明
コウヤが話した昨日の惨劇は、こうだった。
三日ほど休んでいた私は、コウヤが私の働いているBAR“アスター”にきた新人ということを知ったのは、私が出勤してから知った、店を休みにしてまで行われていたコウヤの歓迎会(そういうことをしてしまう店長なのだ、昔から)
常連さんも呼んで行われていたそれは軽くパーティー状態だったと、なんとなく思い出す。
その空気にあてられて、私とコウヤは飲む対決をしたと・・・
「本当に?」
「本当ですよ。あとで店長に聞いてみてくださいよ。」
聞きたくない。でも聞きたい。いや聞きたくない。
まず私は無理にお酒を飲むタイプではないから、この話はにわかに信じがたい。
でも、嘘はついてなさそうだしな。
「で、なんで私の家にいるんですか?」
「それはリサさんの家が俺の家より近いからですよ。店長が俺ら二人運んでくれました。」
なんでよ、とは言えない。
アスターと私の家の距離は徒歩3分。
酔って寝ている人間を放りこむにはうってつけだ。
「なんであなたは記憶あるんですか」
「俺が勝ったからですよ。まあ、記憶はあるけど結局俺も潰れっちゃったからここにいるわけで・・・」
「私たち、何を賭けて対決してたんですか?」
「それは、とりあえずいいじゃないですか。楽しく飲んだわけだし。」
また、ふふと目じりにしわが寄って、悪だくみをしている子供のようだ。
私はその、楽しかったかもしれない記憶がない。
断片的に思い出せるのは、出勤したらパーティーで、店長にコウヤを紹介されたこと。
「コウヤ、さんはおいくつなんですか?」
「それ昨日も聞かれました」
「すみません」
「24歳。リサさんと同い年ですよ」
「へぇ、」
「リサさんが休んだ日からアスターで働いてるんで、今日で四日目です。」
それもおそらく昨日私に聞かれて答えたことなのだろう。
ここまでくると、申し訳なさまである。
「あ、出勤しなきゃ。」
「今日休みだって店長からメッセージ入ってました。店長も二日酔いらしいです。」
「ああ、そうなんですね。」
よかった。このまま出勤なんて想像もしたくなかった。
けだるい体を動かして、ダイニングテーブルの椅子にドサッと腰掛けた。
ニュースキャスターは今年の梅雨は長いと鬱々した表情で淡々と語っている。
「じゃあ、俺帰ります。」
「あ、はい。大丈夫、ですか?」
「だいじょうぶです。・・・本当に何も覚えてない?」
「え?昨日のこと?」
「はい。」
「んー・・・まぁ、少しくらいは思い出せますけど、どんな話したとかは。」
「・・・、思い出さなくてもいいかもね。」
「え?それどういう、」
「じゃ。帰ります。」
私の話を遮るように、コウヤは笑顔でリビングのドアを閉めて帰っていった。
“思い出さなくてもいいかもね”
なんだそれ。
何か思い出されたら不都合なことがあるんだろうか?
不正して対決に勝ったとか?
そんなことを考えていると、どんどんあの笑顔がうさん臭く見えてくる。
まぁ、いいか。
今日の仕事もなくなったし。って勝手に自分で折り合いをつけるのは私の特技だ。
けだるい体をもう一度動かして、二階への階段を一段一段踏みしめる。
踏みしめるたびに、鈍い痛みが頭に伝わった。
日課、趣味、と言うにはそれは一日の半分を占めていて
ルーティーンというには、生活から逸脱した時間。
私はギターを弾く。音楽をやる。ベースも弾く。
それは当たり前に染みついていて、普通の人の“ご飯を食べる”くらいのことだと思う。
スタンドに立てていたギターを手にして、抱える。
好きな曲を弾く。
この時間が好きだ。
何も考えなくていいから。
窓から吹き込む風は晴れたというのに湿気を帯びていて、私の鼻歌ごと部屋も吹き抜けていく。
一軒家の二階建ての二階。
小さなベランダの隣の六畳半の部屋。
ここから生まれた音は、世界を旅する。
パソコンをつけて、YouTubeを開く。
タイトル「ごめん、急に弾きたくなった。二日酔いです。リクエスト待ってます」
突然の生配信にもかかわらず、閲覧数3800人。
流れていくコメントに必死に食らいつく。
“早めの配信嬉しいです”
“SAKUYAさんのオリジナル曲聞きたいです”
“SAKUYAさん!”
“SAKUYAさん今日ギターストラトだ”
声は出さない。ギターを弾く。
私が私ではなくなる時間。リサではなくなる時間。
SAKUYAになる時間。
SAKUYA・・・咲夜
死んだ兄の名前で、私は今日もギターを弾くのだ。