〈五話〉日本に射す影と光
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戦後日本が「東洋の軌跡」と世界から呼ばれた理由は一つ、経済だ。黄色人種の上、敗戦国にも関わらず僅かな期間とはいえ米国に次いで世界二位まで上り詰め先進国の仲間入りを果たせたのは経済あってだ。
では経済とはどうやって行うか? 日本経済活動は大昔は身内同士の一種の地域経済だった。だが今は地球全体にいる友人と行う経済、グローバル経済だ。しかし外国人どころか日本人以外の人間が存在しない惑星に日本はいる。つまりグローバル経済は成り立たない。ではどうなるか? 答えは簡単だ。
経済の麻痺そして、崩壊だ。
そして総理が記者会見で話した中には、事実上の戦時下のような物資の統制を行うこと宣言した。他にも経済の崩壊に追い打ちをかけるようなことを発表していた。もっとも政策を実行しなくても崩壊は秒読みであったが。グローバル経済の崩壊により世界史に稀でも見る大量の失業者を生み出した。
経済崩壊により全国が混乱に支配された。強引な政策に対してデモが行われたが次第にデモは暴動へと発展していった。中でもひどかったのは大阪だった。暴動の名所? である西成区の北部、通称あいりん地区を発端に暴動が発生し広範囲に広がった。のちに「大阪大暴動」と言われる。
暴動は昼夜問わず三週間も続き、中にはどこから持ってきたのか銃で暴動に対処していた機動隊に攻撃する者もいた。これに対して警察は銃器対策部隊を当てたが、凶悪な暴動はあいりん地区だけではなかった。かと言って部隊を小出しにすれば被害が出るのは目に見えていた、故に暴動はダラダラと長引いた。
余談だがあいりん地区では暴動がもはや通例となっており、最初の暴動とされるのは一九六一年をはじめに二〇〇八年まで二四回も暴動が発生している。そのためあいりん地区にある西成警察署は映画に出てきそうな監獄か要塞のような作りだ。
暴動発生から二週間目に自衛隊の治安出動が許可された投入された頃には、大阪は法治国家とかけ離れていた。ビルのガラスは割られ街の至る所から炎と煙が立ち上り、少し前まで車が行き来していた道路はバリケードが築かれ、昼夜問わずに機動隊と暴徒が衝突し怒号が響きアスファルトは血に染まった。
武装した暴徒に対しては警察や陸自が無警告で射殺してしまうという事例がいくつも起こり、のちに問題となる。これまでの二週間は警察と暴徒の衝突だった、しかし最後の一週間は悲鳴と銃声が大阪を支配した。
暴動終息後に調査が行われ、暴動が拡大したのには過激派が関係していた。警察関係者から「やっはり」と声が漏れた。過激派の殆どがこの大阪大暴動に参加しており、最終的にはこの非常事態に乗じて国家転覆を計画していたことが判明した。そして暴動終息を期に全国で自衛隊による治安出動が実施され政府は一か月後、全国で発生した暴動の終息宣言をした。最終的な犠牲者は官民合わせ死者三〇〇人以上、負傷者二〇〇〇人以上も出た。
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