東京九龍デーヴィー 7
人が多いせいか空気がむっとしている。
遠田は人とぶつからないように身を縮めた。東南アジア出身の人が多い通りのようだ。独特な香草の香りが漂い、日本人とどこか似た顔立ちの、浅黒い肌の人々が往来をゆったりした歩行で歩いている。時おり鳴るクラクションは道路を縫うように走っているバイクに対してだ。
まったく、なんでこんな通りにある店を指定するんだ。
日ごろ大学とその周辺にしか出歩かない遠田は、内心舌打ちをした。都心からほど近い、落ち着いた郊外の住宅地で育った遠田は雑多な通りを歩くことに慣れていない。
携帯のアプリを頼りに細い路地に入り込む。
人通りが驚くほど減った。家の軒先に異国の花が咲いているのを眺めながら歩いた。
「喫茶エニシ」
遠田はその看板を確認し、中に入った。
「遠田、久しぶり。」
黒髪を肩の辺りで切りそろえた女が、煙草の煙を吐き出しながら言った。
遠田は煙草の匂いに思わず顔をしかめた。
「なんだってこんなところに呼び出したんだ。お前が大学の方まで来ればいいだろう。」
「いやよ、あの辺り煙草吸える飲食店ないもの。」
遠田は席に着くとコーヒーを頼んだ。
前に座る女はすでにコーヒーを半分ほど飲み終わっている。
化粧も顔の印象も地味だがよくよく見るとパーツの配置が整った顔をしている。便利な顔立ちをしているものだなと遠田は思った。
その女は遠田の記憶では数年前はくっきりとした化粧が似合う、派手な美人の顔をしていた。
「で、何の用なんだ。比口。」
比口は煙草の火をもみ消した。
比口楓。かつて遠田と同じゼミに所属し、現在は記者をしている同窓生だ。
遠田は比口のことがあまり得意ではない。貪欲な好奇心を満たすためには手段を選ばないところがあり、大学生だったころは知らず知らずのうちに犯罪の片棒を担がされそうになったことが少なくない。
「あら、随分な言い方ね。わたしのおかげですごい美人に会えたでしょう。」
脳裏に羅志の姿が過ぎった。
たしかに美人ではあったがそういう問題ではない。
「お前にはお前の仕事があることはわかるが、こっちに飛び火させるなよ。」
「別に飛び火させる気で書いたわけでもないけど。」
絶対嘘だ。
遠田は直感と経験値で思った。東京九龍城に何かあると勘付いた比口はおそらく自らが持ち得る全てのカードを使ってそれを明かそうとしている。
「それで、どうだった?」
「俺は出版社ではなく、行政から頼まれて行ったんだ。お前に話せることはない。」
「ふうん。」
比口はふたたび煙草の火をつけた。
白い煙が細くと宙を漂う。
「ま、真っ向から行ったってことは何も得たものはないでしょうね。せいぜい誰もいない廟を撮ったくらいかしら?」
図星を突かれた遠田は肩を強ばらせた。
比口はチシャ猫のように笑うと机の上に紙幣を置いた。
「じゃあ、わたしこれから仕事があるから。
今日はありがとう。ここの分は奢るわ。」
せっかくきてもらったし、そう言って笑うと比口はヒールを鳴らして出て行った。
コーヒーはぬるくなり、苦味が増していた。