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東京九龍デーヴィー  作者: 高月満
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東京九龍デーヴィー 1

「こりゃたまげたもんだな…」

思わず言葉が口の端からこぼれ落ちた。

目の前には50メートルはゆうに超えそうな壁がそびえ立っている。

よくよく目を凝らせば、その壁には唐草を模したようなベランダがくっつき、コンクリートと細い隙間を見てとることができる。察しの良い者は、その巨大な壁の正体が巨大なビルがぴったりと連立していることを理解するであろう。

東京と埼玉の県境に数十年の間に出現したこの建物群を、人はかつて香港にあったスラム街になぞって「東京九龍」と呼ぶ。


 民族学研究室に所属する遠田邦彦が師事する森松教授に呼ばれたのは5月も半ばを過ぎた頃だった。

部屋の掃除などの何かしらの雑用だろうか。と森松教授の研究室を訪れた遠田は、森松教授に紅茶を勧められたときに嫌な予感に顔を曇らせた。

森松教授は厄介な用事を頼むときに紅茶を出す癖がある。意図的にやっているだろうから癖と言うのは適切ではない気もするが。

 「すまないね、遠田くん。院での勉強で日々大変な中に呼び出してしまって…」

小柄な体格、細い目、マシュマロのような頰肉を備えたこの教授はマスコット的な人気を博している。

しかし、この見た目に騙されてはいけない。森松教授は研究室の掃除や研究室にある資料リストの作成を生徒に任せるなど人使いの荒さに定評がある。

 「森松先生、ご用件はなんでしょうか。」

森松教授の瞳がいつにも増して細くなった。口元には福々とした笑みが浮かんでいる。

 「君、スラム街に興味はないかね?」


 「スラム街…ですか。」

想定外の言葉に遠田はやや面食らった。

森松教授はいつにも増して福々とした笑みを浮かべている。

 「君、住まいは八王子市の方だよね?」

 「ええ…寮がそのあたりにあるので」

 「そしたら、八王子市のとなりにある町田市のことは知っているかい?」

 「存在は知っています。しかし、あそこは外国人居住地区では?」

数十年前、日本は流行病で経済に打撃を受けたのち、少子化により若年人口が減少したことで経済悪化が進行した。廃墟は急増し、税金は労働世帯に重くのしかかった。そこで政府は外国人を積極的に日本に居住させる政策をとった。

しかし、上手くはいかなかった。貧困のために日本に来た人々により治安は悪化、難民は各地に独自コミュニティを作り、近隣住民と摩擦を起こした。

その後、日本人と外国人は居住地を分けて暮らすようになり、日本国籍の子どもは社会人になるまで外国人居住地区の出入りを禁止された。

 「そう、外国人居住地区だ。そこでちょっと厄介なことがあってね…」

森松教授は雑誌の切り抜き記事を遠田に見せた。

よくあるゴシップ雑誌のようだ。大きな見出しには「東京九龍城の女神」と書かれていた。

 「東京九龍城、ですか。」

九龍城、かつて香港にあったスラム街のことだ。第二次世界大戦後、中国、イギリス、香港の領土主張が複雑化し無法地帯となったことでできたスラム。そのスラムが歴史に名を残すことになった原因には建築法が適応しないことからビル群が所狭しと連立して一つの巨大建築物を作り上げたことにある。

記事には九龍城とよく似た景色の写真が載せられていた。

 「町田市も九龍に似たところがあってね。東京都と神奈川県の権利が行政間でごたついた時にこういったものができてしまった。」

背景はもうちょっと複雑だけれどね。と森松教授は続けつつ記事の一箇所を指差した。「女神」という文字だけ強調するようにフォントが違う。

 「東京九龍城も取り壊しの話が出ている。高層建築物がこれほど密集しているのは安全とは言えないし、閉鎖的で内部情報がほとんど分からない場所は危険だ。特に宗教に関することは。」

一瞬だけ、森松教授の顔から笑みが消えた。遠田は思わず背筋を伸ばした。

 「まあつまり、行政の方から東京九龍城の内部調査を頼まれたのだよ。ただし、私のようなある程度身なりの整った老人が急にああいったところに行くと目立ってしまうし、あまり警戒されるのも困る。時間にも少々無理があってね……」

 「それは…僕に調査に行けということでしょうか?」

想定外かつ、時間を割かなければならない要件に遠田は思わず尋ねた。

 「遠田くんは察しが良いね。」

招き猫のごとく、ニヤリと森松教授は微笑んだ。

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