると、二人は相談部屋として区切ってあるところで何やら話を始めていた。
「あまり、状態は良くない。早く手は打ちたいが、沙耶の危険は回避したい。」
「でも、時間もないし、情報を得たいなら・・。」
会話の内容が気になってお茶を出しながら聞き耳を立てると、いち早く察知した新崎さんが、ジェスチャーで、早く出ていけと促す。
新崎さんが、事務所に来る理由は、大きく言って二つだ。
沙耶さんの様子を見るためと、事件に関しての依頼をするため。
この事務所が回っていくのは、こうやってちょくちょく、新崎さんが、依頼を持ってきてくれるから、だと俺は了解している。
実際、沙耶さんの手柄で解決した事件は多いらしい、のだが。
(仕事の内容については、全く関わらせてもらえないからなあ。)
俺の仕事は、まあ、いわば家政婦だ。
探偵といえば、シャーロックホームズとワトソンだが、俺はワトソンではなく、どちらかといえばハドソン夫人の役所。
沙耶さんは、こう見えてというか、なんというか、いわゆる家事、があまり得意ではない。
食事の準備や掃除など、週に一回、家政婦さんを雇っていたらしいのだが、いつも指名していた老夫人が仕事を引退してしまったため、どうするか考えていたところだったという。
俺のしどろもどろの説明を聞いていた新崎さんが、どうしたわけかその時、
「どうせいく場所がないなら、せめて、従業員として働け。」
と言ってきたのだ。
給料はお小遣い程度。
だが、部屋つき食事付きには、飛び付く他ない。
良く考えたら、この事務所の経済的事情に巻き込まれた感はあるのだが。
新崎さんはめちゃくちゃ凄みながら、俺にいくつかの約束をさせた。
沙耶さんの部屋には入らないこと。
沙耶さんの仕事には首を突っ込まないこと。
沙耶さんの身の回りのことは可能な限りサポートすること。
約束を破れば、間違いなく命の危険がある。
そう確信するのに充分な圧力で、たっぷり間をとって話した新崎さんと、握手をしたあの時を、俺は忘れない。
それから、一年。
新崎さんとの約束は一つも破っていない。
破っていないのだが・・。
俺は、沙耶さんのことが、いつの間にか好きになってしまっていた。
だから、今の俺は、常に下心とたたかっているわけだ。
好きになってしまった以上、本当は、沙耶さんに頼られる男になりたい。
仕事についても、助けられることがあるなら。
そう思うのだが、そこには立ち入ることはできない。
俺は、その一歩を踏み出せないまま、今もただの従業員なのである。
新崎さんが帰ったあと、思い詰めたような顔をしていた沙耶さんに、声もかけられない、へたれな俺。
情けないが、これが現実だ。